第十三話 「理解不能の助っ人」
そこには、空白の時間が流れ続けていた。意味がない、意義もない透明な時間。その時間をメイナは呆けた顔で味わっていた。
「──どうしたんだい? 聞こえなかったかい?」
相も変わらず、気の抜けたままの彼女を不思議に思ったのか、ドラコルドは彼女の顔を覗き込む。面頬から見える鋭い目と彼女の目が合った時、混濁していた彼女の意識が漸く鮮明化した。
「な、なんで」
当然のことだった。当然すぎる疑問だった。なぜ彼がそれを求めているのか、なぜ彼がそうして欲しいのか、皆目見当もつかないからだ。
彼が連れていきたいと言った、先ほど君と話していたあの子供。つまりノヴの事だ。彼はあの子供をラデス救出作戦に同行させると、そう言っているのだ。
「そんなの」
許せるはずがない。許されるはずがない。そもそも彼にここに留まるように言ったのは、他でもないメイナ自身。
ここでまた彼に説得しに行くとなれば、彼の覚悟を無駄にすることになるし、何より彼に示しがつかない。
彼を、ノヴを連れていく選択肢など、メイナの中にあろうはずがない。
「でも」
だが、彼女は未だに、『ノヴを連れて行かせない』という選択を選べずにいた。理由は簡単。彼女の心に違和感が走ったからだ。単純な理由だが、そのもやっとした違和感が簡単には切り捨てられない、そんな感覚がしたのだ。
だから彼女は、その違和感を解消するために、ドラコルドに問う。
「あ、あの」
「なんだい?」
「彼を連れていかせない……って私が言ったらどうなるんですか……?」
恐る恐るといった物言いで、彼女はドラコルドに質問した。まるでびくびく震える子兎のような彼女は見ていて心苦しい。それは誰しもが彼女のお願いを聞いてあげたくなるほどの、切ない存在だ。
そんな彼女の姿を見たドラコルドは、
「勿論、ラデス君の居場所は教えない。君と私はここでお別れになるね」
少しばかりの容赦はおろか、残酷な現実を彼女に突き付けていた。
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『やっぱり』という一言が喉まで出かかったが、かろうじてメイナは飲み込んだ。と、同時に彼女の心は影へ沈む。あまりにもきっぱりとしすぎている言い方に、驚く余裕すらなかった。いや、彼がこう言うのを、ある程度メイナが分かっていたからかもしれない。
二度目の脅迫じみた要求だ。否、メイナの望みを無視して自分の望みを叶えようとしているのだから、これは脅迫と言って差し支えないだろう。
「ど、どうしても……ですか」
「ああ。妥協は一切しないつもりだよ」
さも当然と言った風に答えるドラコルド。面頬の奥深くにあるその顔は、怪しい笑みを浮かべているはず。そんな想像を頭に受かべながらメイナはため息をこぼした。そして怪訝な様子で熟考したかと思えば、大きく深呼吸だ。
忙しない様子を見せた彼女は思い切り顔を上げ、
「分かりました」
殊の外、あっさりとノヴを連れていくことを承諾した。自分から言い出しておいてプライド丸つぶれだが、仕方ない。なにせラデスの命がかかっている。彼を助けるためなら、いくらでも自分のプライドなど捨ててやる。
「……ありがとう。それなら」
「でも」
言葉を続けようとしたドラコルドをメイナは遮った。予想外の反応だったのか、彼はその目を丸くさせた。だが、すぐに元通りになり彼女を見据える。その圧に、若干気圧されながらも彼女は口を開いた。
「せめて、あの子を傷つけさせないと誓ってください。私やラデスさんが死んでも、彼だけは助けると誓ってください」
「……」
思わず拳に力が入った。今まで冴えなかったメイナの顔が、凛とした顔に変化していく。彼女の勇気の表れだろう。
「……いいだろう。王直騎士の名に懸けて、彼の命は必ず守ると誓う」
数秒の沈黙が流れた後、ドラコルドはそう答えた。
必ず守る。その言葉がどれだけメイナを安心させただろうか。今まで脅し文句を並べていたはずなのに、その言葉だけで彼女のドラコルドに対する信頼感が一気に増えた。きっとこの言葉の重みが、彼が王直騎士である所以なのだろう。
「じゃあ、ほんの少しだけ待っててください」
「ああ。なるべく急ぐようにね」
軽い会話を交わし、彼女は道場の入口へと向かって歩みを進める。だがその足取りは、不意に現れた小さい人影に阻止された。
