メアリー・ノエルの回想,2
生垣からこっそりと覗く、王宮の玻璃の向こう。紳士淑女の謀略渦巻く社交界。
帰宅する両親から嗅ぎ取った、あのたくさんの香りの渦の中を、大人たちが腹の探り合いをしながらポーカーフェイスで泳ぎ回っている。
「お姉様はどこにいらっしゃるの?」
「人がたくさんいるんだ。すぐ見つけられるわけがないだろう」
リュードは、懸命に爪先立ちで覗こうとするけれど、圧倒的に背丈が足りない。暫くするとふんふんと鼻を鳴らし、いよいよ泣き始めてしまった。
「泣くな。バレたら酷い目に遭うぞ」
「ゔわぁぁ…ジクリードの馬鹿ぁ」
「ならなんで着いてきたんだよ。お前もだ、メアリー」
私は、自分勝手な兄に一つ抗議をしようとしたが、やめた。私たちは仲が悪い。どうせ言い争いになる。ここで口論しても仕方がないのだ。私の方が兄よりも大人の考えができる、この時は本気でそう思っていた。
今思えば、リュードと大人しく屋敷に残れば良かったのだけれど。
「お姉様を見つけたら、すぐ帰りましょう。ね?」
「ゔわぁぁぁ…」
「困ったわね。ねえ、お兄様、私……お兄様?」
玻璃の窓を覗く兄の顔の正面が、眩い光に煌々と照らされて、背面が闇に溶け込んでいる。
兄は何かに見惚れるように、目を見開き、口をだらしなく開けている。べったりと窓に張り付けられた両手が、寒空の下で真っ赤に染められていた。
吐息が窓を曇らせた時、兄は僅かに震えた。
(お姉様を見つけたのだわ)
瞬時に理解した。私は、リュードを両手で持ち上げると、
「見える?」
と尋ねた。
リュードは、
「あ!わ!」
と声を弾ませると、鼻水と涙とを袖で拭った。
「貴方を抱き上げているからよく見えないわ。リュード、お姉様はいたの?」
「いた!あのね、くるくるダンスしているの!お姉様が一等綺麗!」
「そう、私も見てみたいわ」
「うん、それでね、一緒に踊っている男の人とすごくお似合いだ!まるで恋人同士みたい!」
「え?」
真横で兄の両手が握り込められる。ぎりぎりと聞こえるのは、何かと思って兄を凝視すると、口の端から血が滲んでいる。
前世からの怨念の相手を呪うかのような顔つき。思わず息を呑んだ。
「おにい……」
その様子があまりにも恐ろしく、声を掛けるのも憚られて自分の声を飲み込んだ。
「お姉様、すごく嬉しそう」
腕の中から嬉しそうな声がして、思わずリュードの口を塞いだ。
「んんっっ!」
あまりの恐怖に息を吐くことが困難になる。ゆっくりと顔を上げると、兄はこちらを見下ろしていた。
全身の血液が全て下に落ち切ってしまったかのような、恐ろしさ。
「あ、」
「……帰るぞ」
まるで大人みたいな大股で歩き出す兄を、リュードが走って追いかけた。
両手が自由になった私は、玻璃の向こうを見つめる。
「…お姉様」
ダンスを終えたお姉様は、頬を赤く染めて、去っていく紳士をじっと見つめている。
それはどう見ても、恋の相手に対する視線だった。
(お兄様が怒ったのは、まさか…)
兄が、サンディーお姉様を異性として慕っていることにはなんとなく気づいていた。けれど、どう頑張ったって、兄とお姉様とは歳が十ほども離れているのだ。お姉様だって、すぐ近くに住む父親の商談相手の息子という以上に、特別な感情があろうはずもない。当然だ。兄だって、まだまだ子どもなのである。
(…さっき、お兄様がお姉様に耳打ちした時、何と言ったのだろう)
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