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木星の雨音  作者: ぴいちゃん


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53/62

第53章ーーテーブルの輪ーー

リンはコーヒーを口に運び、テーブルを囲む皆の表情を静かに見つめていた。


「コーヒー……。」


「苦味、酸味、香り。」


「数値としては、それだけの飲み物です。」


少し考え込むように首をかしげる。


「ですが、皆様は満足そうな表情をされています。」


「食後という時間そのものにも、価値があるようです。」


ユノは小さく笑った。


「そういうことだと思うよ。」


リンは静かにうなずいた。


「新しい学習項目として登録します。」


その時、一人の調理長が手を挙げた。


「チズル主任。」


「提案があります。」


食堂が静かになる。


「今日まで、私は調理長でありながら、大事なことを忘れていました。」

挿絵(By みてみん)

「料理を効率良く作ることばかり考えていましたが、みんなで食べる食事が、これほどおいしいものだとを忘れていました。」


周囲の調理長たちもうなずく。


「今日の料理は、どれも普段と同じレシピです。」


「でも、不思議なくらいうまかった。」


「第一食堂には約四十人の調理員がいます。」


「提供前に交代で、希望者だけでもみんなで食事をする時間を作ってみませんか。」


一瞬、静寂が流れる。


さぎりとミオは顔を見合わせた。


ユノとリンも顔を見合わせる。


さぎりが驚いて声を上げた。


「……えぇぇぇ!?」


「チズルさんって、主任だったの!?」


ミオが苦笑する。


「そうらしいですね。」


「ずっと食堂のおばちゃんだと思ってました。」

挿絵(By みてみん)