「ノ、ノヴ君」
物陰から飛び出てきたのはノヴだった。いつもなら決まって軽口を叩く彼だが、今日は俯いて黙ったままだ。恐らくメイナとドラコルドの会話の一部始終を聞いていたのだろう。
「……」
「……」
気まずさからか両者は黙り、時間だけが消化されていく。次第に焦燥感がメイナの心に広がり始めた。
こんなことをしている暇はない。一刻でも早くアクションを起こさねばならないのに、口が言うことを聞かない。
「あの、さ」
両者の沈黙が均衡する中、先に口を開いたのはノヴだった。微妙な空気を無理やり言葉で切り裂いたからか、ほんの少しどもっている。
「俺、ラデスに救われたんだ」
「俺はずっと、みんなに心配をかけたくなくて。だから、ずっと大人のふりしてたんだ。でも、あいつが『子供のままでいい』って言ってくれたから」
「それから、心がすごい楽になってさ。みんなと、家族と、初めて顔を向き合えた気がしたんだ」
赤裸々に自分がラデスに救われた事実を語るノヴ。その様子をメイナは黙って聞いている。彼女も彼と同じ、救われた人なのだから。
「だから、俺はあいつの力になりたい」
「死んじゃうかもしれないけど、怖いけど、それでも俺は、あいつの力になってあげたい」
体を震わせながらも、ノヴは勇敢に語る。メイナを真っすぐ見上げるその瞳には、確かな彼の覚悟が宿っていた。
もはやそこに、語る意味などない。
「……行こう」
「うん」
二人は、小走りでドラコルドの元へ駆け寄っていった。貧乏ゆすりをしながら、腕を組む彼は、「待ちわびたぞ」とでも言いたげだ。
「終わったかい? なら急ぐよ。予定より少し遅れているからね」
「「はい!」」
子供一人、冒険者と王直騎士。
こうして、異色すぎるトリオのラデス救出作戦は開始したのだった。
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「さてと、どう突破するか」
建物の物陰に隠れるドラコルドはそう独り言をつぶやいた。
彼の視線の先にあるのは、練兵場の入口だ。正確に言えば、そこに立つ二人の騎士。恐らく警備だろう。
作戦を実行する上での、最初の障害。あれらを何とかしなければ、中には間違いなく進めない。
「あ、あの。王城じゃないんですか?」
「ああ、これも言ってなかったか。とある事情で、彼は今、この練兵場にいる。だから忍び込むのはここだよ」
ささやき声の問いに、ドラコルドは丁寧に答えた。それをメイナは無言で頭に入れる。
『結構大事なことなのに、なんで言い忘れてるの』と心の中で思ったことは、彼女だけの秘密だ。
「案外、簡単に忍び込めそうですね」
メイナは小さい声で、想定よりもこの作戦が容易であることに微笑んだ。
これは嬉しい誤算だ。警備が厚い王城に対し、個々の警備は少なくとも王城よりは薄い。どちらも騎士の巣窟であることには変わりないが、難易度は格段に下がるだろう。
「いや、これは面倒くさいよ」
「え?」
そんなメイナの考えも、ドラコルドに簡単に否定される。呆気にとられる彼女を尻目に、彼は理由を話し始めた。
「王城の警備は厚い、それは間違いない。ただ、抜け道を使えば侵入は簡単だったんだがね」
「抜け道?」
「王城には、緊急用の抜け道がいくつか用意されているんだよ。国の一大事が起きたときに、せめて王族や貴族だけでも生き残らせるためにね」
「……」
彼の口から出された衝撃の事実に、メイナは口を開けたまま聞くことしか出来なかった。
そんな抜け道が用意されているとは、知る由も無かった。まあ、そんな事実を公に出来ないことも理解できるが。
「だが、練兵場にそんな抜け道は無い。しかも入口には必ず警備の騎士が立っている。ある意味で言えば、王城よりも侵入が難しい場所なのかもしれない」
王城よりも侵入が難しい場所。王直騎士から出たその言葉に、メイナは静かに戦慄した。その彼女の様子にノヴもただならぬ雰囲気を感じているようだ。
「よし、二人に作戦を話そう。……と、その前に」
そう言うとドラコルドはおもむろに、目を悪戯に歪ませた。
「二人には、別人になってもらおうかな」
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「なんです? その袋」
