事故物件ファイル3 過去の栄光にすがる男
その男、伊集院遥は、成功を絵に描いたような人生を歩んでいた。若い頃、起業した会社はあっという間に上場し、成功者として世間から注目を浴びた。
その後、美女と結婚し、タワーマンションの最上階に住む。
誰もが羨む「完璧な人生」。
だが、すべては一瞬で崩れ去った。
会社は突然倒産し、妻は家を出て行き、気づけばゴミ屋敷のようなタワーマンションの最上階に一人きり。
人々は彼のことを忘れ、彼自身も過去の栄光に縋りつくことしかできなくなった。
小林と千堂がそのタワーマンションの部屋を訪れた時、伊集院はソファにうなだれて座っていた。
部屋はゴミで散乱し、窓は開けられたままだった。
「…この部屋が悪いんだ」
伊集院の声はかすれていた。
「俺がこの部屋に引っ越してから、俺の人生は転落した。」
千堂は静かに部屋を見回しながら言った。
「そうでしたか。では、この部屋を片付けて、貸すなり売るなりしましょう。」
「早く売りたい…どうすればいい?」
伊集院は無気力に答えた。
「部屋がゴミだらけだと、売れませんし、貸すことも難しいですよ。」
千堂は冷静に告げた。
「わかりました…片付けます。」
伊集院は顔を伏せ、そう告げると、どこか遠くを見つめた。
それから何日も経ったが、伊集院から連絡は来なかった。
小林はちらっと千堂を見て言った。
「あのタワーマンションの人、まだ連絡ないな。」
千堂は眉をひそめた。
「あの人、過去の栄光にすがってるんだろうな。タワーマンションは成功者の証だと思っている人もいるし。」
小林は、冷たい目を窓の外に向けた。
「でも、それも今や…」
言葉を切った小林は、何かを思い出したかのように首を振った。
◆ ◆ ◇ ◇
◆ ◆ ◇ ◇
その夜。
千堂は、夢を見た。
■高い。
■あまりにも高い。
気づくと、彼女はタワーマンションの屋上に立っていた。
風が強い。
いや――
風ではない。
下から、何かが吹き上げている。
見下ろす。
地面が、遠すぎる。
街の光が、歪んで見える。
まるで――
底のない穴を覗いているようだった。
「……やめろ……やめろ……」
声。
振り向く。
伊集院がいた。
だが。
“人間”ではなかった。
スーツはボロボロに裂け、
体はやせ細り、
目は落ちくぼみ、
口の端が裂けている。
そして。
背中に――
大量の“何か”が貼りついていた。
「……返せ……返せよ……」
それは。
賞状。
株価チャート。
新聞記事。
雑誌の表紙。
かつての“栄光”だった。
それらが、皮膚に食い込んでいる。
ベリ……
一枚、剥がれる。
その下の皮膚も、一緒に剥がれる。
血が滲む。
「やめろおおおおおお!!」
だが止まらない。
背中の“栄光”が、自ら剥がれ始める。
ベリベリベリベリ……
「やめてくれええええええ!!」
伊集院は絶叫する。
「俺の人生なんだ!!俺の!!」
だが。
剥がれた“栄光”は、
空中に浮かび――
黒い手に変わった。
無数の手。
それが、伊集院の体に群がる。
「やめろ!!返せ!!それは俺のだ!!」
手は、容赦なく引き剥がす。
皮膚を。
肉を。
記憶を。
「うあああああああああああ!!」
叫びながら、伊集院は後ずさる。
気づかない。
もう、後ろに“何もない”ことに。
千堂は叫ぶ。
「危ない!!後ろ――!!」
その瞬間。
伊集院が、振り返る。
そして。
足を踏み外す。
「――あ」
落ちる。
だが。
すぐには落ちない。
宙に、引っかかる。
見ると。
首に。
黒い手が絡みついている。
一本じゃない。
十本。
百本。
無数の手が、首を掴んでいる。
「いやだ……いやだ……」
泣いている。
涙が、空へと落ちていく。
「俺は……成功者なんだ……」
その言葉に。
手が、強く締まる。
ギチ……ギチ……
「ちがう……ちがう……」
伊集院の顔が歪む。
「返してくれ……俺の……人生……」
その瞬間。
手が、一斉に引いた。
グンッ!!!
下へ。
伊集院の体が、引き裂かれるように落ちる。
だが。
落ちている最中も。
無数の手が、体にまとわりつく。
引き剥がす。
引き裂く。
削ぎ落とす。
「やめろおおおおおおおおおお!!!!」
叫びが、遠ざかる。
どんどん。
どんどん。
小さくなる。
そして。
音が、消えた。
◆ ◆ ◇ ◇
「……返して……」
静寂の中。
耳元で。
囁き。
「俺の……栄光を……返して……」
◆ ◆ ◇ ◇
「はぁっ!!」
千堂は飛び起きた。
息が荒い。
全身が冷たい。
震える手で、首に触れる。
何もない。
だが。
窓の外。
高層ビルの灯り。
その一つが。
一瞬だけ、“人が落ちる影”に見えた。
◆ ◆ ◇ ◇
翌日。
伊集院の遺体が発見された。
彼はバルコニーから身を投げ、エントランス横の駐輪場の屋根に突き刺さっていたという。
その日の夜、千堂と小林はオフィスで静かにニュースを見ていた。
小林が冷徹に呟く。
「ゴミも栄光も捨てられなかったか。」
千堂は答えず、ただ黙ってスクリーンを見つめていた。
しかし、そのときだった。
テレビの画面から、伊集院の死因に関する追加情報が流れた。
「…発見された場所は、かつて彼が『最も栄光を感じた場所』だったそうです。」
アナウンサーの声が続く。
小林の目が鋭くなった。
「…栄光、か。」
その声に混じった、どこか冷徹な響きに、千堂は背筋が凍った。
その瞬間、部屋の空気がぴりっと変わった。
薄暗く、ひんやりとした風が部屋に吹き込んだように感じた。
「伊集院さんはきっと、最後の一歩を踏み出す前に、何かを感じていたんじゃないかな。」
小林の言葉は、どこか遠くのものを見つめるような、冷たいものだった。
千堂は恐る恐る聞いた。
「何を感じたんですか?」
小林は振り返り、目を細めて言った。
「栄光にすがることが、どんなに怖いことかってな。」
その瞬間、部屋の窓が、突然ガタガタと音を立てて震えた。
二人は驚いて顔を見合わせた。
外では風の音が強くなり、部屋の中にまでその冷たい風が入り込んできた。
「……上に登るほど、落ちた時は派手だからな」
そして、背後から何かが囁くような気配がした。
「返して…返してよ…」
千堂は振り返ったが、誰もいなかった。
小林は無表情で言った。
「…過去にすがりつくことが、どれだけ怖いことか…」
そして静かに歩き出すと、扉を開けて外へと向かった。
その瞬間、私の再び背後で「返して…」という声が響いた。
その時。
オフィスの窓。
ガタッ……
わずかに揺れる。
外には、何もいない。
だが。
ガラスに、うっすらと。
“手の跡”が、上から下へと滑っていた。
まるで――
誰かが、落ちながら掴もうとしたように。
事故物件ファイル3 過去の栄光にすがる男 エンド




