ヴァイアン・ローレンス視点,5
ごくり、と生唾を飲み込んだ。春も始まったばかりだというのに、馬車の中が蒸し暑い。
(動揺している…)
そう、動揺していた。目の前の夢は、手を伸ばしたら消えてしまいそうで、その一線を越えることができない。
「ヴァイアン様、貴方様のお気持ちは…あの日のまま、止まっていらっしゃいますか」
「っ…」
そんなもの、勿論である。結婚式の日、神に誓ったのはサンディーとの永遠の愛などではなく、メアリーを義兄として一番近くで見守る事だった。
そう言いたいのに、思いもよらない事態に、緊張で喉が張り付いて声を出すこともできない。
潤んだ瞳と、細く開いた唇。少し傾げられた首。それらの全ては僕の返答を待っているというのに。
「ああっ」
僕は返事の代わりとばかりに、桃色の唇に唇を寄せた。
ふに、と柔らかい指が僕の唇を制した。
「いけない人だわ」
「…え、」
「気が早いのですね」
「メアリー…殿」
「ふふ、ヴァイアン様」
つ、と細い指が僕の喉元を滑っていく。メアリーは笑っている。額を冷やしていた布が、ぱさりと落ちる。すっかり赤みは消えたようだった。
「あ、その…打ったところは大丈夫だろうか?」
「ええ、もうすっかり。ヴァイアン様の介抱のお陰ですわ」
メアリーは徐に立ち上がり、僕へと身体を預けたので、血液が沸騰しそうになった。「メアリー」と名前をかすかに呼んだ時、がちゃりと扉が開いた。
メアリーはさっさと馬車を降りてから、一人取り残された僕へと向き直った。
(なんだ、身体が寄ったのは扉を開けたかっただけ…)
メアリーはスカートの裾を広げると、美しく膝を折った。
「助けて頂き、感謝申し上げます。お義兄様」
「え、あ、ああ」
「少し遅れてしまいましたが、私はここからセイファー家まで歩いて行きますわ」
「怪我をしているのだ、乗っていったらいいだろう」
「やだわ、お義兄様ったら。セイファー家はもう、ここですもの」
メアリーが指差した塀は、全てセイファー家の所有地である。塀沿いにぐるりと回れば、そこが門なのである。
「では、また後ほど」
「あっ、メアリー殿!」
踵を返すメアリーのドレスがふわりと風を孕む。木々が疎らに影を落とす春の道を、軽やかに歩いていってしまった。
(君は、なんて……)
「ふふっ。お姉様に手紙を書かなくちゃ」
メアリーが何かを呟いた気がしたが、僕にはよく聞こえなかった。
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