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解かれた結び目

繁華街にネオンが灯る夜。東京、新宿。

東蒔とうまきさくらは、キャバクラの控室でスマートフォンを見つめていた。

画面に表示されているのは、妹からのメッセージだ。


『検査結果出たよ!まだしばらく家で安静にしてなきゃだって~~泣』


小さく息を吐きさくらは目を閉じる。

両親を事故で失ってからもう1年が経っていた。

5つ年下の妹のあんは子供のころから身体が弱く、治療費もバカにならない。

両親の死後さくらは大学を中退し、この店で働いていた。


元々貧しく両親が残した遺産などはほとんどなく、給料だけで治療費や生活費を賄うのにも限界があったのだ。


半年前のことを思い出し、今でも鳥肌が止まらなくなる。


京都の山奥。雨の降る山道を、大学生くらいの男3人とさくらを乗せた一台のワゴン車が走っていた。

車が止まった先には、苔むした古い祠。


震えるスマートフォンを確認すると、指示役とされる男からメッセージが来ていた。


『祠の中の石を回収しろ。絶対に割るな。

 報酬は 50万円。』


50万円あれば、杏に満足な治療を受けさせられるだろう。

祠の奥にあったのは、札で覆われた赤黒い石だった。

触れた瞬間、石の内部で紫色の光が脈打ったように見えたが、男たちは気付いていないようだ。


「早く持て!ずらかるぞ!!」


男の一人が声を上げると、さくらは急いで石を抱え上げそのまま車へ戻った。

ワゴン車が山を下っていく。


その背後で、誰もいなくなった祠から紫色の妖力が噴き出し、闇の中で巨大な影がゆっくりと立ち上がった。


『……久しいな、人の世』


今思えばバカなことをしたように思えるが、結局50万円も振り込まれることはなく、

人を殴ったわけでもないしあの日のことは忘れようと忙しい日々を送っていた。


カランカラン


「いらっしゃいませ、こんばんはァ!!!」


黒服の大きな声の挨拶で一気に現実へと引き戻される。

店のドアが開くと、長い銀髪に長身の和装の男が入ってきた。


(まさかヤクザじゃないよね…)


不自然なほど整った顔に一瞬、赤い瞳が輝いた気がした。


男はさくらを一目見ると、ニヤリと笑って、


「おう、お前一緒に呑もうか。」


その声を聞いた瞬間、さくらの背筋を冷たいものが走る。

どこかで感じたこの威圧感。

男はグラスを傾けながら、さらりと言った。


男は金払いがよく次々にドリンクを頼み、ある程度時間が経つと、


「いい時代だな、見たことねえ酒も、淫らな女もわんさか居やがる。

長くいるには、いい肉体が必要なんだ。」


と、意味深にさくらを見つめ呟くと、酔ったからと店を出てしまった。

そんな男の後ろ姿を、また別の席から黒髪にスーツの男が見つめていた。


勤務が終了し帰路についていると、物陰から黒髪にスーツの男が現れた。


(この人…さっき店にいた…)


男は胸元からケースのようなものを取り出し、名刺を渡してきた。


「防衛省怪異対策課の風真(ふうま)と申します。ちょっとお話いいかな?」


名刺には『防衛省怪異対策課 関東第三部隊所属 風真 伊吹(ふうま いぶき)

と書かれていた。


(は?警察…じゃなくて防衛省!?てか闇バイトのこと…!?やばい!!

 怪異対策課ってなんなの?胡散臭いよね…)


さくらは身構える。


「まあ、そんなビビんなくていいよ。君さ、酒呑童子(しゅてんどうじ)って知ってるか?」


「しゅてんどうじ?」


「知らないか~。かなり有名な妖なんだけど。

…半年くらい前に封印が解かれたって報告が上がっててね。

実行犯が関東の子たちってんで、俺らで調べてるんだけど…」


(半年前…やっぱり…)


「あ、あの!私っ!だ、だれも傷付けてないし!」


「…慌ててるようだけど、別に俺警察じゃないから。

 問題ではあるけどな、一応あそこも人の敷地だし。


 ただあの祠管理してる人が警察沙汰にはしない……というか警察に解決できる話でもないって分かって る人でね。だから俺らがこうして動いてんの。最近流行ってんだよ、こういう系の闇バイト。」


風真 伊吹(ふうま いぶき)は咥えていたタバコの煙を吐き出すと、さくらを一瞥(いちべつ)しなおし呟いた。


「お前呪われてんぞ。真っ黒な妖力で覆われてる。」


呪い…?さくらには身に覚えがあった。妹の病状が悪化したのも、あの日からだ。

妹はあれ以来、一切学校にも行けていない。

毎晩熱が出て酷く咳込んでいた。あれも私のせい…?


