初任務
酒呑童子と「結んだ」翌朝、さくらは怪異対策課 関東支部の拠点へ案内されていた。
巨大なビルの施設は、テレビで見るどんな防衛施設とも違う。
白い通路を歩きながら、さくらは落ち着かない様子で辺りを見回した。
「妹さんなら大丈夫だから、そんな肩に力入れなくていいぞ。」
声をかけたのは、爽やかな営業マン的な雰囲気を持ちながら、スーツの似合うしっかりした体格の40代くらいの男性だ。
彼は松永 涼平。伊吹が所属する第三部隊 松永班の班長であり、隊員たちからみんなのお父さん的存在として慕われているらしい。
「応急処置は陣がやったが、本格的な治療はしっかりと医療班に任せてあるから。」
医務室の扉が開き、白衣姿の女性が現れる。
医療班の女性は、長谷川 恋。30歳くらいの、気さくな雰囲気の女性だった。
「杏ちゃん、かなり無理してたねぇ。しばらくは安静だけど、命に別状はないよ。安心しな。」
その言葉に、さくらは深く頭を下げる。
「ありがとうございます……!」
その横で、陣と呼ばれる男性が腕を組んでいた。
陣 総二郎、杏を保護して医療班へ連れてきてくれたという、さくらくらいの歳の青年だった。
「元キャバ嬢ねえ…。しかも闇バイトで呪われるなんて、ぶっちゃけ自業自得だろ。」
さくらの眉がぴくりと動く。反論はできないが何だか嫌な感じだ。
松永が陣の頭を軽く小突いた。
「こら陣。思ってても言うな。」
「ほんと、この子は一言余計なんだよねぇ。ごめんね、いい奴なんだよ。」
恋は苦笑いしながらフォローする。
その時、奥の部屋から一人の男が現れた。
金髪を流した髪型。高級スーツを着こなし、どこかIT企業の若手社長を思わせる雰囲気。
しかし、その瞳には鋭い知性が宿っていた。
「初めまして、東蒔さくらさん。第三部隊隊長の桐生 司です。」
想像以上に穏やかな声だった。
伊吹がさくらの耳元で耳打ちするように話しかける。
「第三部隊で一番偉い人。」
「へっ…!」
さくらが想像していた“隊長”とはまるで違った。
もっと筋骨隆々の強くて怖そうな人をイメージしていた。
「昨日は大変だったね。でも、君が無事で本当に良かった。」
陣がぼそりと呟く。
「隊長は甘過ぎます。」
桐生は笑みを崩さないまま返した。
「陣くん。人を責めるのは簡単だけど、助けるのは難しいんだよ。
誰も命を落とさず帰ってくること、これが一番価値のあることなんだ。」
その一言に、陣は少しだけ口を閉ざした。
「しかし…、酒呑童子と結んだ以上、君はもう一般人とは言えない。
まあ、いきなり難しい任務につけるつもりもないから安心してくれ。」
そう言って一枚の書類を机に置く。
「まずは新人研修、様子見だね。」
数時間後、さくらは支給された隊服に着替え、陣と並んで住宅街を歩いていた。
ちなみにキャバクラは早々に退職の意を伝え、家も怪異対策課の社宅へ移ることにした。
これまでワンルームに住んでいたが、新築の1Kでバストイレが分かれているタイプの部屋に住むことができた。
「俺もさ、半年前に入隊したばかりなんだ。」
陣は何気なく、さっきのキツイ言い方を反省したのか、ほとんど同期みたいなものだから安心しろと言わんばかりに話しかけてきた。
「そ、そうなんですか?」
「ああ。だから今回は新人二人での研修任務ってことみたいだな。」
任務内容は単純だった。
人里に紛れ込んだ化け猫を保護するだけだ。
化け猫は確かに普通の猫と比べるとやや警戒心が高いが、
危険度はそんなに高いものではなく、新人向けの任務だと聞いていた。
