サンディー・ローレンス視点,2
「サン…ディー」
私へと伸べられた手。いつ汚されてしまうかと、触れられては背筋を寒くさせたその手。
けれどもう、今は怖くない。
「夢から醒めるのは貴方よ、ジクリード・ノエル」
「どういう、こと…」
私は無表情で横たわっている旦那様が呼吸しやすいよう、タイを緩めて上半身を私の膝上に乗せた。
「…残念、ジクリード。私には、貴方のようにべらべらと喋っている時間などないわ」
「何をした…なに、を…」
「そうね、一つだけ教えてあげる。私がどうしてティーポットだけに毒を仕込んだと思ったのかしら」
ハッとしたように、目を見開いてティーカップを見たが全然違うので思わず笑ってしまった。
「本当に…私に対して心身共に気を許してしまったのは貴方の方だわ。ジクリード。じゃなかったら殺したいほど憎い相手にくちづけなどしない」
「ま、まさか……」
「私がいつになく積極的にくちづけしたので驚いた?」
「っっっ!!!」
旦那様が倒れた後、ジクリードから求められた時、口内に放り込んだ錠剤を溶かして、くちづけに応えた。
もちろん、一歩間違えば、自分自身が毒を飲み下す可能性がある危険を孕んでいた。
けれど、この状況でジクリードが私にくちづけを求めるだろうことは分かっていたし、最も怪しまれない方法で仕方がなかった。
「…お喋りは以上よ、ジクリード」
「っっ!サン…サン、ディ…!!!ど、して……」
「どうして?そんなの、貴方が一番よく分かっているでしょう?」
私は、旦那様の下瞼を下げた。目の前で手を翳し、瞳孔が開くのを見て幾ばくか安堵した。
「ジョディー」
私の呼びかけに、扉の前で待機していた庭師のジョディーが音も立てず入室した。
すっかり脱力している旦那様に駆け寄ると、脈を見てから「間も無く回復されるでしょう」と言ったので、ほっと安堵の息をつく。
「申し訳…ありません…旦那様。どうか、お許しください」
絞り出した声で、なんとかそう伝えた。
「サンディー、私に何を…何を飲ませた…何を…!!!」
ジクリードは言葉を紡ぐ度に何度か吐血し、床を赤く染めている。
「こんなこと、許されない!!お前にどれだけ協力し……」
「協力?馬鹿なことを。リュードを殺したのは貴方でしょう?ジクリード」
「…は……?」
思い切り目を見開いて、馬鹿みたいな顔を私に向けている。
「おかしなことを…!おかしなことを!!リュードを殺したのはそいつだ!この十年、そいつに復讐するために…っ、私たちは…!!!」
「悪いけれど、今、貴方とお喋りしている暇はないと、そう言ったじゃない。本当に反吐が出る」
旦那様の着衣を緩めながら早口でそう捲し立てる。
ジクリードは、「この…っっ」と言って動かなくなる。気を失ったのだろう。私はそんな様を見て胸の奥がムカついた。
「ふ、致死量の毒だと思った?残念ね、そんなにすぐ殺してやらない」
聞こえているわけはないけれど、それだけ言って一瞥すると、旦那様をジョディーと二人担いで部屋まで運ぶことにした。
廊下に出るや、「こ、この!!!」とマリエが箒で私を何度も殴りつけた。突然のことに旦那様を落としそうになる。
「だ、旦那様に何を…っっ!!!!」
サモンやエイルも、モップやら塵取りやらを手に、立ち塞がっている。
「人払いしたのに、あんただけこっそり入っていくのでおかしいと思っていたら…!!ジョディー、あんたもグルなわけ!?」
「…落ち着いて欲しい」
ジョディーは努めて冷静にそう言ったが、今度はエイルがジョディーを何度もモップで叩く。衝撃で旦那様がずり落ちていく。
「っっ…!!」
「旦那様をッッ!離せ!!離せぇ!!!」
「やめろ…っ!!」
今度はサモンや他の使用人達が、箒だの塵取りだので私とジョディーを袋叩きにし始めた。
バン、バン、とものすごい音がする。私はまだ弛緩している旦那様に覆い被さった。箒など高が知れているとはいえ、私のせいで傷までつけてしまうなんて自分を許せなくなりそうだ。
(それに…)
もし旦那様に当たってしまえば、彼らの望むところではないはず。それなのに、使用人達は目の前の状況に対して冷静になれないようだ。どうにか主人を守らなければならない、その使命感が故に、完全に混乱している。
「っっ!!」
がっ、と音がした後、攻撃は止んだ。使用人達は震えながら後退りしている。
ぽたり、
一滴落ちた血は、どうやら私の頭から流れているらしかった。
「サンディーお嬢様…」
「お嬢様はやめてと言ったでしょう、ジョディー。頭皮が切れただけ。問題ないわ」
じっと使用人達を見る。彼らはぶるぶると震え、こちらの一挙手一投足に、いちいちビクついた。
「退いてちょうだい。旦那様を部屋までお運びするわ」
「あ、な、何を…!旦那様に何を飲ませたのです」
「筋弛緩剤よ。今は力が入らず脱力しているだけ。毒でもなんでもない。そのうちすぐ目が覚めるでしょう。貴方達、そこにいられては運べないのよ。立っているだけなら退いてちょうだい。手が空いているのなら、手伝って。話はそれからよ」
まるで性格が変わってしまったような私を見て、使用人達はお互いを見つめ合った。
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