第25話:偉大なる聖人、その名は……
「さて……どこから話したものかねぇ……いや、本当に困るんだよ、この話は。
真面目な歴史の話のはずなんだが、途中から妙な方向へ転がっていってしまってねぇ……。
……ともかく、順を追って話すとしようか。
――その現れた来訪者は、かつて祈りの最中に現れた来訪者の再来だとされ、人々に驚きと歓声をもって迎えられた。
亜人達に“暗黒の時代”と呼ばれた三百年――その終わりをもたらす切っ掛けとなった男がね。
その男の来訪を、一番喜んだのは時の権力者達と教会の上層部だったろう。
権力者達は、亜人への支配を更に正当化できると考え、教会の上層部は、更なる権威と求心力を求めていた。
なにせ、祈りの最中に現れた“神の御使い”の再来だ。
利用しない理由が無かったのさ……」
歴史的に凄い人なのは分かるんだけど、師匠の最初の言葉がどうにも引っ掛かる……。
ちらりと横目でお父ちゃんを見ると、真剣な眼差しで話に聞き入っていた。
……なのに私は、どうしても“ケモナー”という単語が頭から離れなかった。
「来訪者は自身を――ジョン・ドーと名乗った。
聖職者たちは、その名を聖なる名と崇めた。
そして人々は、彼の持つ知識や文化――果ては、その価値観までも欲した。
神の御使いと称えながら、その口では己の欲望を隠そうともしない。
……だが来訪者は、それら全てを笑顔で受け止め、己の持てる知識や技術を惜しげもなく与えた。
――かのように振る舞い、ほくそ笑んでいた。
純粋で無知な者を演じることで、近づいてきた者の心の内に気付かれぬように入り込む。
群がる浅ましき者達よりも、彼のほうが何枚も上手だったのさ。
そんなやり取りが続いたある日、気晴らしに歩いていた通路の先に彼は見つけたのさ。
――獣人を」
……なるほど、ここからか。
ここから“伝説”になってしまったのか。
少しだけ、師匠がこの話をしたがらなかった理由を理解できた気がした。
「そして、彼は驚きを必死に隠し、話しかけようとして――気付いてしまった。
その余りにもみすぼらしい姿に。
二の句も告げられずに固まっている彼に気付いた獣人は、恐怖を滲ませた顔で頭を下げ、まるで逃げるように去って行った。
自分が恐れられたという事実に、彼は衝撃を受けた。
そしてたまたま通りかかった司祭を捕まえ、普人以外の種族の事を聞き出そうと問いかけたのさ。
司祭から聞かされたのは、多分に脚色されていたであろう歴史だった。
それを知った彼は愕然とした。
そして――この日から、積極的に人と関わるようになっていったんだ」
……違和感というか、疑問が湧いてきた。
なんで師匠はまるで見てきたように語れるのだろう?
「……なんでししょうは、そんなにくわしいの?」
「ん? あぁ、異世界の言語で書かれた彼の手記が百年程前に、翻訳されたんだよ。
皮肉なことに、彼の没した後に熱狂的な当時の信者が、日記だとは思わず、“聖なる言葉”として写本を作ることを修行の一環として広めたんだ。
それに共感したり、感銘を受けた者達の間に瞬く間に広まっていたんだ。
――詐欺の手口のネタばらしだと知らずにね。
しかも写本は数百年の間に大量に書き写され、庶民でも簡単に手に入るほど広まっていてね」
なるほど、だからそんなに詳しかったのか。
まるで、隣に居たかのように語るから、逆に気になってしまってたけど、それなら納得だ。
「さて、話を戻そうか。
その日から彼は自身を”ジョン・ドー・ケモナー”と名乗りだした。
そして身分あるもの達――王族や貴族、聖職者、豪商に接触し、どんな事でも相談に乗ると声を掛け始めた。
――彼は、言葉巧みに権力者達の心の内に入り込み、やがて心酔させていった。
“御使い”という肩書を上手く利用してね。
特にご婦人方に人気で、お茶会の誘いが頻繁にあったそうだよ。
