表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
木星の雨音 第一部  作者: ぴいちゃん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/9

第五章 ――今、聞こえる声――

ina


量子通信設備の修復は、

簡単ではなかった。

むしろ。

絶望的だった。

保存庫地下。

旧保守区画。

封鎖された軍用通信設備。

巨大な円筒冷却器。

焼損した超伝導ライン。

腐食した接続端子。

停止した真空ポンプ。

どれも、

二百年前の設備だった。

挿絵(By みてみん)

「なんでこんなもん残ってんだよ……」

ハル主任が、

天井裏の配線を睨みながら呟く。

「普通、

途中で全部撤去されるだろ」

さぎりは工具ケースを抱えたまま、

苦笑する。

挿絵(By みてみん)

「でも残ってた」

「残ってたなぁ……」

ハル主任は、

煤けた配線束を軽く叩く。

埃が舞う。

「誰だよ、

保存決定したやつ」

ユノが静かに答える。

挿絵(By みてみん)

『記録では、

“将来必要になる可能性を否定できない”

と記載されています』

「先見性ありすぎだろ……」

ユノが言う

「私は保管庫なので」


整備班は、

少しずつ人数が増えていった。

保守員。

電力管理員。

冷却担当。

港湾技師。

みんな、

半分呆れながら協力していた。

理由は単純だった。

《NOAH》の話は、

もうヘスペリア-3全体へ広がっていた。

二百年以上、

帰れなかった船。

木星圏へ住むはずだった船。

通り過ぎてしまった船。

その船の人々が、

今も生きている。

それだけで、

十分だった。

「放っとけねえだろ」

誰かが言う。

その言葉に、

皆が頷いた。

修復作業は、

何ヶ月も続いた。

冷却ライン交換。

超伝導素材の再焼成。

旧規格端子の加工。

封鎖区画の再通電。

停止していた真空管制系の再起動。

保存庫の地下では、

ずっと機械音が鳴り続けていた。

その間も。

ミオとの通信は続いていた。

挿絵(By みてみん)

もちろん、

まだ片道一週間。

『最近、

返信遅いです』

「ごめん、

今ちょっと大工事中」

『また変なことしてます?』

「してる」

『やっぱり』

さぎりは笑う。

この言葉が届くのは一週間後。

返事が返ってくるのは、

さらに一週間後。

それでも。

今では、

その時間差すら愛おしく感じ始めていた。

ある日。

ミオから、

長い映像通信が届く。

『今日は、

中央循環区画を見せます』

挿絵(By みてみん)

暗い通路。

低い照明。

むき出しの配管。

修理跡だらけの壁。

NOAHは、

相変わらず薄暗かった。

だが。

前より少しだけ、

人の声が増えていた。

子供たちの笑い声。

工具音。

誰かの怒鳴り声。

遠くで鳴る調理音。

生活の音だった。

ミオが、

小さく笑う。

『最近、

皆ちょっと明るいんです』

「なんで?」

通信遅延。

一週間後。

返事が届く。

『帰れるかもしれないから』

保存庫が静まり返る。

その言葉は、

妙に重かった。

《NOAH》では、

ずっと“漂流”が前提だった。

生まれた時から。

親も。

祖父母も。

その前の世代も。

帰れなかった。

だから。

“帰る”

という言葉そのものが、

もう半分、

伝説みたいになっていた。

でも今。

木星圏と繋がった。

ヘスペリア-3がいる。

そこには人がいる。

食堂がある。

農業区画がある。

カレーの匂いがある。

雨の音がある。

そして。

待っている人がいる。

それが、

NOAHの中を少しずつ変え始めていた。

ある日の通信。

ミオが、

子供たちを映す。

暗い通路の片隅。

そこへ、

木星の映像が投影されている。

挿絵(By みてみん)

巨大な雲帯。

褐色の縞模様。

ゆっくり回る大赤斑。

子供たちは、

静かに見上げていた。

一人の少女が言う。

『これ、

ほんとに空なの?』

ミオが笑う。

『空じゃないよ』

『木星』

『でも、

ヘスペリア-3の人たちは、

これを空として見てるんだって』

子供たちが、

小さくざわめく。

その時。

小さな男の子が、

ぽつりと言った。

『……明るいね』

さぎりは、

しばらく言葉を失った。

NOAHの中は暗い。

二百年以上、

節電と修理を続けてきた船。

最低限の照明。

最低限の空調。

最低限の生活。

でも、

ヘスペリア-3は違う。

暖色照明。

人の声。

食堂。

笑い声。

洗濯機の音。

暮らし。

同じ宇宙なのに、

違う世界だった。

挿絵(By みてみん)

その夜。

保存庫地下では、

量子通信設備の最終調整が行われていた。

冷却系最大出力。

超伝導ライン接続。

真空維持開始。

そして。

木星圏物流の加速。

エウロパ基地。

十二基の五キロ射出カタパルト。

巨大圧縮バネ。

フライホイール。

電磁加速器。

核融合炉群。

氷輸送船。

通常より重い積載。

通常より高い射出速度。

木星圏全体が、

ほんの少しだけ速く回り始める。

氷輸送船は、

七万キロ彼方のヘスペリア-3へ向かって加速していく。

ヘスペリア側では、

接岸回生系が通常以上のエネルギーを受け取り続けていた。

《グゥゥゥゥゥン……》

低い振動。

この工程が数日繰り返されていた。


保存庫の照明が、

わずかに明滅する。

ハル主任が、

配線モニタを睨む。

「冷却維持」

『超伝導ライン安定』

『回生蓄積率上昇中』

『量子同期位相、

規定値接近』

整備員たちが、

走り回る。

冷却蒸気。

白い霧。

唸る真空ポンプ。


そして。

巨大量子通信装置が、

ゆっくりと目を覚ましていく。

ユノが言う。

『必要出力到達』

保存庫が静まり返る。

ハル主任が、

ゆっくり頷く。

「……繋げ」

さぎりの手が、

少し震える。

端末を操作する。

接続要求。

送信。

ノイズ。

冷却音。

沈黙。

その瞬間だった。

《―――》

音。

一瞬。

映像が乱れる。

次の瞬間。

画面の向こうで、

誰かが息を呑んだ。

リアルタイムだった。

ノイズ無し。

遅延無し。

今の音。

今の呼吸。

今の表情。

ミオが、

画面の向こうで固まっていた。

『……え』

挿絵(By みてみん)

さぎりも、

言葉を失っていた。

今まで、

一週間前だった声。

過去だった言葉。

それが。

今ここにある。

ミオの目が、

少しずつ大きくなる。

『……聞こえる?』

リアルタイムの声だった。

さぎりは、

一瞬呼吸を忘れる。

それから。

泣きそうな顔で笑った。

「聞こえる!!」

ミオの目に、

涙が浮かぶ。

『うそ……』

『今?』

『今、

喋ってる?』

「うん!!」

「今!!」

保存庫の中で、

誰かが歓声を上げた。

整備員たちが笑う。

ハル主任が、

疲れ切った顔で肩を落とす。

ユノのホログラムが、

静かに揺れる。

そして。

宇宙の果てにいる少女が、

今、

ここで笑っていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