第十一話 「個< 数」
そうと決まればと足早に闇市を去るラデス。
大事に大事に初陣への道を歩いていると、誰かが走って来る音が聞こえる。
「おい、待っとくれ」
後ろから呼び止められた。
しゃべり方から考えるに先ほどの老人だろう。
「すまぬ。言うの忘れておったわい。倒した分だけ報酬が上がるから、なるべく多く倒してきておくれ」
これはいいことを聞いた。
最近、金欠気味だからかなりありがたい話だ。
報酬が尻上がりで上げてくれる依頼人はめったにいない。まあ、まともな依頼を受けたのはこれが初めてだからあまり相場は分からないけど。
ラデスは再び道を歩み始めた。
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「うわ、水たまり凄いな」
王都から向かいの山へと続く草原。ラデスはそこを歩きながら独り言をつぶやいた。
先ほどの雨で作られたであろう水たまりが山へと続く草原のいたるところにある。
大きい物から小さい物まで多種多様に存在するそれは、まるでラデスの行く道を阻んでいるかのようだ。
こういう時馬車とかあれば楽なのだが...普通に手配するのを忘れちまった。
今から戻るのもありだが、王都に入るには少ないながらもお金がかかる。あまり無駄な出費は避けたい。
治安維持とはいえ、正直この制度はどうかと思う。騎士は普通に顔パスだし。
ラデスはため息をつきながらも水たまりを避けながら歩いて行った。
「着いたぁ」
ラデスの腑抜けた声に呼応するように鳥たちが囀りだす。
あの老人は知らなかったのだろう。そしてラデスも今気づいた。
「ここって、あのファゴス、か」
この山の名前はファゴス。広い山だが、斜面も緩く、軽い冒険とかのつもりで登山するにはもってこいの山だろう。
しかし、この山は冒険者の中でも、注意しなければいけないともっぱらの噂だ。理由は詳しくは知らないが。
ラデスは少しの危機感と緊張感を覚えながら獣道を歩き出した。
ラデスは今は知らない。ファゴスの本当の恐ろしさを嫌でも分からされるということを。
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「とりあえず、ゴブリン探すか」
山に入り五分?、いや十分は経った。
ゴブリンを倒す、と意気込んでいたものの、正直言ってどこを探せばいいのか分からない。一応迷わないために通った木に跡をつけて行っているが本当に大丈夫か心配だ。
そもそも彼らの住処はどこにあるのだろうか。
山奥だろうか。それとも山の中腹か、山裾だったらもう彼らに見つかっているかも。
森の中の虫や鳥、あらゆる生物がざわめき始める。ラデスの来訪を歓迎しているのだろうか。それともラデスに戻れと告げているのだろうか。
…それとも別の何かに怯えているのだろうか。
山の森の中、この閉鎖的な環境がラデスの冷静な心を少しづつ蝕む。良くない妄想が頭の中を駆けていく。
ラデスにとってここは未開の土地。何がいるかも何が起こるかも分からない。
『分からない』というものはここまで人を不安にさせるのか。
ラデスの体躯が薄らかに震えていき、体にじんわりと恐怖が染み込んでくる。呼吸がゆっくりと荒くなっていき、ここでラデスは初めて自分が愚かだということに気付いた。
────やっぱ、帰るか。
ラデスがそう決意しかけたその時──
がさ、がさ がさがさ、がさ
山の奥の方、いやすぐそこかもしれない。物音がする。
多分何かいる。
怖い怖い怖い! もう山にいる何かに見つかってるんじゃないか?
抽象的で正体が不透明な『何か』に恐れるラデス。それは彼の妄想でしかないのだろうが、彼の弱った精神はその妄想をますます助長させる。
しかし、人間は不思議なもので『分からない』ものを『知りたい』となってしまう生き物だ。
恐怖を押しのけて、好奇心の赴くまま愚かな青年は、自分の体を隠せる程の大きな木の裏から片目だけを出し様子を伺った。
「いた。それも、二匹」
あの真緑の体。人間の物とはまるで違う、鋭利に尖った耳。獲物を必ず見つけんとする血走った目。骨をも砕けるであろう強靭な牙。人間の真似事だろうか、棍棒のような武器を持っている。
間違いない。ゴブリンだ。
その二人組の魔物は隠れているラデスに気付く様子もない。どうやら酷く気が立っているようだ。
ここで逃げればよかったのだが、ラデスはその場所を離れなかった。というより離れられなかった。
なぜならラデスは初めて見るそれらに恐怖は感じなかったからだ。
それどころか、少しばかりの高揚感を覚えたのだ。
「これが魔物。これが」
初めて見るモノ。初めて知るモノ。周りの知識を貪欲に吸収する子供のようにラデスは彼らに見入っていた。
──しかし次の瞬間、山の大地越しにラデスの体に大きな振動が走った。
その振動がラデスの状態を冷静と呼ばれる所まで引き戻した。
何か大きな物が地面に落ちたのだろうか。振動から発せられた音から察するにそこまで遠くない。
目の前のゴブリン達も突然の出来事に困惑している。どうやら彼らの仕業ではなさそうだ。もちろん、ラデスが何かしたわけでもない。
しかし、ラデスが逃げるための隙が彼らに出来たのは言うまでもないだろう。
ラデスは気づかれないように息を殺されながら後退りをする。
大丈夫。大丈夫だ。
神がいつも微笑んでくれるとは限らない。なにもかもいつもうまくいくとは限らない。
ラデスはそんな大事のことをこの土壇場で忘れてしまっていた。
ぱきっ
何かを踏んだ。何を踏んだ?恐らく小枝だ。なんでこんな所に? 山だし当たり前か。さっきは無かったぞ? 気づかなかっただけか。明日の朝ご飯何だっけ。今日の昼ごはんどうしよ。あー。ローザに謝ってねえや。ていうか俺の誕生日いつだっけ。なんだか酒飲みたくなってきたな。今日はもう寝たい。
走馬灯みたいに様々な思考が頭の中で渦巻く中、ラデスの考えはある一つの結論にたどり着いた。
──ここから、どうする?
