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木星の雨音 第一部  作者: ぴいちゃん


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4/11

第四章 ――量子通信――

十一年。

その数字は、

最初、

現実感が無かった。

でも。

通信を続けるうちに、

その距離は、

少しずつ“重さ”を持ち始めていた。

返信には一週間。

さらに返事に一週間。

会話は、

常に過去だった。

『今日は転びました』

そう書かれていても、

それは一週間前の出来事だった。

『熱交換機が止まりました』

『第三循環区画が寒いです』

『でも今は直ってます』

全部、

過去。

さぎりは、

時々妙な感覚になる。

ミオは、

今、

何をしているんだろう。

今、

笑っているんだろうか。

今、

眠っているんだろうか。

それが分からない。

それが、

宇宙の距離だった。

ある日。

ミオから、

長い映像通信が届いた。

『今日は、

《NOAH》の外壁補修に出ます』

映像の中で、

ミオは工具ケースを抱えていた。

少しだけ顔つきが変わっている。

幼さが減っていた。

背後では、

誰かが怒鳴っている。

『マグブーツ確認!』

『ライン固定しろ!』

『減圧チェック急げ!』

雑音。

金属音。

低い警報。

NOAHは、

ずっと修理を続けていた。

二百年以上。

壊れながら、

生き延び続けていた。

エアロックが開く。

映像にノイズ。

その瞬間。

宇宙が広がった。

暗黒。

遠い恒星。

そして。

傷だらけの巨大船体。

補修パネル。

溶接跡。

増設配管。

後付けフレーム。

何世代にも渡る修理痕。

《NOAH》は、

もはや“設計された船”ではなかった。

生き延びるために、

継ぎ足され続けた文明だった。

『ここ、

元は第三放熱板だったらしいです』

ミオが言う。

『今は居住区になってます』

「放熱板に住んでるの……?」

『はい』

少し笑う。

『でも暖かいですよ』

通信遅延。

一週間後。

さぎりは、

その返事を書く。

「それ、暖かくて大丈夫なの?」

さらに一週間後。

返信。

『たまに熱いです』

『あと変な音します』

『でも皆慣れてます』

さぎりは吹き出した。

保存庫の奥で、

ユノが静かにこちらを見る。

『笑いましたね』

「うん」

『最近、笑う頻度が増えています』

「なにそれ」

『良い傾向です』

さぎりは、

少しだけ照れ臭そうに笑った。

通信は、

少しずつ増えていった。

最初は、

ただの質問だった。

空。

雨。

木星。

地球。

でも今は違う。

『今日、

冷却ポンプがまた壊れました』

『食堂区画で喧嘩ありました』

『主任が怒鳴ってました』

『第三循環区画、

また停電です』

『子供が配管に挟まりました』

『助かりました』

生活だった。

宇宙の向こうに、

人がいる。

ちゃんと、

暮らしている。

それが分かる通信だった。

さぎりも、

ヘスペリア-3の日常を送るようになる。

食堂。

農業区画。

木星。

氷輸送船。

カレー。

『また作ったの!?』

『ずるいです』

『いい匂いしそう』

「匂いは送れないのよね」

『頑張って想像します』

通信遅延。

二週間。

でも。

少しずつ、

距離が縮まっていく感じがした。

ある時。

ミオが、

小さな子供たちを映した。

暗い通路。

配管の隙間。

狭い居住区。

そこで、

子供たちが集まっている。

『今日は雨を流します』

小さなスピーカー。

そこから、

地球の雨音が流れる。

ざああああ……

NOAHの暗い通路へ、

地球の雨が響く。

子供たちは、

静かに聞いていた。

一人の小さな男の子が言う。

『これ、

空の音?』

ミオが頷く。

『昔の地球の音』

その瞬間。

さぎりは、

言葉を失った。

雨が。

宇宙の果てで、

誰かの“風景”になっている。

保存庫の空気が静かになる。

ユノが、

小さく呟いた。

『文化記録の本来用途に近い状態です』

「……うん」

その夜。

さぎりは、

保存庫のさらに奥を調べていた。

古い保守区画。

普段は閉鎖されているエリア。

警告灯。

埃。

停止した冷却ライン。

古いケーブル。

そして。

巨大な円筒装置。

黒い外装。

焼け焦げた警告表示。


