第十二話 「暗躍」
「少々まずいね。これは」
場面は変わり、練兵場の観覧席。何席もある中の一席におとなしく佇み、面頬の隙間から見えるその鋭い目で眼下に広がる風景を見る彼は、小さくそう呟いた。
「これは……やりすぎだろ」
「異様だ。これは決闘……なのか?」
「ステルベン様は、いったいどうなされたのか」
「うぷっ。ちょっと俺便所行ってくる」
凄惨な光景に吐き気を催したのか、騎士の一人が大急ぎで便所に向かっていった。それを横目に、彼はため息をつく。
異様な空気感が、辺りに漂っていることが分かる。周りの者たちも目の前の景色に、ざわざわどよめきあっているからだ。
騎士の中の騎士、騎士の頂点に立つ存在、王直騎士が人前で決闘をやるというのだから、これに興味をそそられない者はいないだろう。だが、実際に来てみればこれだ。
目の前に広がっているのは、圧倒的な強者と弱者の残酷なやり取り。すなわち蹂躙だ。ものの一分の間に、一方が殺され、生き返り、また殺される。その繰り返し。
鮮血が舞い、臓腑が飛び散り、ラデスという存在のすべてが次々に破壊の一途を辿る。そんな光景を見て気分が悪くならない者などいないだろう。
別に彼らの全員がラデスを知っているわけではないし、ラデスと友人というわけでもない。彼らから見たラデスは、赤の他人、ただの一介の冒険者だ。
だが、それでも。
「さすがに、趣味が悪すぎんだろ……」
観覧する大衆の中の誰かがそう言った。
実際の所、そう言うしかないのだろう。いくら知らない人だからといって、その人が虐められているのを見るのは胸糞悪い。
それでも目の前の決闘から目を背けない彼は、大衆の会話に耳を傾けた。
「ど、どうする? 助けに行くか?」
「いや、やめておいた方がいいだろ。ステルベン様に何されるか分からんぞ」
「まあ、確かにそうだな。それに」
「誰か、止めに行ってくれるだろ」
確かにこの惨状を見続けるのはきつい。そのためか目を背け、顔を俯き、練兵場から去る者はそう少なくは無かった。
だが、反対に助けに行こうとする者はいなかった。単純にステルベンという上司に逆らいたくないという気持ちもあった。
それよりも、彼らは圧倒されたのだ。普段のステルベンは少々厳しい所はありつつも、優しく、気高く、それでいて騎士としての誇りを十二分に携えた人物だった。少なくとも、悪戯に命を弄ぶことなど絶対にしない。
だからこそ、あり得ないのだ。目の前で無意味な殺戮の限りを繰り返す彼を、ステルベンと信じることが出来ないのだ。鬼気迫る様子の何かが、ステルベンの形をして暴れまわっているようにしか思えないのだ。
それを見て、委縮しない者はいない。だから、彼らはこの場から動けない。だから、「誰か任した」と皆が心の中で思う。
互いが互いを信じた故に、起きてしまった悲劇。互いが互いに譲り合った故に起きてしまった悲劇。
騎士から、見るだけの『傍観者』へと──。
「……」
騎士たちの会話を聞くのをそこで打ち止め、彼は席を離れて歩き出した。大衆を無言でかき分け、彼は練兵場の出口へ向かう。
「失礼致します。ドラコルド様」
不意に後ろから、彼、──ドラコルドを引き止める一声が発生した。振り向いて見ると、練兵場の警備をしている一人の騎士だ。
深く敬礼をしつつ、その騎士は彼に話しかける。
「ん? なんだい?」
「差し出がましい様ですが、ドラコルド様はどこへ行かれるのでしょうか。あと、もし自分が手伝えることがあれば何なりと」
背筋をピシッと正し、ドラコルドに協力することを厭わない姿勢を見せる目の前の騎士。そんな彼の生真面目さに心を打たれたのか、ドラコルドはクスッと笑みをこぼし、
「心配はいらないよ。君はいつも通り、通常の業務に勤しみなさい。」
「は、はい!!」
ドラコルドの社交じみた激励にも、大声で返事をする目の前の騎士。気概もやる気も十分。もしも彼が新米騎士であれば大型新人といった所であろうか。
「はは、君は真面目だね。どこの所属だい?」
「え、あっ。西区騎士隊所属、二級騎士、ラスカル・ベレットです! あっ、名前は別に云わなくて良かったですね。す、すいません」
勢いあまって所属だけでなく、名前を明かしてしまったラスカル。忙しない様子で謝罪した彼に、苦笑交じりの声でドラコルドは、
「ふふ……ラスカル君ね。覚えておこう」
「あ、はい! あるっ、ありがとうございます!」
「ははっ。本当に君はバカ真面目だね。その殊勝な心がけを忘れないようにしなさい」