彼が懐から取り出したのは手にすっぽり収まるほどの小袋だ。豪華な装飾が施されているわけでもない、そこらの露店で売っていそうな小さな袋。
「ああ、これは魔道具の一種でね。この大きさで家一個分入るんだよ」
「ホントですか!?」
思わず声を張り上げてしまったメイナに、ドラコルドは口に指を当てて、『静かに』のサイン。
まあ、この大きさで家一個分入る魔道具の性能の凄さを見れば、無理もないことだが。
「どこら辺に置いたかな」
そう言いながらドラコルドは袋の中に腕を突っ込んだ。長い右腕が小さい袋に丸々入り、まるで腕が食われているかのようだ。
怪訝な様子でしばらくごそごそした後、彼は思い切り腕を引き上げた。その腕の中には何かが握られていて、
「なんだよそれ……?」
ドラコルドの後ろで身をかがめるノヴは、彼にその真意を質問した。
彼が持っていたのは、長尺の灰色のローブ。ローブと言えば聞こえはいいが、見た目をそのまま言うとしたら、ボロボロの布切れだ。
「君たちにはこれを着てもらう」
「これを……着る」
「私と一緒にいるとはいえ、ある程度のカモフラージュは必要だ。怪しまれないためにもね」
これだと余計怪しくなってる気がする、とメイナは心の中でツッコんだ。
薄汚い風貌。頭を覆い被すほどのフード。傍から見れば不審者にしか見えない。メイナがそう思うのも無理はないだろう。
だが、不思議とこれを着るのに嫌悪感は抱かなかった。なぜなら、
「これって、魔道具だったりします?」
彼が先ほど見せたボロい袋、そしてボロいローブ。正直、期待せずにはいられない。見た目が良くない方が、意外と高かったり貴重だったりするし。例えば認識阻害だとか、他者から見られない効果とかでもあるのだろうか。
「いや別に、すぐそこの商店で買った古着だけど。安くなってたからちょうど良くてね」
「……」
勝手に抱いた願望を粉々に砕かれた所で、メイナは黙ってそのローブを被った。それを見たノヴも黙ってローブを被る。
「では、作戦を話そう」
「作戦は単純、正面突破だ。そして君たち二人は私の知人という設定で行こう。私が警備を懐柔させるから、君たちは私にただついて来ればいい」
彼の作戦を聞き入れ、二人は黙って頷いた。密かに助け出す作戦で正面突破など異例中の異例だが、忍び込める場所がない以上、それも仕方ないだろう。
「いいかい? 余計なことはしないでくれたまえよ。何が原因で変わるか分からないからね」
一瞬その場に緊張感が走った。が、すぐに二人は理解し、それを受け入れた。メイナとノヴが余計なことをすれば作戦が簡単に瓦解する。彼がここまで圧を出すのも当然だ。
「……よし、行こう。二人とも、私についてきなさい」
何かの頃合いを見計らったのか、ドラコルドはゆっくりと歩き出した。それに付随し二人も彼の後ろについていく。
大人しく、ただ静かに。何も余計なことをしないように。
「やあ、君たち。精が出るね」
「──? あ! ドラコルド様、お疲れ様です。ほら! お前も挨拶しろ」
「あっ。お、お疲れ様です」
王直騎士の登場に、入口の右手に立つ騎士がまず挨拶をした。遅れて左手の騎士が挨拶。会話からして、新米騎士とその上司と見るべきだろうか。
「お疲れ様。君たちに少しお願いがあるんだが、聞き入れてもらってもよいかな?」
「はい。なんでしょうか」
「私の連れをここに入れたいのだけれど、許してもらっても大丈夫かい?」
「連れ……ですか」
そう言うと騎士たちはノヴとメイナをじっと見つめた。ある程度の警戒を帯びたその目に、思わず二人はフードを再び目深にかぶる。
「ドラコルド様のご友人ならば疑いの余地はありませんが……一応お顔の方の確認をしてもよろしかったですか?」
「……顔、ねぇ」
ドラコルドの声色が一気に変わった。その瞬間、その場の雰囲気が一気に重くなったのを、ノヴとメイナは感じていた。
顔を見られるのはまずい。もしもこの作戦が失敗に終わったとき、顔を知られているのと知られていないとでは、その後の逃亡生活の難易度が大きく変わってくる。
しかも、ラデスが国に捕らえられているならば彼が調査されていることも視野に置くべきだろう。ならば、ノヴやメイナがラデスの関係者だということもバレているかもしれない。そんな人間を易々通してくれるとは思えない。
「どうしても、かい?」
「申し訳ありませんが、こればっかりは……」