ユノの声が少し変わる。

『……認識一致』

「え?」

『旧式量子中継通信設備』

さぎりは、

装置を見上げる。

巨大だった。

軍用規格。

通常通信設備より、

遥かに大きい。

『木星圏初期、

深宇宙探査用として設置されたものと思われます』

「……動くの?」

ユノは沈黙する。

それから。

『理論上は可能です』

さぎりは、

思わず振り返る。

『ただし』

『必要出力が極めて大きい』

『現在の保存庫電力では起動不可能です』

静かな沈黙。

低い機械音。

さぎりは、

巨大装置を見上げる。

もし。

これが動けば。

リアルタイム通信が可能になる。

十一年先の少女と、

“今”話せる。


その時。

後ろから声がした。

「おい」

振り向く。

ハル主任だった。

挿絵(By みてみん)

作業着。

油汚れ。

疲れた顔。

でも、

目だけは妙に鋭い。

「こんなとこで何してんだ」

さぎりは、

少し迷ってから答えた。

「……NOAHと、

リアルタイム通信したい」

ハル主任は、

しばらく黙っていた。

それから。

巨大装置を見る。

配線。

出力表示。

焼損痕。

古い冷却管。

「……馬鹿みてえな電力食うぞ、これ」

「うん」

「木星圏の通常出力じゃ足りねえ」

「うん」

沈黙。

その時だった。

ハル主任が、

ふと物流モニタを見上げる。

空中へ、

エウロパ輸送スケジュールが展開される。

氷輸送船。

積載量。

到着周期。

射出速度。

巨大なエネルギーフロー。

ハル主任が、

小さく呟く。

「……回せばいいのか」

「え?」

「木星圏そのものを」

さぎりは、

意味が分からず首を傾げる。

ハル主任は、

エウロパ基地の物流図を拡大した。

十二基の五キロ射出カタパルト。

巨大フライホイール。

圧縮バネ機構。

氷輸送船接岸スケジュール。

「今、

輸送船十隻体制だろ」

「うん」

「平均積載、

十四万トン前後」

「うん」

「射出速度も、

安全寄りで抑えてる」

さぎりは、

少しずつ気付き始める。

「……上げるの?」

ハル主任が頷く。

「エウロパ側の電力なら可能だ」

「核融合炉出力には余裕がある」

「だったら、

電磁カタパルト側を強めればいい」

空中へ、

巨大な循環図が展開される。

挿絵(By みてみん)

エウロパ。

氷輸送船。

ヘスペリア-3。

回転リング。

回生システム。

フライホイール。

都市電力。

全部が繋がっていた。

「輸送船速度を上げる」

「積載量も増やす」

「ヘスペリア側接岸時の回生量も増える」

「つまり、

木星圏全体を少しだけ加速する」

ユノが静かに言う。

『合理的です』

『木星圏文明は、

物流エネルギー循環型社会です』

だがその時。

整備端末を見ていた保守員タカハが、

少し困った顔をした。

「……でも主任」

「積載量増やすと、

氷余りません?」

保存庫が少し静かになる。

ヘスペリア-3の現在人口規模では、

既に水供給は安定している。

これ以上輸送量を増やせば、

余剰氷在庫が発生する可能性があった。

ハル主任は、

少しだけ笑った。

「余るなら、

貯めときゃいい」

「それに――」

主任は、

空中に浮かぶ《NOAH》の軌道予測図を見る。

遠い。

まだ小さい。

でも、

確実に木星圏へ近付いている。

「……客が来るかもしれねえだろ」

静かな沈黙。

その言葉で。

保存庫の空気が少し変わった。


《NOAH》。

二百年以上、

帰れなかった船。

木星圏へ住むはずだった船。

通り過ぎてしまった船。

その船には、

今も人がいる。

子供たちがいる。

暮らしがある。

ハル主任は、

ぶっきらぼうに続ける。

「三キロ級コロニー船だぞ」

「水も空気も、

いくらあっても足りねえ」

「今のうちから増やしとけ」

タカハが苦笑する。

「……なるほど」

「じゃあ、

無駄じゃないんですね」

ハル主任は肩をすくめた。

「木星圏じゃ、

余裕があるってのが一番大事なんだよ」

ユノが静かに補足する。

『過去の木星圏災害記録でも、

備蓄余剰率の高いコロニーほど生存率が高い傾向があります』

「ほらな」

ハル主任が笑う。

「無駄じゃねえ」

「さぎり。レポートをまとめて管制に提出しとけ」


その言葉で。

全部が始まった。


つづく

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