「どうしたら…妹は治るんですか…?」


さくらの声は震えていた。


「妹?…指示役やその組織について、分かることがあれば話してくれ。」


「なにも…分からないんです…怖くて連絡とってたアプリも消しちゃって…」


「はあ~。

 あ!さっきの客、あれ常連か?微量だが妖力を感じた。」


「いや…初めてのお客さんです…」


「何にも分からねえな。とりあえず何かわかったら、その名刺の番号に連絡くれ。」


さくらは名刺を握りしめる。


「あ、他の…!他に男の子が3人いたんです!その人たちは…」


伊吹(いぶき)は一度言い淀むような表情を見せたが、口を開く。


「死んだんだよ。恐らくあれも酒吞童子(しゅてんどうじ)の呪いだろう。

 だから早く解決しないと君の命も危ない。」


さくらは暗い夜道に怯えながら、自宅へと進む。

先ほどの伊吹(いぶき)の言葉が頭にこびりついて、何度も耳の中で反復されている。


やっとの思いで家の玄関を開ける。いつもの3倍くらいかかったような気がする。


「ただいま~、ご飯食べれた~??」


さくらが(あん)のいるはずのワンルームの部屋に目をやると、そこには…


(あん)を首を掴んで持ち上げる、先ほどの銀髪に赤い瞳の客がいた。


「…!!(あん)!!!」


「おお、もう帰ってきたか。これは妹か?俺の呪いで死にかけてるみたいだな。」


「俺の…呪い…?まさか…あなたは…」


「封印を解いてくれたことには感謝してるんだけどなあ…

 お前に奪われた封印石(ふういんせき)を探しているんだ。早く出せ、妹を殺されたくなければな。」


酒吞童子(しゅてんどうじ)の爪が(あん)の首に食い込んでいる。


「うっ。」


(あん)は苦しそうに顔に汗を浮かべ、顔は真っ青になっていた。


「い、石は持ってないの!回収されて私は持ってない!!」


「ああ?回収?誰にだ。」


「知らないの!!!」


ふと伊吹(いぶき)のことを思い出す。そうだ、連絡先…。


「妙な動きをするな。」


酒吞童子(しゅてんどうじ)(あん)の首を絞める力が一層強まる。


「お願い!!!(あん)にだけは手を出さないで!!ごめんなさい!!!あんな、あんなことしたの謝るから!!!許して!!」


「あんなことって封印を解いたことか?それは感謝してるって言っただろう。

 …石の在処を知らないってのは困るな。うーむ。」


酒吞童子(しゅてんどうじ)はしばらく考えるように空中を見つめる。


「お前、俺の器になれ。それで俺は現世に留まって、封印石(ふういんせき)を探す。お前は妹を助けられる。

 ちょうどいいじゃねえか。」


「器…?私、どうなるの…」


「知らねえ。お前の肉体は俺のものになり、お前の中身は…

 …どっか行くんじゃねえか?黄泉の国とかによ。」


それはつまり…死ぬということ…?


「この妹でも良かったんだけど、身体が弱そうであんま良い器じゃねえな。

 …お前はなかなかいい器だぞ。妖力の流れも綺麗だ。」


私のせいで妹は病気が悪化して、私のせいで鬼に狙われて、私のせいで妹は殺されてしまう。

不甲斐ない姉だ。


「…分かった…。器になるから、妹は殺さないで…」


杏の顔が脳裏に浮かぶ。


あたりは紫色と赤色のオーラに包まれ、身体の中に何か、禍々しく重いものが入ってくる。

そのまま視界が弾けて、意識が薄れてゆく。


霊覇(れいは)ッ!!!!」


部屋の中が轟音とともに弾け飛び、あたりが煙に包まれた。

ドアはこじ開けられ、入ってきたのは怪異対策課 風真 伊吹(ふうま いぶき)だ。

伊吹(いぶき)は部屋の中を一周、確認するもそこに酒呑童子(しゅてんどうじ)の姿はない。

妹とさくらが横たわるのみだ。


「…クソ、禍々しい妖力を感じてきたんだが…

 おい!しっかりしろ!」


伊吹(いぶき)はさくらの身体を揺する。


「二人を一旦保護だ。」


遅れて突入してきた若い男性に妹の方を保護させる。

さくらを抱えようと伊吹が背中に手を回した瞬間、伊吹(いぶき)は頭に強い衝撃を感じた。


恐る恐る頭突きの主であるさくらを確認すると、開かれた瞳は赤く、牙が生え、

頭部には大きな赤い角が2本生えていた。


「…間に合わなかったか…。」


伊吹(いぶき)は再び、突入した際の轟音と風圧の混じった技を繰り出し、

さくら…もとい酒呑童子(しゅてんどうじ)を窓の外へ吹き飛ばした。


(じん)!先に妹さんを医務室へ!!


