ジクリード・ノエルの回想,2
あれは、リュードを見舞った次の日のことだ。
トルソーに着けたグローブを眺めて過ごしていると、窓をコツンと何かが鳴らした。
ここは二階である。きっと鳥か何かだろうと思って振り返りもせず、ただぼうっとグローブの刺繍の針の目を数えていると、またコツリと音がする。
すごく腹が立って、窓を開けて下を覗くと、そこにはリュードが立っていた。
「なんだ、リュードじゃないか。何かと思ったよ。風邪はもういいのか?」
「……」
「何の用だよ。悪いが私は忙しいんだ。今日は遊んでやれないぞ」
「……」
「ああ、見舞いの礼か?律儀だな。サンディーに言われたのか?」
「……」
「おい、黙ってないでなんとか…」
「…姉様」
「あ?」
「ジクリード!これはなんだ!」
リュードが空高く掲げているのは、黒い薔薇だった。
「お姉様は、これを見つけてから様子がおかしいんだ!これはジクリードが寄越したんだろ!?」
「…ああ」
(私たちの愛の証を見つけてくれたんだね、サンディー)
彼女は赤に紛れる黒薔薇を見て、どう思ったんだろう。
きっと、狂おしいほどに私を求めているに違いなかった。
(けれど、リュードの見舞いとして渡した手前、今それを言うのは得策ではない)
「さあ?花屋が間違えて入れたんじゃないか?」
可哀想に、泣きそうになりながら震えている。
私とサンディーを邪魔する奴は、誰であってもこの世にいらない。
「でも!でも…!」
「第一、あの花はリュードの見舞いで送ったものだ。深い意味など、あってたまるか」
そう、サンディーだけがわかってくれれば良いのだ。
「わかったら帰れ。せっかく治りかけているのに、かえって風邪をこじらせるぞ」
リュードが二つ咳をしたのを見逃さなかった。なるべく静かに窓を締めると、また私のかけがえのない時間が動き出す。
遠くに走り去っていく足音が聞こえる。
きっと、サンディーは誰よりも大事な弟をその腕に抱くのだろう。
私は一人寂しくグローブの甲に口付けすると、トルソーに重ねたサンディーが微笑んだ気がした。
(ヴァイアン・ローレンス…!きっと何かの間違いだ。あんな男にサンディーは相応しくない)
廊下の向こうから、小さな足音が近づいてきたのが聞こえてきて、新しく人でも雇ったのかと思う。
(忙しない足音だ。しっかり教育してもらわねば困る…)
その時、突然バン、と大きな音を立てて、扉が開かれた。
おかしい、鍵をかけていたはずなのに、私としたことが鍵をかけ忘れたのかと思うと同時に、信じられない光景に目を疑った。
「…リュード」
「ジクリード!ぼくは騙されないぞ!この花はきっとお姉様に……え?」
(ああ、勝手に入ってきてしまったんだね。そのまま帰っていたら、今頃どんなに安らかに過ごせたかしれないのに)
幼さゆえの愚行で、彼は二度と姉に会うことが許されなくなってしまった。
私はゆっくりと立ち上がって、リュードの肩を掴むと、部屋の中に招き入れて、扉をゆっくり閉めた。今度は鍵をしっかりとかけて。
「帰ったのじゃなかったのか?リュード」
「だって、おかしいもの。いくらお見舞いだからって、ジクリードがぼくに薔薇なんて贈るはずがないんだ」
「君は賢いな、サンディーによく似ている」
「あの黒い薔薇は、一体何?」
「うん、ちょっとしたサプライズさ。おもしろいだろ?赤ばかりだと思っていたら、中に黒い薔薇が入っていたら」
「そうかなあ」
もう、おしまいだ。隠し通せない。なにもかも。
「ねえ、それよりジクリード。なんでお姉様の物がたくさん置いてあるの?このリボンも、このドレスも、髪飾りも、櫛も、口紅も、全部お姉様がなくした……」
「リュード」
「このトルソーの顔、ジクリードが描いたの?お姉様だよね?なんでこのトルソーに、お姉様の物を着せてるの?……あれ?」
「リュード、」
「これは、ダンスパーティーの時のグローブだ。お姉様、探して」
リュードは最後まで、姉のことばかり話していた。
私は、この時の重い音が今でも耳から離れない。
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