二匹のゴブリンの歪んだ両眼と目が合いながら、ラデスは自らの脳をフルで回転させ始めた。
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…とりあえず、剣を抜くか。
二匹のゴブリンを目の前にして必死に考えた結果がこれだ。情けない。本当に自分が嫌になる。
まずは作戦を練るためにこの膠着状態を維持しよう。
敵を眼前に威嚇し、じりじりと迫って来る彼らとは違いラデスは後方に下がり一定の距離を保つ。
「……っ!!」
後ろに下がっていく内に木にぶつかった。考える時間に制限が与えられてしまった。
まずい、と思った瞬間にはもう遅い。
常に死が隣り合う環境で生きている魔物は一瞬出来たその隙を見逃さない。
「ヴエェェェエエエェェアアアェアアアアァアッッ!!!!」
二匹の緑の化身は奇声を上げながらラデスに飛び掛かった。
ラデスはたまらず横へ逸れた。
おかげで体にダメージはないが、その光景を視界に入れなければならなかった。木に大きな陥没が出来ている。
木は倒れこそしていないがあんなの頭にでも食らったら、一発で意識が無くなるだろう。
敵前で意識を失う。それは、死と同義だ。
「くっっそっっ!」
ラデスはあてもなく森の中を走り出した。飢えた獣達は逃げる獲物を追う。
はあっ、はあっ、はあっ、はあっ。
ファゴスの樹海の中を縦横無尽に走るラデス。
ローザの特訓をしているとはいえいつもの整備された王都の道とは違い、木や岩を避けながらガタガタした道を走っているため体力の消耗が激しい。
息が切れる前に何か策を考えなければ!!
失敗したら命を失うという現実が焦燥感を際立たせる。死ぬ間際の冒険者はこんな気持ちだったのか。
嫌だ嫌だ!死にたくない!絶対に死にたくない!!!
ラデスの心の奥底から湧き上がる生存本能がラデスの思考と目を冴えさせる。
そして眼前の物に気付く。
その瞬間ラデスは思いっ切りジャンプした。
二匹の魔物はその行為の意味を考えることも無く突っ走っていく。そして──
「────!?」
彼らは先ほどの雨で出来た泥濘に見事に足を取られた。
突然に己の体の動きが停止し、混乱するゴブリン達。
卑怯者は一瞬出来たその隙を見逃さない。
ラデスは進行する方向を変え、ゴブリンに突っ込んでいく。
魔物、魔族は人間とは違い心臓や脳などの器官はあるが、傷ついても魔力で再生できる故、攻撃するのは得策とは言えない。
狙うは心臓の少し下、魔物の核となる部分、魔核。ここを完全に破壊すれば彼らは活動を停止する。
剣に魔力を込めありったけの力で、魔核があるであろう位置に剣を突き立てる。
「ゴフッ」
情けない遺言を残し、一匹のゴブリンは力なく倒れた。
…これで、後一匹。
ラデスがもう一匹のゴブリンを見ると、彼は自分の末路を悟ったのか、表情を強張らせ始める。
そして──、
「ウォォオオオオォオォオォオオォォォ!!!!!」
けたたましい咆哮を上げた。
次の瞬間、ラデスはもう一匹のゴブリンの魔核を刺した。
「あぁ、やれば出来んじゃん、俺」
眼下に倒れるゴブリンの死体を眺めながらラデスは、自分の身の安全が保証されたことによる安心感と達成感を感じていた。
これで、終わった。
かに、思われた。
ラデスがもう、帰ろうと考えていた時草むらから別のゴブリンが出てきた。
それも一体ではない。ぞろぞろと虫のように湧き上がってくる。
思い出した。前にゴブリンと戦った時になんで負けたのか。
数がめちゃくちゃ多くて、戦意喪失したからだ。
ゴブリンの特性として、二つ、特異な点がある。
一つ目は繫殖能力が異様に高いこと。
そして、二つ目は──
自分が危機に陥ると咆哮を上げ仲間を呼ぶことである。
瞬く間に逃げる道がゴブリンにより塞がれていく。
ラデスは本日二回目の命の危機に瀕した。




