第十四話 「生き抜くこと」
巨人ゴブリンの影が広がり、ラデスが見る世界を黒一色へと変えてゆく。そして広がった影から無数の手が出てきた。そして、ラデスに向けて無数の黒手が襲い掛かって来る。
ラデスは朦朧とする意識の中、無理矢理に足を動かして逃げてゆく。ラデスを掴み損なった手たちは木々に衝突した。そしてミシミシミシと木の幹を握りつぶし、耐え切れなくなった木が倒れた。
あんなのに捕まったらひとたまりもないだろう。
「コレデ、今度コソ、終ワリダ」
黒い影を瘴気のように体に纏いこちらに迫ってくる巨人ゴブリン。黒い手たちは今のラデスの移動速度よりも早い。ラデスは木々を盾にしてなんとか逃げているが、追い付かれるのも時間の問題だ。
そしてついに一本の影の手が木々を抜けラデスに向かって飛んできた。
こうなればやるしかない。効くかどうかは分からないが攻撃をしなければこのまま終わりだ。
ラデスは握る剣に魔力と今出せる分の力を込め、眼前にまで迫ってきた手に斬りかかった。すると、その手はあっさりと水が飛び散るように飛散し消滅した。
力は強いが耐久力は強くないのだろうか。なんにせよ、一撃で倒せるのならば少々楽だと言える。
「くっっそ....。また...来やがった...」
ラデスが一瞬思考巡らせたうちにも無数の手が空からこちらに飛んでくる。それを左へ飛び込んでなんとか避けるも弱った体が反動に耐えることが出来ずそのまま転がってしまった。
このままでは、意識が落ちて終わり。
かといって無策に突っ込んでも終わり。
ラデスは自らの頬をたたき自分の意識を無理やりにでも覚醒させた。曇る目に映るのは無数の手がいまにもラデスを殺そうと迫って来るという絶望の景色。
魔力を流す、という自らの壁を越えても届かなかった。純粋な力では絶対に敵わないと思い知らされた。
目の前には数多の手。これを、この数を避けきることなどできるだろうか。万一避けきれたとしてもその後に安全な未来は来るのだろうか。
いや、このまま、終わりかも、な。
あきら、めんな。
力がないのなら、頭で勝つ。戦略で勝つ。それで勝てなかったら、その時考えればいい。持ってるモン全部使ってから諦めろよ!! 体で負けてんのに心で負けてどうする!! 最後の最期までみっともなく足掻け!!!
ラデスはそう自分に言い聞かせ、刻々と弱っていく体を動かす。
彼はそのまま迫りくる死に向けて一歩を踏み出した。
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「酷いこと、言っちゃったな」
岩陰にへたりながら緑髪の少女は呟いた。心に残るのはただ、後悔と自責の念のみだ。大した怪我も負っていないのに私は諦めていた。あの人は助けてくれようとしていた。私なんかよりボロボロだったのに私に救いの手を差し伸べようとしていた。
──それなのに、私はそれを拒否した。
私はクズだ。死んで当然の人間だ。あんなの倒す術なんてない。もう他人に迷惑かけたくない。今頃、もう逃げきれただろうか。こんな私を囮に逃げられたのなら、もうそれでいい。
村から出て、夢を叶えるためにお金を稼がなきゃいけなくて、それで冒険者になって、でも私のせいでみんな死んで、それなら、そんなことになるくらいなら、私だけが死ねばいい。
今日の人達だってそうだ。あの人達は強かった。こんな私とパーティを組んでくれて、すごく優しくて、絶対に死んではならない人だった。
なのに、私が愚図なせいで死んだ。あの目は忘れられない。あの人たちが死ぬ間際にこちらを見た。あんなに優しそうな目が、ただ怨嗟の色だけに染まった。私のせいで。
いつのまにか、雨が降ってきた。空を見上げながら降ってきた雨に打たれる。雨が顔に当たって、まるで彼女を攻めているかの様だ。
ただ、雨が降る音だけが、耳に入る。そしてその中にこちらに誰かが来る足音がした。
多分、ゴブリンだな。ああ、もうすぐ喰われるか、住処に持ってかれてそのまま犯される。どっちにとっても死んだも同然だ。
──ごめんね。お母さん。お母さんの夢、叶えられそうにないや。
緑髪の少女は安らかに目を閉じた。そして間もなくやって来るであろう死を覚悟した。
「──おい」
少女は驚いた。ゴブリンが話せるわけがない。かといってさっきのでかいゴブリンはこんな声じゃない。
人間のように流暢で話し慣れたような声だ。少女はゆっくりとその目を開け、やってきた人物の姿を目に入れる。
そこには先ほど会った人がいた。でも、前よりもっとボロボロで痛々しい姿になっていた。
「──なんでっ」
「やっと、見つけた」
「あなたは、逃げたはずじゃ──」
「逃げてねえよ。あいつと戦ってたんだ。さっきまで追われてたけど、雨が降ってきたおかげでなんとか、巻けた」
「…なら、私を置いて早く逃げてくださいよ。ここにいたら、絶対死にますよ」
「ああ、だからあいつを倒す作戦を、俺は考えた」
「はっ!?」
唐突に出た意外な発言。あのような人知を超えた化物を倒すと彼は言った。見る限り彼は切り札らしい技を持っていそうなわけでもない。もちろん私もあるわけがない。
だが彼の顔、その眼差し、虚勢ではなく本音で言っているように思える。
「そんなこと、出来るわけないじゃないですか」
「ああ、そうかもな。でもこの作戦なら確実に致命傷は与えられるはずだ。でもそれにはあんたの協力が不可欠なんだよ。」
「だから!!そんなこと出来るわけないでしょう!?」