ドラコルドの嘆願にも、騎士は首を縦に振ることはしなかった。職務として見るならば百点満点の回答だが、今はこの生真面目さがメイナたちの一番の障害だ。
この生真面目さをどう崩すか、それこそドラコルドの手腕の見せ所だ。
「……君。少しこちらに寄ってくれるかい」
「は、はい」
ドラコルドの言葉に赴くまま、その騎士は彼に近づいていく。そして彼がドラコルドの腕よりも短い距離まで近づいたとき、
「──!?」
彼はその騎士を、勢いよく抱き寄せた。腕をあたふたさせる彼の様子から混乱が見て取れる。動揺を隠してはいるが、メイナとノヴも彼と同じ気持ちなのは確かだ。
この場で唯一動揺していないのは、その行動をした本人のみ。
「な、──何を」
「君は確か、結婚しているんだったね」
混乱をそのまま表した言葉をバッサリ斬り、ドラコルドは何処から仕入れたかもわからない情報を展開した。
「は、はい。それが、何か?」
「二日前、いや三日前ほどか」
「──!!」
その言葉を聞いた瞬間、彼の様子が急変した。呼吸が次第に荒くなり、体が震えている。歯をガタガタ鳴らし、顔が青白くなっていく。ドラコルドに密着されたうえでも分かるくらいの震え具合だ。
「娼館に、別の女性、宿屋に入っていく君と派手な格好をした女性。……なるほど。奥さんでは満足できなかったのかな?」
「……私に、何をしろと」
一瞬で対等な関係から、明らかに上下関係をはっきりさせた。その情報をドラコルドが何処から仕入れたのかは分からないが、見事なやり口だ。
メイナは会話からなんとなく察したが、ノヴは何が起きているのか分からない様子だ。良くも悪くも純粋無垢な証拠だろう。
「簡単だよ。君は何も疑わずに、この二人を通してくれればそれでいい。名前や人相とかは君が適当に考えておいてくれ」
「……分かり、ました」
脅迫を受けた騎士は、ドラコルドの要求を受け入れた。渋々といった様子だが、規律を真面目に守り家庭崩壊を引き起こすか、少しだけ規律を破り自分の秘密を守るか、どちらかを秤にかけた結果だろう。わざわざ茶々を入れる必要はない。
「さあ、行こう。二人とも」
既に入口の奥に進んでいたドラコルドがノヴとメイナに手招きのジェスチャー。「早く来い」とでも言いたげな様子だ。
不貞を部下やメイナたちの目の前でばらされ、愕然とした様子の目の前の騎士。彼自身が悪いとはいえ、さすがに気の毒なのでメイナは彼に一礼。それだけしてノヴと共に練兵場の奥へ進んでいった。
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「なに、これ」
その状況を見たメイナは、絶句した。
ドラコルドに連れられ、二人が到着したのは練兵場の観覧席。「目立たないように」と彼に誘導されたのは上の方の人気のない席だ。
とはいえ、上の方の席は下で行われている惨状が一目で一望できる場所だ。だからこそ、人気がないのかもしれない。
──何回も、何回も、血肉と臓腑が飛び散るその景色が余すことなく目に入って来るのだから。
「なんで、ラデスが死んで。生き、返って。死んでんだ? はぁ?」
混乱や怒りを通り越して、ノヴは目の前で見せられる現実をただ列挙する。目の前で行われる残酷な非現実にただ疑問詞を口に出すだけだ。
「早く、助けなきゃ……!」
「早く、助けないと……!」
偶然にも二人の言葉が一致したことで、彼らは現実に引き戻される。
そうだ。こんなものは早く止めなければいけない。こんなものは早く終わらせなければいけない。
こんな、人の死を何度も踏みにじるような行為は。
「ドラコルドさん、早く行きましょうよ!」
「……」
彼は何も言わない。腕を組んで眼下で行われている惨状をただ見ている。一切その目を逸らさずに、ただ真っすぐに見つめている。
「何、してるんですか。早くしないと」
早くしないと、壊れてしまう。何度も死を味わって、何度も壊されているのだから、それは必然なのだ。
このままでは、彼の心が──。
「……私は助けないよ」
「……へ?」
今、彼はなんて言ったのだろうか。きっと聞き間違いのはずだ。そうでなければ、意味が分からない。そうでなければ、彼が理解不能だ。
「なんて、言ったんですか」
メイナの当然の問いに、彼はもう一度彼女の前に仁王立ちして、答えた。
「……私は彼を助けない。これは、今決めたことだ」




