第十七話 「デジャヴ」
本当に、本当に遅れて申し訳ありません。
頑張って今月中には一章を終わらせられるようにします。
喉が枯れるほどの咆哮。初めての強敵への勝利の喜びをラデスは噛み締めて叫んだ。力の限り、叫んだ。
拳を強く握りしめ、青空に向かう声は山に響き渡る。
己の力でもやれる。俺は弱くない。きっと、俺は勇者になれる。この勝利は、そうラデスに語り掛けてくれている気がした。
巨人ゴブリンはそのまま動かなくなった。確かめるまでもない。奴は死んだ。
どうやら、魔族にも魔核があるというラデスの推測は正しかったようだ。
見てるか? ユーキ。 俺はやったぞ。
これから死ぬ運命だった人たちを俺は救ったんだ。
「──ぁ」
緊張がほどけたのか、ラデスの体は不意に地面に吸われるように沈んだ。大の字に寝ころび安堵の表情を浮かべる。地面の冷たさが少しだけ心地いい。
そして意識も同時に薄れていく。きれいな青空にだんだんモザイクがかかり、その秀麗さが失われていく。
音も、臭いも、感覚も、春の雪解けのように段々と消えていく。
瞼が鉛のように重くなり、ラデスはその流れに任せるように黒色の双眸を閉じた。
……ここまで、頑張ったんだ。少しくらいは休んでもいいよな。
───さすがに、打ち止めかな。
誰かが、心の奥でそう言った気がした。
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「お、遅いな……」
そこらに雑に生えている木にもたれ掛かりながら少女は不安に苛まれていた。
彼女の周りに何も異変が起きないまま、時間だけが刻々と過ぎていく。
長尺の杖を、手に汗がにじむほど強く握りながら、少女は命の恩人の帰りを待つ。雨でしっとりと濡れた大地が泥と化し、少女の臀部に不快感を与える。
しかし、彼女の心中に微塵もそのことは存在していなかった。
彼女が気にしていることは唯一つ。彼は勝ったのか、それとも負けたのか。
「負けちゃうかも、しれないなぁ……」
彼女がそう思うのもそのはずだ。
第三者から見れば九分九厘、彼に勝ち目はない。確かに少々奇抜な手を思い付きはしたが、言ってしまえばそれまで。
圧倒的な魔力量も、すべてをねじ伏せる力も無い。ただ、向かってゆくだけ。
いわゆる、無鉄砲な凡人だ。
それに比べて巨人ゴブリンはどうだろうか。
見ただけで震えが止まらなくなるほどの巨躯。すべてを無に帰す筋力。負けを今まで経験していないとはいえ、相当数の場数を彼が踏んでいることは間違いない。
その中にラデスよりも強い人は必ずいた。というかいるはずだ。
いや、みんながラデスよりも強かったかもしれない。
それでも、奴は未だに生きている。この山を、この閉鎖的で小さい世界を、自由に彼は謳歌している。
己の欲望の赴くままに、まさにゴブリンだ。
両者を比べれば、言うまでもないだろう。
「……いや」
でも、それでも、私は彼を信じる。
彼が私の力を信じてくれたように。
彼がいま頼れるとしたら、私しかいないのだから。
向こう見ずの命の恩人に彼女が思いを馳せていたその時、彼が走っていった方向から何かの雄叫びが聞こえた。
彼女は察した。あくまで予測の範疇に過ぎないが、決着がついたと。
それに呼応するように彼女は走り始める。願わくば彼の命が失われていませんようにと信じて。
「うわっ─」
雨水に塗れた大地が彼女のか細い足をからめとり、強制的に地面に転ばさせた。
大金をはたいて買った服も整った顔も汚れ、少女は見るに堪えない姿になる。普段ならば服の心配や『シャワー浴びなきゃ』だとかの普遍な心情となるだろう。
再び起き上がり、彼女はそんなのお構いなしに走る。足を大地に踏み下ろすたびに泥が飛び散り足に新たな汚れを作ろうとも彼女は走る。
