前半、侍女・マリエ視点 後半、ヴァイアン・ローレンス視点
「っっっ!!!」
つぎはぎだらけの手紙が拳の中に握り込まれて行く。
旦那様の動揺は当然だった。メアリー様は当てつけのように、自身が旦那様と愛人関係にあることをこともなげに暴露したのだ。
子どもがおもちゃを自慢するように、悪びれた様子もなく。
(捨てた手紙を旦那様に見せてしまうなど、あとで奥様に叱られるに違いないわ…それでも…!)
それでも、私たち使用人はその選択をした。鞭打ちだってなんだって喜んで受けよう。
「…っっ!!もう良い!」
「旦那様、どちらへ…!?」
「夫が妻の寝室に行くのに何の理由がいる!」
私たちは血相を変えて大きな歩幅の旦那様の後を追いかけた。
「お待ちください!」「旦那様!」
それでも聞かずに、長い廊下をずんずんと歩んでいってしまう。
「旦那様…っ!」
「…さっきから、この屋敷の主人である僕に対して随分な態度だな。全員まとめて解雇したって良いんだ」
たったその一言で、使用人は全員青ざめて立ち尽くしてしまった。
ノックもそこそこに、旦那様はふんと鼻を鳴らして、ぶっきらぼうに扉を開くと中に消えていってしまう。
「ど、どうしましょう…解雇だなんて…」「うちにはまだ幼い弟もいるのにっ…」「やっと借金を返すことができて、ローレンス家がこれからという時に…!!」
使用人達の間に動揺が流れる。それを一喝したのは侍女長のエイルだった。
「皆、奥様をお守りする為に一丸となったのを忘れましたか」
「っっ!!」
「…夫婦の寝室に張り込むなどという無粋な真似はできませんが、廊下の隅で掃除をすることの何がいけないのでしょう?」
ニヤリと笑ったエイルに、みなが頷いて進展を待った。
✳︎ ✳︎ ✳︎
サンディー、僕は君を嫌悪していた。
無駄に着飾った出立と、香水瓶を叩き割ったようなむせ返るような香りと、その香りよりも更に酷い醜聞に塗れた女。
それが…
「サンディー」
ベッドに横たわった僕の妻は、閉じていた目を細く細く開けて、こちらを向いた。
「っ…」
強烈な違和感を覚える。
(この女は、本当にあのサンディーなのか?)
頭が目の前の状況を理解するまでに数秒を要する。
その姿が、息を呑むほどに美しかったからだ。
(馬鹿な、何を動揺することがある…だが…)
認めたくはないけれど、メアリーとはまた違う美しさを放っている。
(ああ、そうか、侍女達の世話の賜物…)
磨けば光るというより、無駄なものを排除し、削ぎ落とした洗練された美しさ。
「旦那様…これは、夢でしょうか?」
「…は?」
「やっと、私を名前で呼んでくださいました」
ずん、と重たく心臓が跳ねる。痛いくらいに鼓動が高鳴るのだ。
(なんだ、これは…)
初めての感覚だった。
メアリーの髪に触れても、手を繋いでも、見つめ合っても到底得られる感覚ではなかった。
僕は、快楽と興奮が混ざったような強烈な情動に突き動かされて、思わずその頬に触れた。
「そんなことは…ないだろ」
「いいえ、そうですわ。だって、旦那様は私のことがお嫌いでしょう?」
「っっ!…ああ、そうだよ!嫌いだね」
ふ、と寂しげに微笑むサンディーは、頬に触れた手を愛おしそうに両手で包み込む。どうしようもなく胸が痛んだ。
(こんな意地悪を言いたいのではない)
「すみません、せっかくこうして訪ねて下さったのに。体調が優れぬのです」
「エイル達から聞いた。屋敷でのんびり暮らす君がどうして体調を崩すんだ」
「…申し訳ありません。ふふっ」
「なっ…!なぜ笑う!」
「旦那様なりに心配してくださっているのでは…と」
(そうだ、そうなのだ)
エイル達に責められて、後に引けなくなってしまっただけ。好き合って結婚したわけではないけれど、体調が優れぬのなら、気にもなる。ただ様子を見に行ったって良いじゃないか。
けれど、怒りの中にある別の感情を、今は認めたくなどなかった。引き下がれなかった。
長く勤めているエイルでさえ気付かなかった感情の機微を、なぜひと月しか共に暮らしていない君が感じ取れるのだ。
(君は、一体…)
