第十五話 「ザ・ランニングマン」
決意を固めた二人に魔手が迫って来る。希望を文字通り、握り潰すために絶望がやって来る。
先も確かめた通り、ラデス一人ではこの状況を何とかすることは出来ない。だが、一発逆転できる一手として考えられるのはラデスが考えた作戦と彼女の持つ魔法しかないことは確かだ。
だが、一応彼女の使える魔法がどれだけの物か見てみたい。もしも、その威力が高い物ならばわざわざこの作戦を実行する必要はないかもしれない。
「よし! あの手に向かって魔法を打て!!」
「はい!!」
彼女の持つ杖に魔力が巡り魔法陣が展開される。そして、その魔法陣は後ろに悠然に立っている木の葉に触れた。
その瞬間、木の葉は異様な成長を遂げツタと呼ばれるものに変化した。そして一種の触手のように辺りをうねりながら手に向かい始めた。
初めて見る魔法。ラデス自身、魔法を使うことができない。ユーキも魔法をラデスの前で使うようなことは無かった。
そのため、普段の生活では起こり得ない光景、この魔力で草木を意のままに操る姿は少しの興奮を覚えるというものだ。
「す、すげぇ...」
そのツタに自我がないとはいえ、空を切り、黒い手に勇猛果敢に向かっていく姿はかなりの頼もしさを覚えさせる。
そして運よく仲間外れとなった一本の手と攻防戦を始めた。
「ん、んん?」
見ているだけでは、実力伯仲、互角の戦いといった所だ。手がツタに掴みかかるのを避け、ツタがペチっと攻撃する。その繰り返しだ。
ラデスが感じたのは違和感というよりも、軽い失望といった所だろうか。一本の手に苦戦するそれに先ほどまでの興奮はもはや無くなっていた。
──なんか、思ったよりも、そんなだな...
そう、まさに期待外れ。肩透かしを食らった気分だ。魔法というものはもっとすごいものだと思っていた。万能で、完全無欠なものだと思っていた。これならば、ラデスが戦った方がよいのではないかという意見もあるくらいだ。
「なんか、もうちょい、無いのか?」
「私、これしかできませんよ」
「ああ、そっか...」
「ちょっと!! まさかこれに期待してたわけじゃないですよね!?」
「いや、まあ、大丈夫だけどさ…」
──いや、でもこれ、意外といいんじゃないのか?
確かに、期待外れだ。だがラデスはそれとは他にこの魔法の優位性に気付いた。おそらくだが草木を成長させ、それを操る、という魔法だろう。
攻撃力は低いもののその使い方は多岐にわたる。拘束や攻撃のサポート、それに草木ならば基本的にどこにでもあるため、かなり使いやすそうだ。
「──っと!!」
それに、この魔法があれば俺の考えた作戦の生存率がかなり上昇するはず。
「ちょっと!! いつまで考え込んでるんですか!!」
「ん? うお、おおおぉぉぉぉ!!」
いつのまにかツタがボロボロにやられている。一対一では均衡していたが、もし多対一ならば話は別だろう。
そして、ネズミたちが好餌にありつくように何本もの手が指を蠕動させこちらに向かってきた。
こちらにはもはや戦うためのカードはない。だが、勝つためのカードは残されている。
人類史上最も原始的で、利己的に命を守る手段。
──『逃げる』という選択肢だ。
ラデスは迷わずそのカードを切った。
「おい!! 逃げるぞ!!」
「は、はい!!」
ラデスと少女は一心不乱に逃げ出す。少女はただラデスについていき、ラデスはただ、
──あの場所へ向かうために。
「あっぐっっ!」
走り出そうとするラデスだが、後ろからそれを追う足音が聞こえない。その代わりに何かを我慢する人の声。
振り返ると少女は倒れていた。苦悶と懊悩の表情を顔に浮かべながら。
「挫いてんのか…」
近づいて見てみれば左足が赤紫色に腫れている。この色や苦しみ方から見てだいぶ前から我慢していたのだろう。
この状態で彼女に走らせるのは酷というものだ。だが、置いていくわけにもいかない。
さらに、
「ヤット、見ツケタゾ」
「──!!」
急いで逃げなければいけない状況での絶望の再来。もはや応急処置をする暇もない。
選択肢はもう、一つしかない。
「クッソが!!」
ラデスは先ほどと同じように彼女を背中に抱え、走り始める。
「ごめ、んなさ、い...」
「謝罪は後でいい!! それよりもやってほしいことがある!!」
「な、なん...です?」
この作戦をうまく実行するためにはあいつに気取られないことが一番大切だ。
だが、あいつは意外に頭が切れる。恐らく人並み以上には。さらにこの二人の戦闘経験を合わせても奴のそれには遠く及ばない。
「──全力で、あいつを怖がれ」
ならば、演じるしかない。
全力で、ただ逃げることしかできない『雑魚』を。
ラデスは親が子にお手本を見せるようにただ、叫んだ。
「うわああああ!!! 助けてぇぇぇぇぇぇ!!!」
意図を汲んだ少女も彼の姿に倣い叫ぶ。
「いやあああぁああぁぁああ!!! 死にたくないいいいいぃぃいぃい!!!」
この世のすべてを恐れ戦くような叫び声。二人は必死に腹の底から恐怖を体現する。顔を歪ませ、体を震わせ、喉から血が出てしまうのではないかと思うくらい叫んだ。
心の底にずっとあった、今まで耐えてきた恐怖を一気に開放する二人は、さながら名俳優のようだ。
「ンン?」
巨人ゴブリンはその心底無様な様子をじっと見る。
ダサい。とてつもなくダサい一手。こんなんじゃとても勇者になれるとは思えない。
──だが、最善手の一手であることは確かだ。
「ハハッ!! 正直ナ事ハ良イ事ダ!!」
巨人ゴブリンは彼らを侮蔑した目で見た。嗤い、軽蔑し虫を見るような目だ。どうやら相手に下手に来られたらいい気分になるのは、人外である魔族も一緒らしい。
──よし!! 効いてる!!
