第二十話 「命を賭して得た物」
世の中の情報には知らないものと知っているもの。大まかに言ってしまえばこの二つに分けられる。基本的に情報というものは知っておいて損はないものばかりだ。
だが時折、知らない方が得だった。知らないときの方が幸せだったと感じるものもある。
それは、情報だけでなく他人との人間関係でも言える。他人への悪口や自分自身への悪口など。それが例え虚構の物だったとしても場合によっては人を傷つけたり、人の命を奪うことになりかねないのだ。
人のことを知ろうとしなければ、人を知れないのに。
こんなにも残酷なことはないだろう。
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開かれた扉から現れた人物にラデスは言いようもない感覚を心の内で感じていた。
さっきのロレナの口ぶりからして俺を助けてくれたのはローザだろう。じゃなきゃあんな言い方はしない。
ローザはあの場にいたのか? それともあの少女が助けを呼んでくれたのか?
どちらにしろ瀕死の俺を助けてくれたのはローザだ。
また、助けられたのか。
一人でなんとかできるかも、という安易な考えがここまで人に迷惑をかけた。その申し訳なさと情けなさがラデスの心を支配する。
涙流さずには語れない感動の再会、というわけでもなく地獄の雰囲気からスタートした二人の顔合わせ。お互いが目を合わさず部屋の隅、もしくは奥を見ている。
そんな二人の状況を察したのか、ロレナはニヤリと顔を歪ませ、
「んじゃあ、私はこれで失礼するよ。二人の感動の再会を邪魔したくないからねぇ」
どうぞごゆっくり、と小声を混じらせながら彼女は部屋を早足で出ていった。今更ながら彼女の性格の悪さに落胆し、頭を抱える。
そして、ロレナが出ていったのを皮切りに静寂が流れた。この空間だけ時間が止まっているのではないかと思うぐらいの静けさ。
ラデスはそれに耐えきれず覚悟を決めて話しかける。
「あの、助けてくれて、ありがとうございます……」
ローザからの返事は無い。これ以上空気が悪くなることは俺のメンタルが許さない。とりあえず明るく気丈に振舞うこと。悪くなった空気に再び熱を持たせるにはこれしかラデスは方法を知らなかった。
「きょっ…今日は、天気いいですね! これは洗濯物よく乾きそうだなぁ~」
若干、声が裏返りながらも入部して一か月の演劇部員ばりの演技をかましたラデス。心中かなり焦っているがそれを顔に出すわけにはいかない。
時々ジェスチャーを交えながらも、ラデスは三文芝居を続ける。
「あっはは。 いや~依頼でちょっとへましちゃってですね~。こんな怪我どうってことないですよ。ほら! 体もすっかりこの通り」
ラデスは腕や体を無理に動かし、必死に元気な自分を取り繕う。傍から見ればただのひょうきん者だ。
しかし、その屈託ない笑顔に対して体は悲鳴を上げる。
「痛゛っっっ!!!!」
不意に訪れた左脇腹の痛み。巨人ゴブリンの一撃を思いっきり食らった所だ。骨折とまでの痛みではないが、これは相当長引きそうだな……。
ラデスは脇腹をさすりながら後頭部を掻き、笑顔で元気な『ラデス・バッファウッド』を演じる。
「お、俺もまだまだっすね~。次からは特訓のメニュー、倍にしないと!」
数メートル先の天井へ顔を向け、右腕を高々と掲げての健気な宣言。それでも、時折襲い掛かって来る痛みで息が荒くなってくる。
彼の今できる精一杯の名演技に何も反応を示さないローザ。さすがに異変を感じたのか、ラデスは彼女の方へ目をやった。
ローザはただ、見ていた。目を大きく見開き。今にも泣きだしそうで、消え入りそうな表情で。
それを見たラデスの喉は締まり、声どころか痛みをごまかす息さえも出なくなってしまった。そしてまた二人に、いくらかの静寂が訪れる。
その空気感に耐えられなくなったのかローザはこちらに歩き出した。ゆっくりとだが、確実にこちらへの距離を詰めてきている。
ラデスはこちらに近づく彼女を直視できなかった。
完璧で、完全にラデスの落ち度。彼の慢心がこの事件を引き起こしたことは彼が一番よく分かっている。
何を言われるんだろうか。自分の弱さに対する叱責か、それとも自分の判断の浅さに対する呆れか。
そして、ローザはラデスの前に立った。ラデスは下を向き必死にその時間が来るのを恐れる。
まだ力が入りきらない拳を握って、目を瞑り彼は覚悟した。
そして彼女はラデスに近づき、
「え?」
彼を、その剛腕で優しく包み込んだ。
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「どっ、どうしたんですか。急に」
ラデスの口から出たのは驚嘆が混じった一言。
ローザの突然の抱擁に彼は混乱を隠せない。ランニングで大量に嘔吐して助けを求めても、全身筋肉痛で動けなくなっても適当にあしらわれるのがいつもの流れだった。
今までこんなことは一度も無かった。いったいどうなってるんだ?
