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木星の雨音 第一部  作者: ぴいちゃん


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6/10

第六章 ――設計図――

量子通信が開通してから。

《NOAH》とのやり取りは、

爆発的に増えた。

もう、

一週間待つ必要は無い。

「聞こえる?」

『聞こえてます』

「今何してるの?」

『冷却管交換です』

「今!?」

『今です』

笑い声。

リアルタイム通信は、

宇宙の距離感そのものを壊してしまった。

保存庫では、

四六時中、

誰かが《NOAH》と話していた。

保守記録。

生活映像。

故障相談。

雑談。

子供たちの声。

『ほんとに木星ってあんな大きいの?』

『氷輸送船って速い?』

『カレー辛かった?』

ヘスペリア-3の人々も、

普通に返す。

「木星は慣れる」

「輸送船は近くで見ると怖いぞ」

「カレーは辛い」


カレーは既に食堂の定番メニューになっていて

金曜日に提供される。

スパイスは地球輸送船が運んでくれるようになっていた。


その光景を見ながら、

さぎりは時々思った。

宇宙の果てだったはずなのに。

いつの間にか、

隣町みたいになっている。

ある日の夜。

保存庫では、

量子通信設備の冷却音が静かに響いていた。

ユノが、

古い端末群のデータを整理している。

ホログラムが、

空中のデータを流していく。

その時だった。

ユノが突然、

動きを止める。

『……検索一致』

「え?」

さぎりが振り向く。

ユノのホログラムが、

わずかにノイズを揺らした。

『旧地球航宙局アーカイブより、

艦種一致データを発見しました』

空中へ、

巨大な設計図が展開される。

挿絵(By みてみん)

以前展開された概要図より圧倒的に詳細である。

暗い保存庫が、

青白い光で満たされた。

巨大な中央ブロック。

対向回転リング。

長距離推進ユニット。

膨大な配管網。

複数世代の居住区。

そして。

船体中央へ、

大きく刻まれた名称。

《NOAH》

さぎりは、

思わず息を呑んだ。

「……これ」

ユノが頷く。

『第一世代木星圏移住コロニー船』

『NOAH級一番船』

『建造開始、

西暦2124年』

『地球出港、

西暦2128年』

『目的地、

木星圏』

保存庫が静まり返る。

量子通信機の低い振動だけが響いていた。

『当初計画では、

木星圏への恒久移住を目的としていました』

『しかし、

木星圏到達時に減速系重大障害が発生』

『木星重力圏への完全捕捉に失敗』

『そのまま太陽系外縁方向へ流出』

さぎりは、

ゆっくり設計図を見上げる。

木星圏へ住むはずだった船。

通り過ぎてしまった船。

その姿が、

今、

目の前へ表示されていた。

「……これ、

ミオたちに見せた?」

『まだです』

「送ろう」

ユノが頷く。

量子通信回線が開く。

数秒後。

ミオの顔が映る。

今では、

もう少し大人びていた。

髪も少し伸びている。

でも、

驚く時の顔は昔と変わらない。

『こんばんは』

「見つけた」

『?』

さぎりは、

設計図データを転送する。

数秒。

沈黙。

ミオの表情が止まる。

『……これ』

「NOAHの設計図」

ミオが、

ゆっくり画面へ近付く。

震える指で、

船体図面をなぞる。

中央ブロック。

回転リング。

推進系。

居住区。

冷却管。

古い構造番号。

全部。

今のNOAHの奥底へ、

まだ残っているものだった。

『……知らなかった』

その声は、

少し震えていた。

『こんな形だったんだ』

『ここ、

最初は居住区じゃなかったんだ……』

『この配管、

元は別系統だったんだ……』

NOAHの中では、

もう失われていた。

二百年。

修理。

継ぎ足し。

世代交代。

共食い整備。

事故。

改修。

何世代にも渡る変更。

今の乗員たちにとって、

《NOAH》は、

“直すもの”

ではあっても、

“理解されているもの”

ではなかった。

でも今。

初めて。

自分たちが、

何に乗っているのかを知った。

ミオの後ろでは、

NOAHの整備員たちが集まり始めていた。

誰かが叫ぶ。

『旧冷却ルート残ってるぞ!』

『待て、

この番号まだ現役だ!』

『この軸受構造、

今の補修と一致する!』

『推進制御系、

まだ原型残ってる!』

暗かったNOAHの通路へ、

興奮した声が広がっていく。

ミオは、

しばらく黙っていた。

それから。

小さく呟く。

『……帰れるかもしれない』

保存庫が静まり返る。

ユノの冷却音だけが、

静かに響いていた。

さぎりは、

少し笑った。

「うん」

窓の向こうで、

木星の雲がゆっくり流れていた。

「帰ろう」

その言葉は。

二百年以上、

宇宙を漂流した船へ向けた、

初めての“帰還宣言”だった。


つづく

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