第九話 「赤」
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眼前に構えるステルベンに向かい、ラデスは一心不乱に走っていく。距離がもうすぐとなった所で剣を抜き、ラデスは眼前の彼に右上から剣を振り下ろそうとする。
だが──、
くっそ。なんで動じない!?
ラデスのその行動を見てもステルベンが一切動こうとしない。ただ、その冷たい目でラデスを見つめている。このままではこの攻撃は彼に直接入り、左肩から斜めに真っ二つだ。臓腑が地面にぶちまけられ、それはそれは凄惨な光景になるだろう。
関係ない。このまま振り下ろす!!
そんなのは関係ないことだ。ステルベンがここで死のうと、それは彼が避けきれなかったというだけ。ラデス自身には何も関係ない。
関係ない……はずだ。
「単調だな」
そう吐き捨て、ステルベンはラデスの渾身の一撃を華麗に避けた。寸前まであった彼の体が唐突に消えたような感覚だ。
彼を斬り捨てるはずだったその剣は、空を切り何もない地面に命中する。勢いよく当たったはずの地面からも乾いた音しか出ない。まるで鈍いラデスをあざ笑っているかのようだ。
周囲を見渡し、ようやく彼が左にステップして避けたのだと気づいた。慌ててラデスは構えを取るが、そのばかげた様子にステルベンは半笑いで、
「どうした? それで終わりか?」
ゆっくり後退しつつも、右の人指し指を動かし、こちらを誘ってくるステルベン。その挑発に乗るかの如く、ラデスはまたステルベンのもとへ駆けていく。
「だぁぁらぁぁぁぁあぁ!!!」
先ほどとは違い、大きな叫び声をあげて突っ込む。持てる気合は十分。今度こそ当てる、今度こそ!
ステルベンの目の前まで全力で走り込み、その勢いを乗せラデスは剣を大きく振りかぶる。歯を食いしばり、手から血が出るほど強く剣を握り、ただそこを捉える。
「またか……」
先ほどと何も変わらない、同じ動き、同じ動作の攻撃。血走るその眼には理性のかけらも感じさせない。
また、彼の左肩に下ろされんとするその一撃を見切り、ステルベンは避ける動作の準備をする。
「かかったな」
その独り言を発した瞬間、ラデスの身長が急速に縮んだ。──否、縮んだのではない。ラデス自身が屈んだのだ。体勢を低く、足を出来るだけ開き、剣の向きを横に持ち替える。だがその真っすぐな目線は変えない。
──縦で駄目ならば横。一次元で駄目ならば二次元。
かつての敵が言っていた言葉だ。実際あの攻撃には不意を突かれたし、ラデス自身もかなりの深手を負った。もちろん、あの棍棒の大きさがあってこその波状攻撃なのだが。
それでも、この攻撃が意表を突くことは間違いない。何も考えることのない”猿”だと思っていた相手が、いきなり知能を持った”人”に変わる。その怖さは一線を画すものだろう。
この勝負は一撃でも当てられれば、ラデスの勝利に決する。つまりわざわざ相手を斬り殺す必要などない。まあ、最初の一撃は本気で狙った……と思うが。
狙うはステルベンの肩ではなく、太腿。その両手から繰り出すは横に薙ぐ剣撃。
この距離ならば当たる。この距離ならば、斬れる。
この距離ならば……当たる。
「愚鈍極まりないな」
「な──!!」
当たるはずだった横薙ぎの一閃は、ステルベンの華麗な飛翔によって空振りに帰した。その体操選手のような軽やかなジャンプは見惚れてしまうほどの美しさだ。
その驚きを味わう間もなく、ラデスは彼の着地点を即座に予測し、駆けていく。
──着地と同時に!!