──そして彼女は『大口』の前へついに立った。
「ここ、だ」
あいつを倒しに行く。つまりこの崖に飛び込んでいったということだ。
先ほどは恐怖でそれどころではなかったが、見れば見るほど怖い崖だ。高さもそれほどではないのに体の震えが止まらない。
思わず彼女は彼の勇気に感服した。自分じゃこんな所、自死するつもりでもなきゃ飛び降りれない。
己が落ちないように恐る恐る崖下を覗いて見ると、
「あ」
そこには巨人ゴブリンとラデス、二人の倒れた姿があった。両者とも大きく血を流している。一目見ただけでは相打ち、といった所だろうか。
「死んじゃった…?」
気の抜けた声で少女はラデスの状態を予測する。思いつく限りの最悪な推測だ。
「──いや」
彼は私に最後まで生き抜くことを教えてくれた。それを説いてくれた彼が簡単に死んでしまうわけがない。
「もうこれで最後だけど、迷ってる暇ない!」
彼女は最後の魔力を振り絞り、魔法を発動させた。先ほどまでの物とは違い、先ほどまでの魔法と比べれば、かなり頼りがいの無い物だろう。
少女はなるべく丁寧にツタを操る。今までにないくらいに繊細に。それはラデスの体を優しく持ち上げ彼女の所へ持ってきた。
少女は急いでラデスの口に耳を当て息があるか確認した。
「息、してない…」
血が何度も噴き出したのだろうか、傷跡に着いた乾くはずの血がいまだにドロドロしている。
しかも息をしていない。彼は呼吸をしていないのだ。
まさか、本当に死んでしまったのだろうか。
少女は一縷の望みにかけ、胸に耳を当てた。
「……動いてる!!」
微かに、ほんの微かにだが心臓の脈動音が彼女の耳に入った。呼吸が止まりながらも彼の命は尽きていない。まだ、彼は諦めていないのだ。
「お願い…! 生き返って!!」
彼女は懸命に心臓マッサージを行う。彼の胸と心に自らの願いが届くと信じて。
「────────うぅ」
彼の口から微かな息にまぎれた声が聞こえた。どうやら彼女の懸命な行為が彼を奇跡的に呼び戻したようだ。
「ひゅう……………ひゅう……………」
何とか蘇生に成功したが、依然ラデスの意識は戻らない。息の音も絶え絶えで、かなり彼が弱っていることが大した医療知識もない少女にも伝わって来る。
「今すぐ行かなきゃ、多分間に合わない」
少女は、今自らが目指すべき場所を自覚した。
彼をここから蘇らせられるかもしれない方法はただ一つ、今すぐに医者に見せることだ。幸いここから最も近いのは王都。あそこならば、まともな医療機関はそろっているはずだ。
人間の命には限界がある。諦めないという気持ちが稀に奇跡を起こすこともあるが、体の限界そう易々とはいかない。
こうしている時間にも刻一刻と彼の"死"が近づいている。
少女はラデスをおぶり山道を歩き始めた。
もう魔法は使えない。唯一戦えた彼も今は戦闘不能な状態だ。今、魔物に襲われたらたまった門じゃないことぐらい少女にも分かっている。
でも、それでも、
「絶対に、諦めてやるもんか…!!」
今まで、何度も助けられてきたから。今まで人に守られてきた命だから。
今度は私が彼を助ける番だと、彼女は息巻いてそう呟いた。
「ホウ? マダ生キ残リガイタカ」
「──!!」
その声を聴いた瞬間、背中に悪寒が走った。何度も、嫌というほど聞いた、人間ではない、人外の声。
嘘だと、幻聴だと信じたい気持ちを、耳に入る音が、そこらから感じる気配が否定する。
「ああ…ああああぁぁ!!」
ズシンズシンと地響きを鳴らしながら、木々から姿を現すのは緑色の巨大な生命体。その獲物を嬲るような眼光は生物としての本能的な恐怖を刺激してくる。
そしてその音が後ろからではなく辺り一帯から聞こえてくる。その事実は少女の最悪の想定を現実のものとした。
「兄者、コイツハ俺ノダ」