奴の様子を見る限り、どうやらこの演技は疑われていないようだ。
ラデスは歓喜の表情をぐっと抑え、全力で心の底から恐怖を創り出していく。
「やめてくださいいぃぃぃいぃぃぃ!!! ひいいいいいいぃいい!!!」
「イイナ!! モット!! モット叫ベ!!」
ラデスの叫びを受けるたびに巨人ゴブリンの体は躍動し欣喜の雄叫びを上げる。天の祝福を一心に受けたような恍惚な表情だ。
加虐趣味でも持っているのだろうか。あれほどの激情はそう簡単には見られないだろう。
先ほどよりも勢いを増してこちらに進撃してくる巨人ゴブリンに対してラデスは未だ逃げるままだ。
その光景を見た緑髪の少女は思わず小声で、
「ちょっと、本当に大丈夫なんですか?」
「ああ、あいつにはこのまま突っ込んで来てほしいからな」
「は、はあ」
「それよりも、あんたにもう一個お願いがあるんだ」
「何ですか?」
「俺はこのまま全力で走る。そんでさっきみたいに手が飛んで来たら、魔法で壁を作ってそれの邪魔をして欲しい」
「わ、私の魔法でですか?」
「そうだ。簡易的なものでいいからとりあえず大きくだ。合図は俺がする」
「…分か、りました」
「よし、そうとなったら」
ラデスは己の足に力を込める。太腿、ふくらはぎ、足の裏と徐々に熱が伝わる感覚。疲労でパンパンになった足が羽の様に軽くなっていく。
もはや彼にとって体に魔力を流すことは造作もないことだった。
善は急げ。そんな言葉があるようにラデスは山中を全速力で駆けていく。皮肉な話だがさっき逃げている時に山で走るのは慣れてしまったようだ。
「ホウ? 速イナ。ダガ──」
必死に逃げる餌を逃がさまいと巨人ゴブリンは数多の魔手を伸ばし彼らに向かわせる。それら木々を器用に避けこちらに向かってくる。
ラデスは徐々に、確実に距離を縮めてくるそれらに対しタイミングを合わせ、
まだだ。まだ。まだまだ。まだだ。もう少し、もう少し。
「今だ!!」
「はい!!」
ラデスの呼びかけとほぼ同時に少女は魔法を放つ。周りの草木から網状のツタの壁が作られ、影の手の進路を妨害する。
一瞬止まりはしたが、手たちは掻き、裂き、千切り、その壁をほぼ意味の無い物へと変えた。時間にしてたったの数秒だ。
「よし! 今の、あと何発打てる?」
「あと…、三発くらい、です」
使える壁は三回まで。のように思えるが、もし予測不能の何かが起きた場合に二発程度は取っておきたい。つまり理想の話ではあと一発しか使えない、ということになる。
この考え方も短絡的なさっきの自分があっての話だが。
そして、予測不能な事態はいつ起きるかは分からない。
「──あ?」
ラデスが走ることに集中していると横の草木から、何かが飛び出してきた。一つじゃない。複数の何か。
よく考えてみれば気づくことだ。ここは、彼らの住処なのだから。
やっぱり、俺はまだまだだ。
前方に阻むゴブリン達を見ながらラデスはそう感じていた。
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二回目の最悪の状況。挟み撃ちだ。ラデスは急停止し、急いで打開策を考える。
まず、後ろに逃げるのは絶対に無理だ。となれば前方の道を切り開くしかない。だが、ゴブリン達は逃げ道を塞ぐように扇形の陣形を組んでいる。この陣形を崩すことがラデスの目標といえるだろう。
彼らには間違いなく考える頭はないはず。普段の襲撃でこの陣形がいいと本能で感じ取ったのだろうか。
いや、そんな事はどうでもいい! 今は考えないと!!