「はい!」
大きな返事と共に再度びしっと敬礼。その会話を皮切りに、ラスカルは走って持ち場へ戻っていった。
その姿をドラコルドは、面頬の隙間からじっと見つめ続ける。
「本当に、恐ろしい」
そのくぐもった呟きは、彼以外の誰も聞くことは無かった。
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「はぁ。ラデスさん、大丈夫かなぁ」
場面は変わり、ローザの道場。
深いため息をつきながら、メイナは騎士たちに連れていかれたラデスに憂いの念を馳せていた。
「いや、早くあいつを助けに行こうぜ! メイナさん!」
「あ、いや、う~ん」
メイナの心配をよそに、彼女の奮起を促すノヴ。彼はラデスを助けに行くつもりマンマンなのだろうが、メイナの気分は乗らない。
別に彼女がラデスを救いに行きたいというわけではない。その気持ちならもちろんあるし、もしかしたらノヴのそれよりも大きいかもしれない。
だが、王城に連れていかれた彼を助け出す手段などあるだろうか。その答えは確実に否だ。あそこはこの国で最も警備が厚い場所。簡単に冒険者を通してくれるとは思えない。
王城に無断で忍び込むのもあまり現実的ではない。そもそもそんな抜け穴が存在するわけがないし、何より見つかった時のリスクがでかすぎる。
加えてラデスの現在位置がどこか分からないのも問題点だ。彼女が王城にいるというのも実は間違いで、もうとっくの前にどこかへ移送されているのかもしれない。
それとも、もうとっくに処刑されていて──。
「いやいや、そんなことない……よね」
頭をぶんぶんと振り、嫌な妄想をかき消すメイナ。だがそれによって生じた不安は消えたわけではない。
「はぁ。本当どうしよう……」
「そんなにため息ついてても何も変わんないって! ほら、早く行こう!!」
かれこれ十数回目のため息。気落ちし続けるメイナの服をノヴはぐいぐいと引っ張り、強い救出の意志を見せる。
こういう時、子供は本当にすごいと思う。何物にも恐れないメンタルに、すぐさま意志を行動に移す行動力。どれも、大人になるうちに徐々に無くなっていくものだ。
「私も、大人になっちゃったなぁ」
そんな独り言をこぼし、メイナは自分の子供時代に思いを巡らせる。
あの頃は楽しかった。両親と一緒に喋って、元気に走り回って、充電が切れたように眠って、ベッドの中で「次の日には何が起きるかな」なんて想像したりして。ずっとずっと、こんな毎日が続いていくんだと思っていた。
でも、みんな無くなってしまった。不意にみんな消えてしまった。残ったのは、自分の命と形見の枯れない花だけ。
そう、あの日々にはもう戻れないのだ。あの麗しき過去にはもう、戻れない。
「……そうだよね」
だったら、今くらいは守りたい。まだ間に合うかもしれないのなら、まだ助けられるかもしれないのなら、まだ守ることが出来るかもしれないのなら。
「……行こう」
正直、救出は不可能に近い。救出したとしても、その後がどうなるか分からない。二人そろって国内指名手配になってしまうかもしれない。
「いや」
未来の事を考えるのは後だ。今は彼を助けることを考える。その後は、その時にでも考えればいい。
覚悟はもう、決まったのだから。
「じゃあ、ノヴ君。私行ってくるね」
「やっとか! よーし! んじゃあ、俺も」
「だめ。私一人で行く」
「は!? なんでだよ!!」
ノヴのやる気を優しく牽制し、メイナは彼に同行の拒否を伝える。元気で正義感が強い彼の事だ、そんなことを言われれば反対することは目に見えていた。
「あのね、ノヴ君。彼を助けに行くということが、どういうことか分かってる?」
「──?」
メイナの質問に、ノヴは困惑した様子で首を傾げた。いまいち理解が追い付かない彼にメイナは優しく話しかけた。
「今ね、ラデスさんはこの国の裏切り者っていう扱いを受けているの。彼を助けるってことはこの国に逆らうってことになるの。分かる?」
「いや、でも! ラデスは本当に裏切ってるわけじゃねーじゃん!!」
彼の必死の告白に、メイナは言葉を詰まらせた。
彼の言っていることは正しい。薄々、メイナも感づいていた。自分にあんな言葉をかけてくれたラデスが裏切っているとは思えないし、恐らく冤罪だろう。
だが、彼が今そういう疑いをかけられていることは、紛れもない事実だ。彼を助ければ、助けた人間も共謀罪で王国から追われる身となる。彼を助けた後の生活が、逃亡生活になるのは間違いない。