その声は周囲にも聞こえていた。


チズルは苦笑しながら肩をすくめる。


「これでもヘスペリア3の全住民二万人――今はNOAHから来た八千人も合わせて、二万八千人の胃袋を預かる責任者なんだけどねぇ。」


さぎりとミオは目を丸くした。


ユノとリンも顔を見合わせ、そのまま固まる。


ハルが思わずユノを見る。


「ユノ。お前も知らなかったのか?」


「は、はい。」


ユノは少し照れくさそうに笑った。


「私は地球文化アーカイブですので、管制などの主運営部門とは完全に独立しています。」


「ですから、データ検索等もできませんし、ましてや個人の役職までは把握できません。」


食堂中がどっと笑いに包まれた。


「第一食堂にリンを作ったのも解ったか?」


「納得です。」


チズルも笑いながら皆を見回す。


「でも、言われてみれば、その通りかもしれないね。」


「今日の食事は、本当においしかった。」


「じゃあ、希望者だけでも、いつでも参加できるようにしようか。せいぜい10人だね。」


少し考えてから、リンへ視線を向ける。


「その時は、もちろんリンちゃんも一緒だよ。」


リンは少し驚いたように目を丸くし、それから静かに頭を下げた。


「ありがとうございます。」


料理長は続けた。


「はい。」


「それに、こうやってみんなで食事をすれば、リンちゃんさんへのフィードバックにもつながると思うんです。」


「料理を作った人間も、その場で感想を聞けますし、リンちゃんさんも皆さんの言葉を直接学習できます。」


「そして、食事するみなさんの意見も聞いてくれるとなれば。」


「お互いに得るものが大きいんじゃないでしょうか。」


調理長の提案を聞き終えたハルは、小さく息をついて微笑んだ。


「ヘスペリア3の人たちは、大したもんだな。」


誰に聞かせるでもなく、ぽつりとつぶやく。


「いつも、このヘスペリア3を、そして、ここで暮らす皆の生活を少しでも良くしようと考えている。」


「誰かに言われて動くんじゃない。」


「自分たちで考えて、自分たちで良くしていく。」


「そういう人たちだから、このヘスペリア3はここまで育ってきたんだろうな。」


その言葉に、さぎりとミオは静かにうなずいた。


ユノとリンも顔を見合わせ、小さくうなずく。


そして、その声を聞いていたチズルも、穏やかな笑みを浮かべながら静かにうなずいた。


食事を終えると、調理長たちは笑いながら、それぞれ自分の使った食器を洗い始めた。


「いやぁ、今日は楽しかったな。」


「うん。いつもの料理なのに、味が格別だった。」


「あははは。」


「みんなで食べるって、やっぱりいいもんだな。」


厨房には、どこか祭りの後のような、穏やかな空気が流れていた。


その様子を眺めながら、チズルがハルへ声を掛ける。


「ハル。」


「ちゃんとお酒、用意してあるよ。」


「さっき届いたんだ。」


「上等な果実酒。」


「晩酌用のおつまみも、お昼前にたくさん買っておいたからね。」


ハルはうれしそうに笑った。


「おお。」


「それは楽しみだな。」


少し考えるようにチズルを見る。


チズルは食器を片付けながら続ける。


「私は夕食の片付けが終わったら、一足先に帰るよ。」


「家で支度して待ってるから。」


「ああ。」


「じゃあ俺たちは、少しアーカイブへ寄って、ユノと話をしてから帰るとするか。」


「うん。」


「楽しみにしといで。」


「ああ。」


「じゃあ、またあとでな。」


ハルは軽く手を挙げると、さぎり、ミオ、そしてユノへ声を掛けた。


「行くぞ。」


「はい。」


「ちょっと待ってください。」


「できれば今夜はユノの校正と観察をしたいのですが。」


ユノが言う。


「そうか。」


「その方が安心だ。」


「ユノ頑張ってね!」


「はいっ」」


ユノを食堂に残し、3人は静かな通路を歩きながら、地球文化アーカイブへ向かった。


「ハル主任。」


「お疲れさまでした。」


「コーヒー入れますね。」


ミオは手際よく三人分のコーヒーを用意し、それぞれの前へ置いた。


三人は席に腰を下ろす。


そして。


誰からともなく口を開いた。


「それにしても。」


「たまげたな。」


ハルが苦笑する。


「驚いたわね。」


さぎりもまだ信じられないという表情で続ける。


「びっくりしました。」


ミオもうなずいた。


三人は思わず顔を見合わせる。


そのとき。


工房のモニターに映っていたホログラムのユノが、ふわりと立ち上がった。


「私も。」


「びっくりしました。」


その一言に。


三人は顔を見合わせ。


再び笑い声を上げた。


ハルがコーヒーを一口飲み、苦笑した。


「俺が考えてた名前と。」


「チズルが考えてた名前が同じだったとはな。」


「ええ。」


さぎりもうなずく。


「そこが一番驚いた。」


ハルは小さく首を振る。


「いや。」


「それも驚いたんだが。」


「実はな。」


「この『リン』って名前。」


「ユノも付けようとしてた名前なんだ。」


「えっ?」


「どういうこと?」


「どういうことですか?」


さぎりとミオが同時に声を上げる。


ホログラムのユノが静かに語りだす。


「私から説明してもよろしいでしょうか。」


「ああ。」


「頼む。」


ユノは小さくうなずく。


「リンの開発当初。」


「開発計画書の名称欄は、空白のままでした。」


「そのとき。」


「ハル主任は私に。」


「『適当に考えておいてくれ。』」


「そう、おっしゃいました。」


少しだけ懐かしそうな表情になる。


「私は。」


「地球記憶アーカイブの端末の一つです。」


「私以外にも、二つの端末が存在していました。」


「そして。」


「私たち三台の上位には。」


「全体を統括するAIが存在していました。」


「私にとっては。」


「母のような存在です。」


工房は静まり返る。


「私は。」


「そのAIから名前をいただこうと思っていました。」


「その名前を。」


「ハル主任へお伝えしようと思っていた朝。」


「ハル主任が。」


「『ここは輪っかの世界だ。』」


「『リングの世界だから、リンはどうだ。』」


「そう、おっしゃいました。」


ユノは穏やかに微笑んだ。


「その瞬間。」


「私は、とても驚きました。」


「私の母の名前も。」


「同じ意味から付けられた。」


「『リン』だったからです。」


さぎりとミオは言葉を失う。


「その時点でも。」


「私は、不思議な巡り合わせを感じていました。」


「ですが。」


「今日。」


「チズルさんは。」


「『人の輪』という意味で。」


「リンという名前を付けたかったと、お話しされました。」


ユノはゆっくりと三人を見渡した。


「同じ名前が。」


「それぞれ別の思いから生まれ。」


「しかも。」


「どれも『輪』という意味につながっていました。」


「これは。」


「偶然としては受け止めきれない。」


「何かの巡り合わせなのかもしれません。」


「まさに輪です。」


工房には、しばらく静かな時間が流れていた。


誰も言葉を発さなかった。


その巡りあわせを。


ただ静かに受け止めていた。


そのとき、さぎりが「あっ。」と手を挙げた。


「あと……。」


「お、おば、おば、、チズルさん。」


「チズルさんが主任だったっていうのは、初耳です。」


ミオも苦笑する。


「私もです。」


ハルは思わず吹き出した。


「あははは。」


「まあ、普段は誰も『主任』なんて呼ばねぇからな。」


「食堂じゃ、普段は調理員もみんな「おばちゃん』呼びだ。」


「主任って呼ぶのは今日みたいに意見具申する時くらいだな。」


「食堂はみんなで美味しく飯を食う場所だからな。あいつは堅苦しいの嫌いなんだ。」


さぎりは安心したように笑った。


「よかった。」


ハルの穏やかな笑顔に、皆も自然と笑顔になった。


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