いくらステルベンでも着地と同時に攻撃されたら、対処に困るはずだ。しかも彼には攻撃できないという制限がある。
これならば、狩れる。
……狩れる。
「さすがに、使うか」
その一言を皮切りに、ステルベンが地に右手を向ける。その瞬間、その手のひらが青い光に包まれていく。
その青い光は、同色の魔法陣へと姿を変えた。それが意味するは魔法の発動だ。
「うおっ!」
その途端、何の変哲も無かった地面から冷気が出現。それは次第に収束し、形作り、氷塊となってこの世に顕現した。
いきなり目の前に現れたそれに、ラデスは尻餅をつき、みっともなく転んだ。そんなラデスを尻目に、ステルベンは己が作った氷の足場を踏み台にして再び跳躍した。
頭から地面に突っ込み、口の中に砂が入る。口の中に広がるのはじゃりじゃりとした不快感と、地面に突っ伏した屈辱感の味。
それを唾と共に勢いよく吐き出しつつ、ラデスは唇をかみしめ、彼を見つめる。
そこには呆れたような目で土塗れの敗北者を見つめるステルベンの姿があった。
「攻撃しないんじゃないのかよ」
「戯けが。攻撃しないとは言ったが、魔法を使わないとは言っていない。それにその醜態は、お前が勝手に転んだ結果だろうが」
「うるせえ!!」
苦し紛れの言い訳を放つも、正論パンチで返され、大声の拒絶で応対するラデス。そのまま立ち上がり、再びステルベンのもとへ駆けていく。
不意打ちも、真正面のからの攻撃も効かなかった。一分の猶予ももうすぐ尽きる。もはや打つ手すら無くなり、何も策を考えることなく突っ込んでいく。
「だあああぁぁぁああぁあぁ!!」
幸運を祈り、ただがむしゃらに剣を振る。服にでも、髪にでも掠ればと、一縷の望みをかけて。相手を分析することも無く、左右上下ランダムにただ力任せに振るその剣技は、稚拙な物に他ならない。
素人の剣術など、熟練された動きに敵うわけがない。そんなことはラデスも分かっている。時間の猶予が、唯一無二のチャンスが失われつつあることが彼を焦らせ、正常な判断をできなくしているのだ。
「ははっ。まさにお前にふさわしい流麗な剣技だな」
「そりゃどうも!!」
うわべだけ見れば微笑ましい会話だ。しかしそのどちらの言葉も、その言葉のままの意味ではない。お互いに皮肉った結果だ。
その会話を最後に、二人の間には剣が空を舞う音だけが残った。その中にたまに入るのは、地面と剣の接触音。だが、一向に彼に当たる兆しは見えない。
「頭を使えないのか? 猿が」
左右に避けながらも、ラデスを貶めることを止めないステルベン。その顔、体の動きには確かな余裕があり、一方ラデスの体には、疲労による乱れが生まれてきている。
そしてその傍若無人な剣士は、疲弊した両腕を下ろした。
「はあ、はあ、はあ」
「……この程度で息切れか。どこまで弱いんだお前は」
「うるさい」と言いたいが、喉と肺の中で暴れまわる息が、それの邪魔をした。膝に手をつき、汗を流し、霞む目で悠然と佇むステルベンを見る。
彼の姿が、輪郭が、重なり、そしてぼやけた。それを繰り返しようやく事態を把握する。どうやらラデスの双眸すら、まともに機能していないようだ。
右手に持つ剣を杖代わりに、ラデスは再び姿勢を保つ。荒ぶる息を保つために、深呼吸。そして構える。
これで最後だと、なんとなく思った。別に決闘は続くし、これが終わってラデスが死ぬわけでもない。
けど、なんとなく思ったのだ。これがきっと最後になると。
「これで、終わらせる」
「お前の命をか?」
大きく息を吐き、ラデスは駆ける。彼以外、すべて意識から取り去る。すべて。すべて。
血で温まった脳がクリアになり、霞がかっていた彼の姿が鮮明になった。余裕綽々の彼の表情を確認し、ラデスは迷わず駆けていく。
極限の集中状態の中、彼の腕に何かが流れ込む感覚。そのいつもの違和感に安堵しながらも、目の前の標的に的を絞る。
両腕に流されるは、魔力。その力。──否、技術はラデスの体をほんの少し早く、ほんの少し強くしてくれる。
それにラデスの全信頼を置き、走りきる勢いの中、ラデスはただ構えた。無駄な力みなど一切ない、純粋な剣術。
ステルベンの右肩から左脇腹に抜ける、振り下ろしだ。
使い古されたそれを再び使い、ラデスは思い切り斬った。
当然、命中はしなかった。
「所詮、この程度か」
ステルベンの捨て台詞を左耳で聞き流し、ラデスは準備に入る。
「──! 突きの二撃目か」
その冷たい青年の顔が少し揺らいだ。
ラデスが狙うは、ステルベンが避ける動作に入った途中に叩きこむ突き。今の今までがむしゃらに剣を振るっていたのがここで活きた。
あの跳躍の時、ステルベンは魔法によりその攻撃を対処した。結果は防がれたが、その経験は無駄にはなっていない。
魔法を使って回避した。つまりステルベンはあの攻撃を体術では避けきれないと判断したということ。だから魔法を使わざるを得なかった。
だから、そこを突く。軽い跳躍でも、足が地面から離れれば人間の動きは、空中に縫い付けられる。それにこの距離、この速さならば、ステルベンの『傷つけない約束』から、あのような氷の足場を作り出す魔法は使うことは出来ない。
彼の約束が、彼の慢心が、彼の油断が、彼の余裕が、彼を殺すのだ。