しかもその生活はいつまで続くだろうか。十中八九ラデスの疑いが晴れるまでだろうが、そうなるのはいつまでだろうか。
自分はいい。だが、ノヴは別だ。そんな一睡もできるかできないかの過酷な日々に、子供の彼を巻き込むわけにはいかない。
「うん、それは分かってる。でもね、彼は今そういう立ち位置にいるの。彼が本当にやっていなくても、周りの人からはそういう人だって思われてる」
「なんだよ……それ」
ラデスに降りかかる不条理に、思わず唇を噛み、細めた目を伏せるノヴ。そんな彼の姿にメイナは心を痛めつつも、説得を続ける。
「ラデスさんを助けても、ラデスさんの疑いが晴れるわけじゃない。もしかしたら何日も王国に帰れないかもしれない。子供のあなたを、私は巻き込みたくない。それに」
「あなたには、帰る場所があるでしょう?」
「それはっ……」
何か反論を言いかけたノヴは、そのまま押し黙った。
家族を失い、もはや心配する肉親がいないラデスとメイナ。ローザも心配は心配だが、彼女なら何とかするだろう。
だが、ノヴには父母がいる。彼が王国に追われる身となったら、心底心配するだろう。最悪のケース、彼らに何らかの危害が加わるかもしれない。
長い静寂がその場に流れるが、メイナは彼の返事を粘り強く待った。彼の正義感と、家で彼の帰りを待つ家族。この二つの内の一つを選ぶことが、どれだけ難しいか彼女にも分かるからだ。
「……分かった」
拳を強く握りしめて、同行の断念を口に出すノヴ。小さい背中を目一杯震わせるその姿は、とてもではないが見るに堪えない。
「うん。ありがとう」
小さいながらも覚悟を見せてくれた彼に、感謝の一言。それだけを彼に残し、メイナは歩いていく。
「待ってくれ!」
不意に後ろから響く声に、メイナの足は引き止められた。その驚きの余韻を残したまま、彼女はゆっくりと振り向く。
そこには、顔を涙でぐしゃぐしゃに崩したノヴが立っていた。
「なに?」
「……だぞ」
「え?」
ノヴが言った言葉は彼のすすり声と嗚咽に邪魔された。思わずメイナが聞き返すと彼は思い切り息を吸い、喉がはち切れんばかりの大声で、
「頼んだぞ!!」
鼻水混じりの懇願がその空間に響き渡った。それを受け取ったメイナは一瞬びくっとなるも、すぐにその顔は笑顔へと変わり、
「うん。任して」
そう言って、ラデスの救出を彼に誓うのであった。
その時だった。
「──え?」
感動の雰囲気から一転し、彼らの心は強い覚悟から疑問へと変わった。道場の玄関の方から乾いた音が二回鳴ったのだ。
誰かが、ノックした。そう彼らが理解するのに、時間はかからなかった。
「誰?」
こんな時に、誰が訪問してくるのだろうか。ここに来てまだ日が浅いのもあるが、全く見当もつかない。横で頭を傾げているノヴも、どうやら分からないようだ。
「行ってみよう」
まだ疑問の熱が冷めないうちに、彼らは玄関へ向かう。一応、さっき無理矢理ラデスが連れていかれたこともあったので、メイナはノヴを玄関から離れさせた。
恐る恐る彼女が扉を開けると、そこには──、
「こんにちは。お嬢さん」
黒い外套を身にまとい、全身が鎧に覆われた一人の騎士の姿があった。
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「な、何の用ですか?」
見知らぬ騎士の来訪に、メイナは両目をとがらせた。全開に開けた扉を、すぐさま半開きの状態にして、警戒心をさらにアピール。彼女なりの精一杯の拒絶の形だろう。
「……そんなに警戒されては敵わないな。一応私、王直騎士なんだけど」
「べ、別に警戒なんてしてないですけど」
バレバレの警戒心を指摘され、焦るメイナ。一応否定しておいたが、自分でも分かる、苦し紛れのギリギリの言い訳だ。
「ま、そんなことはどうだっていい」
そんな彼女の戯言を意に介することなく、目の前の騎士はその話題を終わらせた。そして、「こほん」と喉の調子を整わせ、
「私はドラコルドという者だ。本来なら自己紹介の時間を三十秒ほど欲しい所だが、如何せん今は時間がない」
「少々君たちの会話を盗み聞きさせてもらった。私について来なさい。そうすればラデス君に会わせてあげよう」
「──え!!」
息が、一瞬止まった気がした。今まで脈打っていた心臓が、いきなり停止したようなそんな感覚だった。実際にそのくらいの衝撃はあったと思う。