路地裏に入ると、黒猫が一匹、ゴミ箱の上からこちらを睨んでいた。
しかし普通の猫ではない。尻尾が二股に分かれ、瞳に妖気が宿っている。
「あれだ。刺激しないようにな。」
陣が妖力をゆっくり練ると身長30cmほどの大きさで、肩に乗るくらいの葉っぱの羽団扇を持つ天狗が現れた。
「木葉、風で包囲してくれ。」
天狗の起こした風で猫の周囲を囲むと、化け猫は威嚇した後、意外なほどあっさりと捕縛された。
「もう終わり?」
「……おかしい。」
陣が眉をひそめる。周囲の空気が重い。
化け猫を封印しても、漂う妖力がまったく薄まらないのだ。
「…まだ何かいるのか?」
二人は妖力の感じる方を追って廃工場跡へたどり着いた。
工場の内部に足を踏み入れた瞬間、粘ついた糸が体にまとわりつく。
「蜘蛛の巣…?最悪~…」
「まずい!東蒔下がれ!!」
陣がさくらを突き飛ばしたその直後、巨大な影が天井から降ってくる。
蜘蛛の手足に虎のような文様の身体、そして鬼のような顔を持つ異形。
「なにあのデカい蜘蛛!!キモ!!」
「土蜘蛛だ……!糸で拘束されるとあの鋭い鉤爪で引き裂かれるぞ…!
2000人もの人を食べたという言い伝えもあるんだ…。クソ、中級以上の怪異だろ!!」
少なくとも化け猫のような、新人研修で遭遇するような相手ではなかった。
土蜘蛛の脚が地面を叩き、コンクリートが砕け散る。
陣は木葉と呼ばれた天狗の風で土蜘蛛の周りを囲った。
「東蒔!俺が時間を稼ぐ!!松永さんに連絡してくれ!!」
しかしその風は一撃で払われてしまった。圧倒的な力の差だった。
「な・・・」
土蜘蛛は大きく脚を振りかざすと、さくらを狙った。
「やっば…」
「東蒔!!!」
陣は咄嗟にさくらの前に出るも、そのまま数m吹き飛ばされる。
「陣さん…!!」
土煙から姿を現した陣は立ち上がれそうもない。
「クッソ…東蒔、撤退しろ!」
土蜘蛛が口を開き、禍々しい妖気を纏った糸を吐き出す。
さくらは咄嗟に腕を掲げた。
その瞬間、紫の鬼火が弾ける。
『貸せ。』
酒呑童子の声が響いた。
鬼火がさくらの腕を包み込み、爪のような妖力が形成される。
「うわっ……!?」
半ば反射的に振るった一撃が、土蜘蛛の脚を切り裂いた。
「……酒吞童子……任せるよ…!」
その一言を口にした瞬間さくらの身体から紫色の妖気が噴き上がる。
髪は銀色に染まり激しく揺れ、瞳が深紅へ染まる。
その頭には二本の角が生え、口元から鋭い牙が覗く。
周囲の空気が一変した。
「なっ……!」
陣が目を見開く。
「これは…酒呑童子の力……!?」
先ほどまでの少女の姿はない。
そこに立っていたのは、まさに鬼の王を思わせるさくらの姿だった。
土蜘蛛が咆哮とともに巨大な脚を振り下ろすも、酒呑童子は避けようとはしない。
凄まじい衝撃が響き渡るも、そこには片腕を軽く持ち上げ、土蜘蛛の脚を軽々と止める酒呑童子が立っていた。
『遅い。』
次の瞬間、酒呑童子は土蜘蛛の脚を掴みそのまま地面へ叩きつけると、
轟音が響き、コンクリートが陥没する。
「ああああああああ!!!!」
土蜘蛛が悲鳴を上げる。
『フ……妖力が足りんので不安だったが、貴様程度なら今の俺でも十分だ。』
酒呑童子は肩を鳴らした。
土蜘蛛が妖気を吐き出し、黒い妖気を纏った糸が辺りを覆う。
酒呑童子は口角を上げた。
『鬼火』
紫色の炎が指先に灯り、それを軽く振るだけで鬼火は弾丸となり、土蜘蛛の脚を次々と焼き切っていく。
「ギィィィッ!!」
