ヴァイアン・ローレンス視点,16
「…よろしかったのですか?」
「何がだ、ティム」
「奥様のこと…このまま、目を瞑って」
「……」
あの香水も、がちゃがちゃとした装いも、遠慮がちに食事を食べることも、メアリーとの確執も、そのどれもが偽りだった。しかしそれ以上に
(僕は子どもを殺してなんかいなかった…!それどころか、ジクリードが犯人だと!?)
サンディーはそれを知っていながら、十年間ノエル家に潜り込み、僕を殺そうとするジクリードと共に暮らしていた。
(なんのために)
「だ、旦那様…?」
子どもは可哀想だったが、僕が殺していないのならば、これ以上何を関わる事がある?なぜ命まで狙われる?
ぎゅうと拳を握り込む。この屋敷で、僕が子どもを轢き殺したことを知っている人間は限られている。言えるわけがなかった。
(…使用人達の前でそれを追求するわけにもいかぬ)
サンディーの目的がローレンス家に潜り込む事だったとしても、持参金の恩義もある。なにより、十年前の秘密を知っているエイルやサモン、ティムならまだしも、子どもを轢き殺し隠蔽するためとっさに領地に埋めたなどと、若い使用人達に口が裂けても言えなかった。
(ほら、氷の伯爵の異名は事実じゃないかと…そう言われるのだろうか)
サモンがじっと僕を見ている。何か気がついたのかもしれない。けれどこの爺は、だからといって口を滑らすような不義理は働かない。
十年前のことと繋がっているとは思いもしないティムは、何度も僕に意見する。老齢の執事が窘めた。
「やめさない、ティム。旦那様のご判断は正しかった」
「なぜです!サモンさん!」
「ティム」
「っっっ!」
ティムは、納得いかないという顔で頭を下げると、若い使用人達を連れて退出した。
「…そう、ご判断は正しかったのですよ」
噛み締めるように、まるで自分に言い聞かせるように、サモンは反芻する。
「サンディーは…」
「十年前の事件の関係者、ですか。だからとっさに薬でやられた風を装って、記憶錯誤のフリを?」
「…姉だそうだ。僕は、自分の保身ばかりだな」
「良いことです」
「十年前のあの時、決して逃げてはいけなかった」
「領地に近づけないほど、坊ちゃまの心が疲弊してしまっているのなら、あるいはそうなのかもしれません」
「坊ちゃまはやめろと言っているだろう」
「ほほほ」
「みんなの前では主人と呼びながら、サモンはまだ僕を坊ちゃまだと思っているんだな」
「考えすぎです。昔の呼び名が抜けない老人の悪癖と思って、どうかご容赦ください」
僕が「どうだか」と言うと、サモンはにたりと笑った。
「サンディー様は、なぜあんなに汚らしい格好をされていたのでしょうな」
「だから、それはこの家に入り込むためで…」
「そうですか、私には随分と周りくどく思いますな。何もかもが」
「何が言いたい」
「さあて。少なくとも、坊ちゃまはご自分を守ってと仰いますが、私達のために保身に回っていることは承知しております」
「だから坊ちゃまと…」
「おっと、失礼。しかし、目に見えるものがいつも真実とは限りませんな」
「どういう……」
「今日はお疲れでしょうから、また明日ご報告ください」
それからサモンは「今日は寝酒を控えた方がよろしいでしょう」と言って、瓶を片付けると足早に退出してしまった。
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