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木星の雨音  作者: ぴいちゃん


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第57章ーー 一皿への夢 ーー

https://x.com/pochidayo

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建物を出ると、さぎりは区画長に尋ねた。


「前から気になっていたんですけど……。」


「ヘスペリア3では、お米って作れないんですか?」


区画長は少し考えてから、穏やかに答えた。


「ええ。」


「それはヘスペリア3が建設された当初からの課題でもあります。」


「まずは必ず人類を木星圏で生かすための資源の有効活用でした。」


「お米を安定して栽培するには、とても多くの条件を満たさなければなりません。」


「大量の水。」


「土壌や水田を支える数多くの微生物。」


「生態系を維持するための小動物や昆虫。」


「そして、気温や湿度を季節ごとに細かく管理する環境。」


「さらに、それらを長年運用してきた経験やノウハウも必要です。」


区画長は少し微笑んだ。


「もちろん、地球には膨大な栽培データが残されています。」


「ですが、農業というものは、データだけで完全に再現できるものではありません。」


「現場で積み重ねられてきた経験や勘が、まだまだ必要な世界なんです。」


挿絵(By みてみん)


ミオは静かにうなずく。


「だから、小麦が主食なんですね。」


「はい。」


区画長はうなずいた。


「小麦は水の消費も少なく、閉鎖環境でも安定して栽培できます。」


「ヘスペリア3では、限られた資源で確実に食料を確保することが最優先でした。」


「その結果、主食は保存パンになったんです。」


さぎりは少し残念そうに笑った。


「いつか、カレーライスが食べられる日が来るといいなぁ。」


区画長も笑顔で答えた。


「ええ。」


「それは、私たち農業担当みんなの夢でもあります。」


ミオも思わず笑った。


「地球では当たり前だったものが、一番遠い夢なんですね。」


区画長は静かに空を見上げる。


「いつか、ヘスペリア3で収穫したお米で炊いたご飯に、みんなでカレーをかけて食べる。」


「その日が来たら、きっと農業担当みんなで泣いて喜びますよ。」


しばらく誰も言葉を発しなかった。


それぞれが、まだ見ぬその日の食卓を思い浮かべていた。


白い湯気を立てるご飯。


香り高いカレー。


何気ない一皿。


けれど、このヘスペリア3では、その一皿こそが何よりも大きな夢だった。


やがて区画長が穏やかに笑う。


「さて。」


「夢の話ばかりしていても、お腹はいっぱいになりませんね。」


その一言に、一同は思わず笑った。


「それじゃあ、現実の仕事をお見せしましょう。」


区画長は歩き始める。


二人もその後に続いた。


工場の奥へ進むにつれ、ほんのり甘い香りや、味噌のような発酵の香りが漂い始める。


「この先は発酵施設です。」


「ここでは味噌、醤油、酢、それから酵母の培養などを行っています。」


ガラス越しには、大小さまざまな発酵タンクが規則正しく並んでいた。


配管が天井を走り、表示パネルには温度や圧力、発酵日数などの数字が静かに更新され続けている。


「すごい……。」


さぎりは思わず立ち止まった。


「思ってたより、工場って感じなんだ。」


「そうですね。」

挿絵(By みてみん)

ミオも透明アルミニウムの隔壁越しに見つめる。


「農場というより、研究施設みたい。」


区画長はうれしそうに微笑んだ。


「よく言われます。」


「農業というと畑のイメージがありますが、ヘスペリア3では収穫してからの仕事も同じくらい大切なんです。」


「ここで加工し、保存し、安全に皆さんの食卓へ届ける。」


「その最後の仕事を担っているのが、この紫区画なんですよ。」


区画長は穏やかに時計を見て微笑んだ。


「さて。」


「そろそろ、チズル主任たちの打ち合わせも終わる頃でしょう。」


「一度、管理棟へ戻りましょうか。」


「はい。」


四人は来た道を戻り、管理棟の前まで歩いていく。


すると、建物の前に一人の男性が立っていた。

挿絵(By みてみん)

紺色のパンツに、半袖の白いシャツ。


普段着に近い服装で、無精ひげもきれいに剃られている。


髪もいつもより整えられていた。


さぎりは思わず足を止めた。


「……あれ?」


「ハル主任?」


男性は振り向き、にやりと笑う。


「よう。」


その笑顔を見て、ようやく確信する。


「えっ!」


「ハル主任!?」


「一瞬、誰だか分からなかった。」


ハルは肩をすくめて笑う。


「そんなに違うか?」


「違うよ。」


さぎりは苦笑した。


「作業着じゃないだけで、全然印象が違う。」


その様子を見ていた区画長が、ハルへ軽く頭を下げた。


「お疲れさまです、ハル主任。」


「遅れていらっしゃるとは伺っていました。」


少し口元を緩める。


「まさか私も、エウロパの悲劇を味わうことになるんじゃないかと、少し心配していました。」


ハルは思わず吹き出した。


「ああ、その話か。」


以前、さぎりたちがエウロパを訪れた際、本来案内役を務める予定だった若い職員が、


『ハル主任が来るなら、もう俺の出番ないと解任されました。』


と、泣いてしまった出来事は、今ではヘスペリア3中の笑い話になっていた。


ハルは苦笑しながら首を振る。


「いやいや。」


「さすがに紫区画は俺も専門外だ。」


「今日は最後まで、案内を頼みたい。」


区画長はほっとしたように笑う。


「安心しました。」


ハルは管理棟へ目を向ける。


「チズルは、そろそろ終わるか?」


「ええ。」


区画長は時計を確認した。


「もう二時間ほど経っていますので、そろそろ打ち合わせも終わる頃かと思います。」


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