あわあわと目を泳がせ、腑抜けた吐息しか出ないラデス。彼の手だけが別の生き物のように無作法に動いている。
そんな痴態も目に入れずローザは震える声で、
「もう……やめてくれ」
「もう……アタシの前からいなくならないでくれ……」
彼女の哀切が溢れる声を聴きながら、肩に感じるのは服が水でぬれていく感覚。
これは、ローザの涙だ。
初めて見る師の悲しみに暮れる姿。それを五感で感じ取ったラデスは、己の声が何かにとられたように何も言えない。
深い後悔に沈んでいく。もしもラデスの判断が冷静だったならば。もしももっと万全な状態で初陣を飾れていれば。
もしも、俺がもっと強かったら。
ありもしない、今考えても遅すぎる考え。いわば妄想だ。でも、本来ならば辿り着けたものだったはずだ。
強くなったと勘違いしていた。少しくらいなら俺だってできると勘違いしていた。
その慢心が、危うく俺の命を奪う所だった。
「……すいません」
彼の謝罪にローザは体を震わせる。
「……違う。違うんだ」
「お前のせいじゃない。アタシが一人で行かせた。アタシの我儘で……。アタシがもっとしっかりしてれば……。アタシが、アタシが……」
「金でも、何でもいい。靴だって舐めてやるから。だから……」
「アタシを、許してくれぇ……」
ローザの抱きしめる力が自然と強くなる。彼女はラデスを責めるでもなく、ラデスの謝罪を受け入れるでもなく、ただただ自分を責めていた。
それは、もはや狂気にも近いほどの猛省で。
「許す……? 違いますよ。これは俺の独断で──」
「許して.....お願いします.....」
ラデスの話を聞かずに肩から崩れ落ちるローザ。そしてそのまま土下座の体勢に入る。頭を床に擦り付けみっともなく許しを請う彼女は見ていて滑稽だ。
これまでいろんなローザを見てきた。怒る彼女。怖い彼女。頼もしい彼女。笑う彼女。
こんな、こんなに苦しむ彼女は見たことなどない。ましてや想像することすらなかった。
「なんで、そこまで」
これは反射のように自然と口から出た言葉。目の前で行われる狂気を目の当たりにしたラデスの純粋かつ単純な疑問。
そして、彼女は答える。
「……もう、失いたくないんだ」
「もう、もう、あんな思いをするのは嫌なんだ」
「────」
口が誰かに縫い合わされたように何も言えなくなる。彼女の声が、彼女のしぐさが、ラデスのすべての体の動きを規制していく。
彼女はいったい何に恐れているのだろうか。いったい何に縛られているのだろうか。
知らないし、分からない。分からないけど。
もしも、それで彼女が救われるなら。
「分かりました。俺は──」
「あなたを許します」
ローザは垂らした頭を即座に上げ歓喜の表情をした。先ほどまでの悲壮的な空間が一気に色づきを持ったようにさえ感じる。
問題が解決したようにも思える。これで終わりだと神が言っているようにも思える。
「ありがとう。アタシを許してくれて」
「本当に.....ありがとう.....」
まるで救われたかのように。憑き物が取れたかのように。
二人は無言で抱きしめあう。ようやく止まっていたこの空間の時が動き出したかのように思える。
これでいいんだろうか。思えば彼女のことを何も知らない。何も聞いていないんだ。彼女の過去も彼女の今も、彼女の人生も。
でも、彼女が救われるなら、それでもいいのかもしれない。
ラデスは何も問い返さなかった。これがローザの最善の形で、これが彼女の心を安堵へと導くのならそれでいいんだ。何よりも、
人を救うのが、勇者なのだから。
「ありがとう.....。ありがとう.....」
「……どういたしまして。師匠」
こうしてラデスとローザの険悪な関係は、ラデスの心に言い知れぬ謎を残したまま、終わりを告げた。