 俺は酒呑童子(しゅてんどうじ)を捕獲する!!』


無線から指示を受けた、(じん)と呼ばれた若い青年は妹を担ぎ撤退していった。


「お前がまさか酒吞童子(しゅてんどうじ)だったとはな!!だとしたら大した妖力じゃねえなあ!!」


伊吹(いぶき)は空中で三度同じ攻撃を当て、酒吞童子(しゅてんどうじ)をさらに遠くまで飛ばす。


「納得できねえだろ!三大妖怪のアンタが、俺みたいなそこそこの退治屋(たいじや)に狩られんのは!」


「く…!この時代にもまだ退治屋がいるのか…!

 妖力がほとんど残ってない俺を倒して、満足できるのか!?」


「喧嘩は趣味じゃないんでね!さっさと倒せるに越したことねえ!!」


二人は人通りの少ない川岸に着地する。


伊吹(いぶき)が地面を蹴ると踏み込みと同時に空気が爆ぜ、砂利が宙へ舞い上がった。

一瞬で間合いを詰め、掌底を胸元へ打ち込む。


しかし酒呑童子(しゅてんどうじ)は片手で受け止めた。

さくらの細い腕とは思えないほどの重圧が返ってくる。

これも酒呑童子(しゅてんどうじ)の妖力が成せる技だろう。しかし、本来の力はこんなものではないはずだ。


「ほう。人間にしては速いな。」


伊吹は受け止められた瞬間、身体を捻り、連続する体術を暴風のように叩き込むと、

酒呑童子は後退しながら全てを受け流し、二人の足跡は遊歩道のコンクリートを深く抉る。


伊吹が距離を取る。


両腕を交差させ、深く息を吸った。


疾風圧(しっぷうあつ)!!!」


圧縮された風が衝撃波となって放たれる。

河川敷の草が一斉になぎ倒された。


酒呑童子は避けない。

紫の鬼火を纏った右腕で、真正面から受け止める。


轟音とともに風圧と妖力がぶつかり合い、川面が大きく波打った。


「面白い。俺も少し本気を出そう。」


酒呑童子が指を鳴らすと紫の鬼火が十数個、夜空へ浮かび上がった。

次の瞬間、それらが弾丸のように伊吹へ降り注ぐ。


伊吹は後ろにバク転のように体を捻り避ける。

鬼火が地面に着弾するたび、河原が黒く焼け焦げた。


伊吹は再び懐へ飛び込む。狙うのは首でも心臓でもない。

さくらの額だ。


「剥がれろ!」


霊力を込めた掌が額へ触れるその一瞬、さくらの瞳から赤が消えた。


「……あ…ん…?」


直後、紫の妖気が噴き出し伊吹の身体は吹き飛ばされた。

背中から川へ叩き込まれ、水柱が上がる。


「惜しかったな。恐ろしいやつだ。」


伊吹は川の中で立ち上がる。

肩から血が流れていた。


「痛えなクソっ。なら、もう一回だ。」


伊吹の狙いはこのまま酒吞童子を倒すことではなかった。

このままだとさくらの肉体もろとも壊してしまう。


さくらの肉体から酒呑童子を引き離すことが先決だった。

そのためには『霊覇(れいは)』、自身の妖力を放つ妖退治の基本術で相手の妖力を弾く必要がある。

それもさくらの身体に酒吞童子が馴染む前にやらなければ…


全身の霊力が風となって渦を巻く。

河原の石が浮き上がり、水面が円を描いて揺れた。

酒呑童子の表情が初めて僅かに変わる。


「……なるほど。お前がこの娘の身体がどうなろうが関係あるのか?」


伊吹は拳を構えた。


「勝手に身体使われて、好き勝手されちゃその子のダチも家族も可哀そうだろ。」


そう言う伊吹の表情はどこか切なかった。

その瞬間、暴風が河原を駆け抜ける。


伊吹が両腕を広げると河原全体に展開された風が、一斉に回転を始めた。


風牢(ふうろう)!!」


暴風が酒呑童子を中心に収束する。

空気そのものが檻となり、紫の妖気を削り取っていく。

酒呑童子の表情から、初めて余裕が消えた。


「まずい……!」


伊吹が踏み込み霊力を圧縮した掌を、さくらの額へ押し当てた。


「戻ってこい!!」


赤い瞳が揺らぎ、紫の鬼火が身体から引き剥がされるように吹き出した。


「ぐっ……!」


酒呑童子の妖気が、さくらの身体から分離する。

さくらは糸が切れたように崩れ落ち、伊吹はすぐに駆け寄り、その身体を抱き留める。


「大丈夫か!」


意識はない。だが、呼吸はある。

伊吹が安堵した瞬間、河原の反対側で膝をつく酒吞童子の姿が見えた。


元の姿に戻っているが、店で見たときにはなかった角が生えている。

あれは、酒吞童子本来の、鬼の姿。