「〜〜〜っっ!僕はただ、一週間後に開かれるドストイット家の茶会に、君も伯爵夫人として参加してほしいと伝えに来ただけだ。この後、すぐに返事を書かなければならないのでな」
「一週間後、ですか…?」
「分かっているだろうが、できるだけ君は目立たぬように振る舞ってほしい。それ程にサンディー・ローレンスは注目の的なんだ。悪い意味でな」
「勿論、心得ております」
「っ!」
(心得ているだと!?ならばなぜ…)
僕の疑問は一気に噴出した。
「ならば、どうしてチグハグな格好をしたり、鼻が曲がるほどの香水をつけたりしていたんだ!その上男を取っ替え引っ替えして…」
「そう、それ」
「な、なんだよ」
「そんなにヘンテコな女が、どうして男性を取っ替え引っ替えすることができたと思うのです?おかしいとは思いませんか」
「君がふしだらだからだろう!今だってどうせ僕に隠れて愛人の一人や二人…」
「愛人を抱えていらっしゃるのは、果たして私でしょうか、それとも」
(っっっ!そうか、メアリーの手紙…!!)
「う、浮気は男の甲斐性だろう」
「あら、浮気は旦那様お一人がしていることですか?色恋は必ず二人でないとできないことですのに」
「なっ…」
この女は、本当にあのサンディーなのだろうか。だらしなくて、ふしだらで、知性のかけらもないはずの女。
「旦那様から見ても私は魅力的ではない女です。それがどうして愛人を囲うなんてことができると思うのですか。ましてや社交界で醜聞に塗れた私と積極的に関わりたい殿方など、本当にいると思われますか?」
ベッドから起き上がったサンディーの、鋭い目線に耐えられなくなる。
「何が言いたい」
「メアリーは私のことを何と言っていましたか?」
「僕とメアリーが結ばれるなんて許されない、そう言われたと聞いている」
「旦那様はその言葉を信じているのですね」
そう問われて何も言うことができない。実際のところ、どうなのだろう、と。
「例えばそう…私の醜聞は、捏造だとしたら?」
「なっ…おかしなことを」
「チグハグなコーディネートも、酷い匂いの香水も、仕方がなくしていたことだとしたら…?」
「だとしていったい誰が得をする!?」
「得?損をする人物がいるじゃありませんか」
「損…?」
ハッとする。馬鹿な女だと思っていたサンディーの、全てを悟ったような強い視線にたじろいだ。
「それは…」
「それはそう、私」
「っっっ!くだらん!話はそれだけか!?」
「いいえ。それだけではございませんわ」
「は?」
肩透かしを食らった気分になって、ドアノブにかけた手をだらりと落とした。
「今度はなんだ!?」
「一週間後のお茶会ですが…私は旦那様のお供はできません」
「なんだと…?ただ屋敷の中で時間と金を食い潰している分際で…伯爵夫人の勤めも満足にできないのか!?」
「その日は、兄が帰ってくるのです」
ぴくり、と反応する。そう、確かサンディーには王立学校に通う兄がいたはずである。サンディーは懐かしいものを見るような目で、遠くの方を見つめた。
「急に結婚が決まったことを報せたので、夏季休暇を利用してこちらに帰ってくるのです。兄が、ぜひお祝いをしたいと」
「それならばなぜもっと早くに言わぬのだ」
「旦那様はお仕事が忙しいご様子。なかなかお会いできませんでしたので、今日こうして伝えることができて良かったですわ」
(仕事…)
時間に余裕があれば、メアリーと会っていたし、別に領地がどうだろうとあまり気にもならなかった。
父上の時からの借金も返し終えたことだし、管理者が適当にうまく回してくれているんだろう。ならば後は上がる一方ではないか。
(まてよ、サンディーの兄が帰ってくるのなら、メアリーと会うのも暫くは難しいのか?)
「…まあ、そうだな。兄君が帰ってこられるならば、僕も挨拶をしなくてはならないな」
「まあ!それはありがとうございます」
(手土産に、名産の一つや二つ渡しておけばいい)
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