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治療所をローザと共に出たラデスは雲一つない空を見上げて感傷に浸る。まだぎこちない歩きだが、ローザに支えられながら一歩ずつ歩いていく。
彼が生死の境を彷徨ったにもかかわらず王都はいつも通り。喧騒に塗れるそれは恐ろしく”日常”を体現している。
ラデスが一抹の寂しさを覚えたその時、こちらに走って来る人影が見えた。
「目が覚めたんですね!」
「ああ、なんとかな」
ラデスの無事とは言えずとも話せるほどにまで回復した姿を見て少女は安堵の表情を見せる。大きく息を吐くその姿はラデスの不安も吹き飛ばしてくれそうだ。
「じゃあ、はいこれ!」
「あ、これ」
彼女の手から渡されたのは小さな花束。ラデスはそれを手に取りまじまじと見つめる。情熱的な赤い花びらが重なり合う見た目の美しい花だ。
「ちょっと遅れちゃいましたが、お見舞いです!」
彼女から差し出される純粋な善意と厚意。今まで苦痛の連続だったためにラデスは不意に目頭が熱くなる。頑張った甲斐があったと、彼女の命を守れてよかったと心から彼はそう思った。
「──ありがとう」
ラデスは彼女の目をしっかりと見つめ、笑顔で感謝の言葉を送る。
「ふふっ。どういたしまして」
そして少女も満面の笑みでそれに応えた。
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「じゃあ、私はこれで!」
助けてくれてありがとうございます、と今一度深々とお礼を言う彼女にラデスも手を振り別れの挨拶を告げる。
「ありがとう。またどこかで会えたらな」
人の出会いは一期一会。ましてや次に会うときはお互いに生きているかは分からない。この残酷な世界で人と会ったときは必ず挨拶。それが冒険者としての最低限のマナーだ。
少女が長尺の杖を一生懸命持ちこの場を去ろうとしていたその時、ラデスは思い出した。
「……あ!」
そういえばこれは闇市にいた老人から受けた依頼。ゴブリンを倒した数だけ報酬が発生する。少しイレギュラーがあったとはいえ何体かゴブリンは倒したからちゃんとお金がもらえるはずだ。
「なあ、あんた!」
「はい?」
ラデスの呼びかけに少女は少し困惑した顔で答えた。別れの挨拶を交わした後で再度呼びかけるのはなかなか雰囲気ぶち壊しだが。
「これさ、実は依頼なんだ。だからあんたも一緒に来ないか?」
「え? いや私一体も倒してないですし……」
「協力はしてくれただろ。折半でいいから来てくれよ」
金欠のラデスにとって、正直言って報奨金は独り占めしたいところだが彼女がいなければ己自身も死んでいたことは間違いないだろう。一応それに報いたいというのがラデスの心情だ。
「……じゃあ、喜んで!」
「おう、じゃあ行くか」
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「ここだ」
この場所だと自信をもって言うラデスに対し、ローザと少女は少しばつが悪そうにしていた。それもそのはず、この場所は王都でも最も犯罪が横行している場所。物好きでなければこんな所になんか入らない。
「悪い。アタシは外で待っとくわ」
こんな所の家に入るのなんかごめんだね、とローザはきっぱりと中に入るのを拒否。ラデスは説得しようとも思ったが、王直騎士を襲っても返り討ちに遭うだけだと思い直しその説得を止めた。
次にラデスの耳に入ったのは少女の心配そうな声だ。
「本当に、大丈夫なんですか? 詐欺とか普通にありそうなんですけど……」
「大丈夫大丈夫。見た目とか普通の人だったから」