土蜘蛛は暴れながら糸を吐き出すも、酒呑童子はそれを真正面から掴んだ。
『児戯だ。』
酒呑童子が握った糸に力を込めると、その鬼火は糸を伝いそのまま土蜘蛛の身体を燃やす。
『じゃあな、虫けら。』
「待ってくれ!!酒吞童子!!」
酒呑童子が振り向くと陣が札を持って構えている。
「封印する!」
お札のような紙が何枚も飛び土蜘蛛の周囲へ展開される結界。
『ほう。封印するのか?お前の妖力でできるのか?』
陣は額の汗を拭う。
「基礎くらいはな。」
『なら、締めだ。潰れろ。』
右拳へ、膨大な紫の妖力が集まり、拳が振り抜かれると鬼火が巨大な鬼の腕となって土蜘蛛を飲み込み、廃工場ごと吹き飛ばす。
土蜘蛛の断末魔が響き渡る。
その隙に封印札は黒い塵と化した土蜘蛛を捕らえ吸い込んでゆく。
『封印石さえ戻れば、小指一本で済んだ相手だ。』
「……今ので本気じゃないのか。討伐された怪異は、封印札に封じて本部で管理される。」
酒呑童子はその様子を確認すると、紫色の妖気が静かに消えていくように、
鬼角が消え、赤い瞳が元に戻り、さくらの身体がふらりと揺れる。
倒れそうになるさくらを陣が慌てて支えた。
「わっ…!大丈夫か!」
「…うっ…なにが起きたの?」
さくらには戦っていた記憶がほとんどない。
脳内で酒呑童子が欠伸をするように呟く。
『悪くない器だったぞ。もう少し鍛えれば、俺も本気を出せる。』
「倒しちゃったの!?」
「東蒔、助かった。」
「実感ないんだけど…」
陣はさくらの様子を見ながら、小さく息を吐く。
「……とんでもない結びだな。」
二人は荒い息をつきながら、その場に座り込んでいた。
「新人研修って、もっと簡単なやつじゃないの?」
さくらが呆れたように言う。
「本来はそうなんだけど…。最近、こういうケースが増えてるみたいだ。
各地の妖の封印が解かれて、現世の妖力濃度が上がっているらしく、弱い妖だけじゃなく、中級以上の
怪異まで頻繁に目撃されてるんだ。
酒呑童子だけじゃない、他の妖の封印石も、恐らくお前のやった変な仕事の上の連中が集めてるんだろ。用途は分からないけど、とんでもない妖力を秘めているしな。」
さくらは拳を握る。
「私…」
『どうだ、悪くない力だろう。』
酒呑童子の声が宙に響く。
さくらは小さくため息をついた。
「……調子に乗らないでよ。絶対、裏切ったりしないでね…。」
さくらは初めて、恐ろしい力を持ってしまったことを自覚した。
『伴妖として結んだ以上、裏切りは俺の命にも関わるからな…。』
「伴妖?」
「伊吹さんから聞いてないのか。結士と結ばれた妖を伴妖と言うんだ。
供に戦う妖、そのまんまの意味だ。
明確に結士に敵意を持った行為や、結士の意に反する行動をとった場合、その妖はこの世からは当然消されるが、妖などが住む幽世からも拒まれるらしいんだ。」
「それって、どうなっちゃうの…?」
『消えるんだ、俺という存在自体がな。どこにも現れることは出来ないらしい。』
「な!そこまでしてなんで私なんかと…!」
『じゃあお前を無理やり乗っ取っても良かったのか?俺としても早く封印石を回収したいんだ。』
酒吞童子の声が深く響く。
その声にまるで何か、とても深い意志を感じる。
直属の上司である松永に報告を済ませ、
陣が自身の医療妖術によって、簡易的な治療を済ますと二人は拠点に戻る。
さくらにはようやく、結士としての自覚が芽生え始めた。
最強格の妖、鬼の統領と呼ばれる怪異と結んだ少女としての第一歩が、静かに始まっていた。