歩き音が後ろから聞こえてくる。
魔法を使うか? もったいないんじゃないか? いや、躊躇してる場合じゃない!!
「魔法を使ってゴブリンを木に縛ってくれ!!」
「はい!!」
そこらに生える雑草が魔法陣により成長しゴブリン達の周りを触手のようにうねり彼らを木に縛り付ける。狼狽し不自由になった体を解放しようと彼らは身をもがく。何が起きたかも分からず混乱しているようだ。
そしてゴブリンが退いたことによりできた道をラデスは突っ走っていく。もう今月は走らなくていいと思えるくらいは走っただろう。
あとはこの行動が報われるだけだ。
そしてラデスが一歩を踏み出した瞬間、彼の見ている世界が大きくぐらついた。
傾いているというより回転したという感覚。ありえない事だが、確かにこの目で見たものだ。
ラデスの右腕に鈍い痛みが発生し漸く何が起きたのか理解した。
転ん…だ……?
体が動かない。というか寒い。風邪を引いたときみたいな悪寒を体中に感じる。体がガタガタと震え徐々に意識と体の自由が奪われていく。
あ…あ……、こんな……時に…。
原因は考えるまでもない。失血による貧血だ。ラデスはとっくに限界を超えていた。体に流れるアドレナリンが今も苦痛を消してくれてはいるが体の機能までは誤魔化せない。
意識が再び朦朧としてくる。先ほどまで聞こえていた雨音が無くなっていく。
こんな所で死ぬ……のか……?
糞が……。
──少しだけ、代わろうか。
ラデスの体に力が漲る。震えて暴れる足が徐々に正気を取り戻しラデスの支配下になる。
「ん、ガアアあアアァァアあああぁああ!!!!!」
声にならない叫びを上げながらラデスは再び立ち上がる。そして走り出した。なぜか体が先ほどよりも軽い。
思わず笑みがこぼれる。まるで勇者の力を借りているかのような高揚感がする。強者の域に少しでも入れた気がして嬉しい。
「魔法は打たなくていいんですか!?」
「いや、いい」
このまま行ける。俺は走れる。俺は出来る。俺はやれる。
魔法なんか使わなくたって俺はやれるんだ。
「…サスガニ、シツコイナ。コレデ、今度コソ終ワリダ」
巨人ゴブリンがそう呟いた途端、高揚感が消え失せた。色づいていた世界が一気にモノクロに変わっていくような感覚だ。
脂汗が唇の端に入って口の中に少ししょっぱい味が広がる。その味が逆に緊張感の増加を助長する。
恐る恐る振り返ってラデスが見たのは、巨人ゴブリンが自らの影を纏っている光景だった。纏う影から先ほどとは比べ物にならないほどの何本もの手が出て巨人ゴブリンの体を支えている。
その姿はまるでヤスデのような節足動物のようだ。
そして追ってきた。口を大きく開けてこちらにめがけて突っ込んでくる。数多の魔手を蠢かせ、木々を蹴散らし大地を抉りながら。その一挙手一投足が破壊のすべてに直結している。
「やばいやばいやばいやばいやばい!!!!」
「早く早く早く早く早く走ってぇぇ!!!!」
どちらも演技の恐怖ではなく本物の恐怖だ。
ラデスは全速力で走るが、その何倍もある図体で巨人ゴブリンはそれに追い付いて来る。とんでもない速度だ。
「マっジで、早く着いてくれ!!」
ラデスがそう叫んだ時、目の前に小さな光が見えた。今まで努力をしてきた者への賛美のような気がした。
そこが本当にあの場所なのか分からない。でもラデスには自信があった。
それは、大食いで強欲だから。
「──俺たちの、勝ちだ」
「──へ?」
ラデスの勝利宣言に少女は気の抜けた返事をした。彼女の理解が追い付かない。それもそのはずだ。彼女は見ていないのだ。ただ、見ていないから分からないのだ。
「あいつは、何人も喰ってきた。ゴブリンは何人も食い物にしてきた」
もうすぐ追い付かれる。もう巨人ゴブリンの口がすぐそこまで来ている。
「──今度はお前らが食われる番だ」
そう言い放ちラデスは、空へ一歩を踏み出した。
かつて自分を絶望させた『大口』へ。