そういやそんな見た目良くないな、と思い出して自分の虚偽発言に少し後悔したがラデスは扉を思い切り開け、中の依頼人を呼んだ。
「お~い。何とか帰ったぞ~」
「おおう、今か今かと待っておったぞ。それで何体倒した?」
「ばっちり二体倒したぜ。あ、あとでかいやつ一体だな」
ラデスの親指は自信ありげに自身を指す。その行動は老人に驚愕の声を出させる。
「つまり三体か!? ちと少なすぎやせんか? まあ払う金が少なくて済むが……。ん? 何じゃその子は」
「ああ、この人はたまたま出会ってちょっと依頼を手伝ってくれたんだ。だから報奨金はこの子と折半でいいだろ?」
「まあ、払う金額が変わらんのならよしとするか」
少女に送っていた老人の視線はすぐに移り変わりし、ラデスと少女の辺りをぐるりぐるりする。そして老人はさも当たり前かのように聞いてきた。
「お主ら、遺体の一部とかは持ち帰ってないんかの?」
「あ」
老人の的を得た一言にラデスは気の抜けた返事を漏らす。完全に忘れていた。少し事件があったとはいえ最初の二体くらいは一部を切り取る余裕もあったのに。
これも冒険者の基本中の基本だが、過去に討伐依頼を行っていない彼にとって盲点だった。
そりゃあそうだ。証拠がなけりゃ倒したって言っても信じてくれないもんな……。
「持って、帰ってないです……」
「…………」
ラデスの痛恨のミスに老人は黙り込む。まさかこんなミスするとは思ってないよな。こりゃ、報奨金は無しになるのが無難かな。
「…………まあ」
「そのボロボロの服装が頑張ったという証拠にもなるか……」
しょうがない、と老人はため息をつき大量の武器に囲われた中の奥の取っ手棚をごそごそし始める。そして取り出した薄汚い革袋からいくつかの銀貨を取り出しラデスに投げる。
「ほれ、ゴブリン一体につき銀貨二枚で、合計銀貨六枚じゃ」
「うお。うおおおおお!!」
手に取り見るのは銀貨六枚。そこから折半で銀貨三枚がラデスの取り分。つまり今回の報酬だ。
命を懸けた割には少なすぎる気もするが、初めての討伐依頼の報酬。ラデスの心を満足させるには十分だった。
「んじゃ、あんたにあげるよ。銀貨三枚な」
「あ、はい。ありがとうございます……」
満足そうにするラデスに対し少女の反応は薄い。まあ、明らかに足りないというのが彼女の本心だろう。
そんな不満の顔をする少女にラデスは銀貨を一枚握らせる。
「ほら、やるよ。これでちょっとはいいだろ?」
「ああ、いやお金の文句じゃなくて……」
「じゃあなんだよ」
「私のパーティの人たちみんな、その、死んじゃったし、私あんまり強くないから、またパーティ探すの大変だなぁって思っちゃって……」
少女は不安そうに自身の杖を握る。顔に不安と文字が出ているかのように青くなった彼女を見たせいか、ラデスは、
「じゃあ、俺とパーティを組もう」
「え?」
「つっても俺一人だけど。でも、一人よりかはマシだろ? まあ、良ければでいいけどさ」
「あ、いや、はい! こちらこそ」
焦りつつも快諾の意志を示した少女。少し勇気を絞り出してよかった、と思いつつラデスは左手を胸に乗せ自己紹介する。
「俺はラデス・バッファウッド。あんたは?」
「わっ、私は────」
「────メイナ・シュヴァイデンで、です!!」
「そうか。よろしくな、メイナ」
「はい! こちらこそラデスさん!!」
死闘を乗り越えた二人は手を組み合い、お互いに笑いかける。ラデスの生まれてはじめての討伐依頼。
彼が命を懸けてそれに臨んだ結果、
得たものは──、銀貨六枚と助けた少女、もといメイナという新しいパーティメンバーだった。
ようやく一章最終話です!
あとは幕間を一話あげて二章に移ります!!