全身から妖気が漏れ、肩で荒く息をしている。


「……見事だ。貴様、名は?」


伊吹もまた限界だった。

肩は裂け、腕は震え、立っているのがやっとだ。


「……お前はここで俺があっちへ送ってやる。」


酒呑童子は苦笑した。


「いまのお前にはできない。」


伊吹は霊力を練ろうとするが、封印の術式は途中で霧散する。

霊覇や技の連発で、妖力が底をついていた。


「……っ。」


酒呑童子も立ち上がれない。


二人は満身創痍のまま、月明かりの河原で睨み合う。

その時、伊吹の腕の中で、さくらが小さく身じろいだ。

ゆっくりと目を開くと、記憶が断片的に戻ってくる。

さくらは震える声で呟いた。


「私のせいで……あの鬼が……」


伊吹が首を振る。


「今は考えるな。ここから離れるぞ。」


だが酒呑童子が静かに口を開いた。


「離れても無駄だな、封印は既に解けている。俺は新しい肉体を探すだけだ。」


さくらの身体が強張る。


「……あなたは、また人を襲うの?」


酒呑童子は少しだけ目を細め、片側の口角を上げる。


「しかし女、お前なかなか良い肉体だったぞ。

 一つだけ、貴様の意識を残したまま俺が現世に留まる方法がある。」


伊吹は驚いた表情で酒吞童子を見つめる。


「結びか!?冗談じゃない!酒吞童子、お前は超級の妖だぞ!彼女は一般人で妖力なんて使ったこともないんだぞ!!」


「…むすぶ?どういうこと!?」


さくらだけが会話を飲み込めていない。


「結ぶ…つまり人間と妖が力を結ぶ契約みたいなものだ。

 自身の妖力を餌に、妖の妖術を使って戦うんだ。」


「戦う!?私が!?」


「酒吞童子!お前がそのつもりなら他に良い結士(むすびて)を呼んでくる!

 なんでそんなに現世に留まりたいんだ!?」


「封印石に俺の妖力のほとんどが吸われたままだ。あれを取り返さなければ、俺の気が済まん。

 それに貴様が新たな結士を呼ぶのは待ってられん。俺はこの娘が気に入ったんだ!」


「封印石…なるほど。」


伊吹はさくらの方をちらりと見る。


「さくらちゃん、だっけ?酒吞童子の頼みを受け入れてくれないか?

 もちろん危険には晒さないし、しっかり妖力についても教える。」


さくらは息を呑んだ。


「そんなこと……」


「…いま、全国であらゆる妖の封印石を奪い、封印が解かれる事件が多発しているんだ。

 そして漏れ出た妖力で妖も血気盛んになっている。


 つまり俺たち怪異対策課も封印石…というか封印を解いて回ってるやつを探しててな、

 酒吞童子ほどの妖が味方に着くなら願ったり叶ったりだ。」


「俺は退治屋なんぞに協力するつもりもないが、まあさくらの肉体を手に入れることができるならなんだって良いわ。

 お前には守りたい者がいる。妹の名は杏だったか?」


その言葉に、さくらの肩が震える。


「お前が結べば、お前の意識を保ったまま、俺もこの世に残って居られる。

 妹にかけた呪いも解いてやろう。」


伊吹は黙った。封印する力もあちらの世界へ送る力も残っていない。

そして酒呑童子の言葉が事実であることも、戦って理解していた。

長い沈黙の後、伊吹が低く言う。


「……決めるのはお前だ、さくら」


さくらは月を見上げた。杏の笑顔が浮かぶ。

自分が解放してしまった鬼。

逃げても、もう終わらない。


さくらはゆっくりと酒呑童子へ向き直った。


「うち、そんなお金ないからお酒飲めないよ。」


酒呑童子は静かに頷く。


「金など無くても手にして見せるわ。」


「盗む気!?絶対やめて!!」


さくらは深く息を吸った。


「……結ぶ。あなたの結士(むすびて)になる。」


紫の鬼火が二人を包み込む。

河原に巨大な文様が浮かび上がり、酒呑童子の妖気がさくらの身体へと流れ込んでいく。

伊吹はその光景を見つめながら、小さく呟いた。


「最悪の選択だ。一般人巻き込んじまった。

 ……でも、たぶんそれしかなかったな。」


「妖退治って儲かるんですか?」


「人による。」


こうして東蒔(とうまき)さくらは、酒呑童子と正式な「結び」を交わし、結士(むすびて)としての運命を歩み始める。

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