足の踏み込み、腰の入り、腕に込める力。勢いもそのままその剣に乗せる。ただその一点。それを突くために。
そしてラデスは、自らが考える史上最高の一撃を、彼に叩きこんだ。
……今考えてみれば、これまでにない一撃だったと思う。自分の感覚だけどこの時の集中は巨人ゴブリンの時を超えてたし、あの時は自分ならなんだってできるって自信があった。
体の使い方、心から溢れた思い。間違いなく、あれはあの時出せる最高の一撃だった。
ただ、一つ不運があったとすれば。
「それが……お前の全力か」
その攻撃が、ステルベンに届かなかったということだけだ。
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彼の平常な声がする、という現実から、ラデスはその場で起きた真実を知った。その真実を味わったラデスは、ただただ自分のそれを確信した。
避ける動作すらも、彼には与えなかった。どう対処するかを考える時間も、彼には与えなかった。事実、ラデスすらもこの数秒の間で考えられたことはそう多くはない。
「嘘……だろ」
その剣先は、ステルベンの頭から少し左にずれた虚空の空間を突いていた。
わざと横にずらしたわけでもなく、その剣をラデスは真っすぐに突いた。なのに当たらなかった。なんてことはない。彼にただ避けられたのだ。
今の実力で、今のラデスが放てる攻撃で、最高の一撃だった。でも届かなかった。
理由は明確だった。それしか考えられなかった。ラデスは激しく、それを憎み、そして悔やんだ。
それは、純粋な二人の間にある実力差だ。
魔法とか、魔力とか、頭脳とか、戦略とか、そういうレベルの話じゃなかった。単純に身体能力すら彼には敵わなかった。それだけだった。
そして、彼は残念そうに言った。
「一分だ」
来た。来てしまった。とうとう来てしまったのだ。ステルベンに勝つ千載一隅の機会を、みすみす見逃した。
やばいと察した時には、もう遅い。
伸ばしきった、隙だらけの右腕をステルベンに掴まれ、前に引っ張られる。ラデスの体はその勢いのまま、前にぐらりと傾いた。
歴戦たる『炎氷』の騎士は、その隙を見逃さない。
「終わりだ」
たったその一言。その言葉だけで、ラデスの額に脂汗が滲む。彼の言葉のその真意を味わう間もなく、ステルベンはラデスの体に触れる。
そして、すぐさま彼はラデスの元から、離れた。
「──?」
一瞬、その意図が分からなかった。彼はラデスの体──、下腹部に触れただけで何もしていない。ただ、彼のその勝ち誇った表情が、嫌でもラデスに何かしたのだと想像させる。
そして、異変は起こった。
「──? 赤い?」
今まで、多種多様な色に染まっていたはずの目の前の景色が、突然と赤一色になった。徐々に染まっていくとか、そのレベルではない。不意に、途端に、見える世界が赤色となったのだ。
普段とは違う、異様ともいえるそれをラデスはじっくり見渡した。普通は戦闘中にそんな気を抜いてたら駄目なのだろうが、それでもラデスはそれを見ることを止められなかった。
理由は単純だった。綺麗だったからだ。その赤の地面が、赤の人々が、赤のステルベンが、ただただ美しく、脳裏に焼き付けるべき物だと思ったからだ。
そうしているうちに、その感情は訪れた。
熱い。
熱い。熱い。
熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い。
ぼやけた思考が一瞬にしてまとまり、心のグラスからとめどなく溢れ出てくるその感情に、ラデスは身を悶える。
そして──、理解した。
この『赤』は、炎だ。体が炎に包まれているんだ。
「あがああぁぁああぁああああぁああ!!!!!!」
理解した途端、ラデスの体に膨大すぎる熱と痛みが襲い掛かった。簡単な繊維で作られた服など、容易に燃やし、その『赤』はラデスの皮膚に触れる。
ただ狂い叫んだ。これ以上は喉も、気管も、肺もつぶれてしまうのではないかと思えるほど叫んだ。そんな狂行をさせるほど、その『赤』がもたらす苦痛は甚大だった。
そのまとわりつく『赤』を今すぐ毟り取りたくて。苦しむ自分を見ても、一切の容赦を与えてくれない『赤』を今すぐ削り取りたくて。掴んでも掴んでも、掴ませてくれないその『赤』を今すぐこの手に掴みたくて。
すでに上半身を『赤』に包まれたラデスは一心不乱に踊り狂う。服を破り、皮膚をむしり、肉を千切り、必死にその苦痛から逃れようともがく。
助けてくれ。
助けてくれ。助けてくれ。
メイナ、ローザ、ノヴ、ユーキ。誰でもいい。誰でもいいから助けてくれ。
早くぅ!! 助けてくれぇ!!
『赤』が皮膚を侵食し、体内へ入った。喉もすでに焼け、声を出すことが出来なくなったラデスは、心の中で、ただ叫ぶ。
死に物狂いで叫ぶ。誰か、救ってくれと。誰か、この苦しみから解放してくれと。
「──」
すでに『赤』に食いつくされ、もはや何もないラデスの体の中にはもう用は無いのか、次第に『赤』は消え去った。
何も感じず、何も見えず、何も聞こえず、何も匂わず、ただ立ち尽くすだけの『黒』はその場に倒れる。
今際の際、それが感じたのは。
──ああ、やっと終わった。
この瞬間、ラデス・バッファウッドは死んだ。