「いいですか!? 今ここにいるのは私たちだけ!! 私たちにあいつを倒せる力はありません!! 二人で力を合わせても倒せません!! 二人で助けを呼ぶにもどこへ行けばいいかも分からないし、迷っていたらそのうちあいつに追い付かれますよ!?」
「だからこそ、私を囮にしてあなただけでも生き残ることにかける。どう考えてもこれが最善策でしょう!?」
早口でラデスへの反論を捲し立てた緑髪の少女。息が絶え絶えになりながらも長い前髪から見え隠れする翠眼に宿る反対の意志は固いようだ。
その固い意志にラデスは、
「それ、本当にお前が思っていることなのか?」
「え」
ラデスは少女の心に踏み込んだ発言をする。ラデスの核心を突く言葉はさらに続いていく。
「お前、本当は死にたくないんだろ」
「何、言ってるんですか」
「俺にはわかる。お前は生きたいと、死にたくないと心の中で思ってるはずだ」
「だから!! 何言ってるんですか!!」
「大声出して、ごまかそうとしてんじゃねえよ」
ラデスの言葉に少女は黙り込む。会話は途切れ、周囲がふたたび雨音だけの世界に変わる。今ここに彼らを邪魔するものはない。だからこそ、彼女はこの空気に気圧されているのだ。
「さっきまで、俺も死のうとしてた」
「──!!」
「…でも、すんでのところで思ったんだよ。ああ、死にたくないって、死ぬの怖いって」
「お前も、そうなんだろ?」
「分かった口を、聞かないで、ください」
「いいから、正直になれよ」
「私は──!!!」
彼女はそう叫んだ瞬間にへたり込み、その場に座ってしまった。うつむいた顔から涙を流して、そしてぽつぽつと話し始めた。
「──もう、嫌なんです」
「私のせいで、誰も゛、死んでほしくないんです。目の前で、誰かが死ぬのはもう、うんざり、なんです」
「だから、私のために、お願いします」
──逃げて、ください。
くしゃくしゃになった泣き顔を見せながら言った、嗚咽を出しながら言った、彼女の悲痛な願いを、ラデスはただ黙って聞いていた。
彼女の気持ちは痛いほどわかる。残された者の気持ち。目の前で死なれる気持ちは想像を絶するとラデスは知っている。
拳を握る手が熱くなる。これ以上は血が出てしまうんじゃないかと思うほど強く、熱く握る。
…それでも、それでも、
「──生きるしか、ねえんだよ」
「──…」
「生きて、生きて、生きて、どんなに苦しいことがあっても生き抜いて、そんで、そんで満足するまで生きてようやく人間は死ぬんだよ!!」
「そりゃあ、道半ばで死んでいく人間だっているよ!! でも!! でも!!」
「──守られたやつが死んだら、守ったやつはどう、思うんだよ」
「…でも、私はもう限界──」
少女が来ている服の胸ぐらをつかみラデスは魔物が来る心配などよそに叫ぶ。
彼はただ、叫んだ。
「お前を守ったやつの中に!! お前を恨んでいる人間だっている!! それが現実だ!! でも!!」
「お前に願いを託して死んでった奴だっているんじゃないのか!!!」
ラデスの言葉に刺激され、彼女の中に懐古する記憶がよみがえる。幸せだったあの頃の記憶。母が、生きていた時の記憶。
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「ねえー、おかあさぁーん」
「ん?」
小さい家の中。少女とその母親であろう女性が椅子に座って話している。女性は一輪の小さい花を持っている。
「そのお花って本当に枯れないのぉー?」
「そうよ。すっごい小さい花だけど、この世界で一番強い花よ」
「へぇー。すごいねぇー」
「すごいでしょ? 私はいつかこのお花をたくさん増やしたいの。そうすればきれいなお花が絶えないステキな世界になるでしょ?」
「じゃあ、わたしがつくる──!!」
「それは、ちょっと早いんじゃないかな~~?」
「絶対作れるよぉー」
「ふふっ。そうね。あなたならきっと作れるわ」
「うん!!!」
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「お母さん!! お母さん起きてよ!!」
二人の家が、燃えている。二人で一緒にご飯を食べた皿。二人で一緒に育てた花。それが全て灼熱の炎の中に消えていく。
少女は母親の体をゆさゆさと揺さぶる。彼女の母親は動かない。返事もしない。
あの時、彼女の母親の体が黒い棘に貫かれてから、うんともすんとも言わない。
「なん…でぇ? なんで死んじゃったの?」
彼女は泣きながら母の亡骸に抱き着く。どうか、奇跡があるのならば起きてほしいと願いながら。
そして、母の手に握られた花が、目に入った。
絶対に枯れることのない不朽の花。
これは、願いだ。母の、願い。
「お母さん、私、作るよ。枯れない花」
彼女は燃える炎に包まれながら、母の遺志を、願いを継いだのだ。
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どうして、忘れてしまったのだろうか。こんな大切なことを。
なんで、大切に託された願いをいとも簡単にも捨ててしまおうと思えたのだろうか。
「──生ぎ、たぁいぃぃ」
「わだじにも、夢があるがらぁぁ」
「…それが聞けたら十分だ」
そうだ。俺だって、ユーキに託されたんだ。たとえ彼が何も言っていなくとも。
俺は、もう決めたから。
…雨音がする。
そして、足音もする。ズシン、ズシンと絶望がやってくる音が聞こえる。
「もう、大丈夫か?」
「ぐすっ、はい゛!!」
死に、怪物に抗うために二人は最後の最期まで生き抜く覚悟を決めた。
そこに一切の、後悔は無かった。




