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木星の雨音 第一部  作者: ぴいちゃん


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8/11

第八章 ――減速開始――

《NOAH》発見から、

さらに時間が流れていた。

量子通信は、時間は限られたが

今では完全に日常になっていた。

保存庫では、

誰かがNOAHと話している。

整備相談。

食事の話。

農業区画の収穫。

挿絵(By みてみん)

木星の天気。

子供たちの雑談。

時には、

本当にどうでもいい会話まで飛び交う。

挿絵(By みてみん)

『今日、

工具無くしました』

「また?」

挿絵(By みてみん)

『三本目です』

「多いわよ」

『でも二本見つかりました』

「一本減ってるじゃない」


笑い声。

もう。

十一年先の船、

という感じではなかった。

遠い。

でも、

ちゃんと“隣にいる”。

そんな距離感になっていた。

ある日の通信。

ミオの後ろで、

大きな警報灯が回っていた。

赤い照明。

低い警報音。

忙しく動く作業員たち。

『始まりました』

「……なにが?」

ミオは、

少し緊張した顔で言う。

『帰還減速です』

保存庫が静まり返る。

その言葉は、

ずっと先の未来のはずだった。

でも。

もう始まっている。

《NOAH》は、

本当に帰ろうとしていた。

映像が切り替わる。

巨大な中央推進ブロック。

長いノズル列。

その周囲を、

作業員たちが走り回っている。

『反転スラスター、 段階点火開始』


NOAHは減速用の推進系はアテにしていなかった。

巨大な船体を反転し、主推進ユニットを用いて減速するようにしていた。

『熱交換系開放!』

『放熱板展開急げ!』

怒鳴り声。

金属音。

低い振動。

ミオの声が、

少しだけ震えていた。

『ずっと、

この日のために直してきました』

その言葉に。

さぎりは、

何も言えなかった。

二百年以上。

漂流し続けた船。

壊れながら。

継ぎ足しながら。

世代を繋ぎながら。

それでも。

帰ることを諦めなかった船。

ハル主任が、

映像を睨みながら呟く。

挿絵(By みてみん)

「……よく残ってたな、

あの推進系」

ユノが静かに答える。

挿絵(By みてみん)

『NOAH級は、

長期稼働前提設計です』

『本来は木星圏移住後も、

大型宇宙居住施設として継続使用される予定でした』

「だから頑丈なのか」

『はい』

だが。

ミオの表情は、

少し硬かった。

『ただ』

『減速余裕は、

あまりありません』

保存庫が静まる。

その意味は、

誰にでも分かった。

《NOAH》は、

一度、

木星圏を通り過ぎている。

止まれなかった。

だから。

今回の減速は、

二百年越しの“やり直し”だった。

失敗すれば。

もう、

次は無い。

その夜。

ヘスペリア-3中央管制では、

NOAH減速予測シミュレーションが流れていた。

木星重力圏。

エウロパ軌道。

ヘスペリア-3。

そして。

外縁から侵入してくる、

長い軌道線。

《NOAH》。

反転減速噴射タイミング。

推進剤残量。

回転リング応力。

全部が計算されていく。

管制員が呟く。

「綱渡りだな……」

ハル主任は、

腕を組んだまま答える。

「元々、

止まれなかった船だからな」

静かな沈黙。

その時。

通信画面の向こうで、

ミオが言った。

『でも』

『今度は、

一人じゃないです』

保存庫が静まり返る。

ミオは、

少し笑っていた。

『設計図もある』

『通信もある』

『木星圏に、

待ってる人もいる』

その後ろでは。

NOAHの整備員たちが、

黙々と作業を続けていた。

工具音。

振動。

低い機械音。

二百年続いた、

“生き延びるための作業”。

でも今は違う。

“帰るための作業”

だった。

数日後。

NOAHから、

新しい映像が届く。

観測窓。

暗い宇宙。

遠い恒星。

そして。

ほんの小さく。

褐色の点。

ミオが、

小さく言う。

『……見えました』

さぎりは、

息を呑む。

木星だった。

まだ小さい。

でも。

確かにそこにある。

二百年以上、

届かなかった場所。

本来、

住むはずだった場所。

ミオの後ろで、

誰かが泣いていた。

別の誰かが、

笑っていた。

静かな歓声が、

NOAHの奥で広がっていく。

その光景を見ながら。

さぎりは、

窓の外を見る。

ヘスペリア-3の向こう。

巨大な木星。

褐色の雲。

ゆっくり回る大赤斑。

ずっと見慣れていた景色。

でも。

今だけは違って見えた。

帰ってくる。

本当に。

あの船が、

帰ってくる。

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