「オ前…、少シ喰イスギジャナイノカ? 少シハ自制シロ」
「ソウ言ッテ、イツモ譲ルノガお前ダガナ、可愛イ弟ヨ」
兄弟なのだろうか。彼らの他愛もない会話ももはや少女の耳には入らない。
最悪の想定。それは巨人ゴブリンが複数体いるということだ。
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未だ意識が覚醒しないラデスをおぶりながら目の前で繰り広げられる談話を目の前に、少女はただ黙っていることしか出来なかった。
巡らせていた思考も停止し目の前の残酷な現実を受け止めることで精いっぱいだ。
その滑稽な姿に彼らの顔が思わず緩む。
「金縛リニデモアッタカ? 人間」
「イヤ、恐レ戦イテイルダケダロウ。…最モ、今ニモ卒倒シソウダガナ」
「弱者ヲ侮辱スルナ、弟タチヨ。」
二人の兄にあたるのだろうか。三体のうち、一体の巨人ゴブリンが少女を庇い、自論の展開を続ける。
「私タチハ知ッテイル。生マレガ違クトモ、コノ世ノ弱者ト強者ハ既ニ決マッテイルノダ。恐レルコトハ恥ズベキコトデハ無イ。イツノ時代モ圧倒的強者ニ弱者ハ恐レル。コレガ世ノ摂理ダ」
「本来ナラバ我ラハ、ココデお前ヲ殺サナケレバイケナイ。ダガ、幸イナコトニお前ノ性別ハ雌ノ様ダ」
「我ラノ牝馬トナレ。ソウスレバ生カシテヤル。悪イ提案デハナイダロウ」
巨大な手を優しく差し出し、放たれるのは悪魔の提案。
人を見つけたら真っ先に殺すでもなく、喰うでもなく、説得に応じる。一族の繁殖が最大の目的。それがゴブリンなのだ。それに苦言を呈した者たちを蹂躙し、楽しんできたのだろう。
前までの私なら危うく提案に乗っていたかもしれない。
「──やだ」
「ン?」
「ずぇっっったいに、嫌だ!!!!!」
今まで声も上げずにただ唖然としていた彼女の大声に、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で驚く巨人ゴブリン達。
けれど、すぐにその顔は悪辣に歪み、
「……残念ダ」
彼らの拳が握りしめられる音がする。そしてそれは、ゆっくりとゆっくりと振り上げられて彼女の頭上に位置した。
ここから先に見える未来は文字通り、ぺしゃんこ。満身創痍の二人にそれを覆す策は無い。
もう終わり。本当の本当に終わり。
諦める、もんか。諦めて、たまるか。
死ぬ直前まで、終わる直前まで希望を捨てるな。
それがいま私にできる唯一の事だから。
「うわあああああああああああ!!!!!」
彼女はただ叫び、最悪の未来を変えるために一歩を踏み出す。
その一歩が望む未来へつながっていると信じて。
巨人ゴブリンの振り下ろされる拳の風圧を感じ、その空気の揺らぎで少女は一瞬目を閉じた。
その時だった。
「うわっっ!!」
空から何かが降ってきた。その衝撃で少女とラデスは後ろに吹っ飛び強制的に地に這いつくばらせる。
そして次の瞬間、彼女の耳に入り込んできたのは、
「アガアアアアアアアアアああアアアアア!!!!!」
擁護するふりをして彼女の尊厳を貶めた巨人ゴブリンの声。だが冷静に意見を述べるような声ではなく耐え難い苦痛を味わうときのような、そんな声だった。
衝撃で発生した土煙が晴れてその原因が少女にも理解できた。
彼の腕がものの見事に切り落とされている。人間でいう腕の関節の辺りから下が少女やラデスの様に地に落ちている。
まさに一刀両断。彼らの硬い体をこんなに綺麗に斬った主は、剣術のけの字の齧っていない少女でも相当な使い手だということすぐに理解できた。
同時に大剣を持つ、おそらく彼の手を切ったであろう者が目の前に悠々と立っているのが見えた。
「…どうやら、間に合ったとは到底言えない状況だな」
赤い髪をなびかせた長身の彼女は低い声でそう言った。




