ヴァイアン・ローレンス視点,7
「旦那様」
用意した寝酒に、サモンは顔を顰めた。ティムは「サモンさん」とだけ言って老執事の袖を引っ張る。
「…言ってくれるな。これがないと、寝られぬのだ」
「もう、十年の時が経つのです。お気持ちは分かりますが、そろそろ…」
ロックグラスを握りしめて、揺らめく金色の液体を注視した。
サモンの顔を見ることができないからだ。
「…飲まぬと、夢にな…出てくるのだよ」
「もう終わったことです。まだ若い旦那様の為に、父君は躍起になって…」
「そう、躍起になって揉み消した」
「坊ちゃま…!!」
「やめろ、サモン。僕はもう、この館の主人だ」
「…おいたわしや」
「放っておいてくれないか」
サモンは、涙をいっぱいに溜めた目を僕に向けると一礼して去った。
「生娘を喰らう、氷の伯爵か…」
気まずそうに頬を掻くティムは「その異名」と細く口を開く。
「私がここで働く前から、聞き及んでいましたから…。両親には随分心配されましたよ。今だから言えることですが」
「妙な噂は十年前からだからな。ちょうどあの頃と合致する。誰かが見たのだろうよ」
「誰かって…」
「さぁな。…その異名のせいで、父は翻弄されたんだ。僕があの日、遺骸を抱く姿を見た者がいるのだと、口止めする為随分と金を配った。やめろと言っても聞かなかった。放っておけば良かったんだ」
そのせいで、今度は氷の伯爵の噂をすれば金が貰えるなんておかしな噂まで出回った。だから、あれよあれよと言う間に、僕は恐ろしい噂の張本人に仕上がったのだ。
「…こんなことを言うのは気が引けますが」
「なんだ。申せ」
「旦那様だからこそ、奥様のことを理解してあげられるのじゃ…ないですかね。奥様だって、もっと旦那様のことを知れば…」
「僕のことを知る?十年前、僕が馬で轢き殺したことをわざわざ言えと?」
「隠したって、そのうち知れるでしょう。それより、氷の伯爵の真相だってただの噂だと説明できるじゃないですか」
「襤褸を着た子どもだ。所詮炭鉱労働の餓鬼だろう。あの辺はそういうのが数え切れぬほどいたからな。わざわざ探されることもない子どもを深く深く埋めたんだ。知れることか。お前達が言わない限り」
「っっっ!!」
ちろりと寝酒を舐めた。度数が高い。
「……なぜだろうな」
「え…?」
「サンディーは僕のことをあまり嫌厭しているようには感じない。噂を信じている女は、恐怖の眼差しを向けるし、そうではない女は意味ありげな視線を寄越すんだ。けれどサンディーはそのどちらでもない」
「旦那様、良い意味でも悪い意味でも目立つから…」
(初めは、あの女にしてみれば、結婚できるだけありがたいことだろうと思っていたが…)
あの派手派手しい格好も、酷い香水の匂いも、やむなくそうしているかのようなことを言っていた。
「なんなのだろうな、あのサンディーという女は」
「…良かった」
「なんだ。何がだ」
「奥様に対して、少しずつ理解しようとされていることがです」
「もしかしたら、僕の噂のように、サンディーの噂もほとんどは作り話なのかも知れないと思っただけだ」
「なら、これからはメアリー様への手紙の受け渡し係は降りさせて頂きますよ」
「おい、ティム」
「エイルさんやマリエ達から尋問されるのは私なんですよ!?」
やっと、手に入りそうな花がそこにあるというのに。
(サンディー、お前は二度も僕の邪魔をするのか)
メアリーから求婚を断られたことも。今やっとメアリーとの関係が始まったばかりなのに、早くも暗雲が垂れ込めていることも。
全部あの女のせいだ。
「お前達はそうやって騙されているのだろうよ。サンディーは、可哀想な自分を装って同情を誘っているだけ。あまり気持ちを持っていかれるな」
「旦那様!」
「お前の主人は誰だ」
「っ…!」
まだ成長期のような肩を、ぽんぽんと叩いた。
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