なんと王直騎士が自分たちに協力してくれるというのだ。彼らならこの国のあらゆる方面において顔が利く。連れていくにはもってこいの人材だろう。
「だけど」
問題は目の前の彼が信頼できるかどうかだ。いきなり「自分は王直騎士」と言われても、正直信じることが出来ない。
「……証拠は?」
「ん? 証拠?」
「あ、あなたが王直騎士である証拠は?」
言葉を詰まらせながらも、メイナは目の前にいる自称王直騎士に証拠の提示を求めた。
こんなことで彼の言っていることが本当かどうか分からないが、それでも確かめてみる価値はある。
「心外だね。まさか認知されていないとは。まあ、王直騎士は王都にいることの方が少ないから、それも仕方のないことなのかもしれないけど」
「そうだね」と小声を出しながら、ドラコルドは熟考し始めた。
王直騎士は、忙しさにムラのある冒険者とは違い、かなりの多忙を極める。国から与えられる任務に加え、広範囲の護衛、事務作業などのさまざまな仕事がある。その多忙さゆえに、王都にいられる時間の方が短いというのは、騎士の中でも周知の事実だ。
「証拠としては、この黒い外套かな。これを付けている者は基本的に王直騎士と見てくれていい。粗悪品の偽物もいくつかあるが、偽物の材質などたかが知れている。しっかり見ればすぐにわかると思うよ」
しっかりとした理論を並べ、メイナの愚かな憶測を軽く吹き飛ばした。だが、彼が続ける言葉はそれだけでは無く、
「でもね。私は思うけど」
「な、なんです」
「この状況で、私が本物か偽物かどうかなんて聞くのは、意味がないじゃないのかな?」
「意味が、ない?」
彼が言っている言葉の意味が分からなくて、メイナは思わず聞き返した。それに答えるように、ドラコルドは言葉を続ける。
「君たちが今、最も欲しいのは一定以上の権力。あるいはそれを持った人物だ。それに王直騎士は最も適したものの一つと言える」
「協力すると言ったその親切な人物に対して、剝き出しの不信感を向けるのは愚かであると思わないかい?」
痛い所を突かれた。確かにその通りだ。理由は分からないけど、協力してくれると言ってくれた彼に対してこの態度はあまりにも失礼だ。
「はっきり言って、私がいなければ君たちが彼を助けられる確率は限りなくゼロに近い。その現実は、君も分かっているだろう?」
「私を拒絶するのは結構。だが、その先にラデス君の未来はない。今の君は選べる立場ではないんだよ」
ぐうの音も出なかった。ドラコルドを拒否したところで、無策のメイナにラデスを助けることは出来ない。信用するとかしないとかの問題ではなかった。
私は今、彼に頼るしか出来ない。彼に縋るしかない。それを彼は分かっていたのだ。
「す、すみません」
「うむ。まあ、気にしていないから安心したまえ」
優しくこちらを諭すような声がした。だが、あんな脅迫じみた言葉を聞いた後では、安堵の気持ちなど微塵も湧かない。
「気にしていないなら言わないんじゃ……?」とも思ったが、それを言ったら彼の神経を逆なでしそうだったので、その言葉は心の奥にしまっておいた。
「それでは、行こうか」
「は、はい」
黒い外套を手でなびかせて、先行するドラコルド。それに追随するようにメイナは、彼の後をついていく。
「あ」
「いて」
歩き出して十秒も経たないうちに、ドラコルドは何故かその歩みを止めた。急停止した鎧にぶつかり、メイナもその歩みを止めた。両者の腑抜けた声を皮切りに、静寂がその場を包む。
「──ああ、忘れてた忘れてた。私としたことが」
「──?」
そう言ったドラコルドは、ゆっくりと後ろへ振り返った。そしてじっとメイナを見下ろす。不意に発生した空白の時間に不安を抱きつつも、メイナは質問した。
「あ、あの、忘れてたことって?」
「──」
勇気を振り絞って質問したものの、ドラコルドは答えない。再び静寂の時間が流れ、一抹の気まずさがメイナの心をよぎった。
一、二分かした後、漸くドラコルドはその黙りこけていた口を開いた。
「すまない。少し同行人を増やしてもいいかい?」
「同行人?」
「ああ」と小声を挟んだ後、ドラコルドは再び彼女を見つめていた。
一体誰だろうか。正直、全く見当がつかない。その質問が何かメイナに影響を与えたとしたら、彼女の疑問が深まったことだけだろう。
疑いにメイナがふけっていると、ドラコルドは鎧から見える瞳をニヤリと歪ませながら、
「分からないかい? 先ほど君と話していた、あの子供だよ」