だが当然、そんな来訪者を警戒する者達もいた。
……これは彼の手記から見た、あくまで私の推察だが―― 一時、未亡人が増えたらしい。
特に、彼を強く警戒していた権力者達のね」
……そこまでするのか。
いや、もうそこまでしないと根付いた価値観は引っくり返らないのかもしれない。
「……アリス、のめ」
お父ちゃんが、水を私の前に置いてくれた。
気づけば、喉がひりつくほど乾いていた。
水を一息に飲み干す。
ようやく、少しだけ呼吸が整う。
「おとうちゃん、ありがとう……ししょう、つづき、おしえて」
「では、続けよう。――そうした地道な活動を数年、続けていたんだが、やがて教会内部で彼を“聖人に”という声が上がり始めたんだ。
……もっとも、これには裏があってね。彼は密かに亜人と接触していて、彼等の間で万能薬とされる珍しい薬草を融通して貰っていたんだ。
これがどういうことか、分かるかい?」
「……びょうきのちりょうと、ひきかえ?」
「正解だ。そう、彼は言葉だけではなく、万能薬と言う希望を携えて教会の上層部に囁きかけたのさ。
――この薬草を育てられるのは亜人のみ、その亜人達を粗雑に扱えば、やがて“万能薬”も失われる――とね。
当初、そんな言葉は一笑に付されて相手にもされなかった。
だが、教会が密かに確認させた結果、その薬草はおろか、薬の製法すら誰も分からなかったのさ。
その事実を知った当時の教皇は、自身に降りかかっていた病を恐れ――彼を“聖人”へと押し上げたのさ」
「……すごい」
凄い、あまりにも綱渡り過ぎる行動なのに、恐れを感じないのか……。
一体どれほどの覚悟があれば、ここまで出来るのだろうか。
私にもそれほどの覚悟が必要なのかもしれない。
「いや、まぁ……凄いのは、凄いんだけど、ねぇ。
……それは最後に話すとしようか。
こうして彼はついに、”聖人ジョン・ドー・ケモナー”として称えられることとなる。
元々、“神の御使い”と呼ばれていたのもあって、聖人認定しやすかったんだろうね。
聖人の地位を手に入れた彼は人々に神の言葉として、平等を説き始めた。
――曰く、互いの想いを伝え合える者を隣人とせよ、そこに見た目や美醜の垣根無し、それが例え亜人と呼ばれる者達であろうとも とね。
この言葉に感化され、支持しだしたのは意外な事に、下々の者達からだった。
亜人にも権利をと声高らかに街を練り歩く人々、それを抑え込もうとする権力者達はごく僅かだった。
大多数はすでに彼の言葉に魅入られていたからね。
だから、教会や権力者達も気付けば既に、亜人の扱いを変えるほかない所まできてしまっていた。
そうして、亜人達は徐々に自由を得ていったのさ」
でも、それだとお父ちゃんが街に入りづらい話と繋がらない。
……まだ何かあるのだろうか。
「……気付いたかい? そう、結局は一時の熱に浮かされただけの流行りだったんだろうね。
千年以上もの間に染みついたモノは、そう簡単に消えるものじゃない。
根っこの部分では、それこそ未だに、亜人を見下している事を隠そうともしない連中すらいるほどだ。
だが、”種は蒔かれた”
彼の聖人が蒔いた種は、着実に根を張りだしている。
その証拠に僅かだが、街に暮らし、商売を営む亜人達もいる。
とは言え、大多数は街の外の所謂”悪所”と言われる場所で暮らしているがね。
まだまだ、厳しい冬のような時代だ。
だが、いずれ――アリス、君のいた場所のように文明が進めば、あるいは、ね」
……私のいた場所だって、結局は大小こそあれ、そういうものが無くなったわけじゃない。
それでも、やっぱり、そこから始めなければ何も始まらないのかもしれない。
「ここで――ようやく、最初の、グリムと街の話に戻るわけさ。
普人、亜人、幻想種。
今でこそ、同じ街で暮らす者達もいる。
だが、その根っこの部分には、こうした長い歴史が積み重なっているんだよ」




