第52章ーーリンの初仕事ーー
リンが初めて食事をします!!
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夕食の準備が整うころ。
チズルはリンのドックの前まで歩いて行った。
「リンちゃん。」
「ユノちゃん。」
「起きる時間だよ。」
二人のまぶたがゆっくりと開く。
「おはようございます。」
ユノが微笑む。
リンも椅子から立ち上がり、軽く一礼した。
「夕食ですね。」
「ああ。」
チズルがうなずく。
「ハルにも連絡してあるよ。」
「もうすぐ来る。」
その直後。
厨房の入り口からハルが姿を見せた。
「悪い。」
「待たせたか。」
「いえ。」
「ちょうど起動したところです。」
ユノが答える。
ハルはドックの前へ立つ。
「よし。」
「リン。」
「いよいよ初仕事だ。」
「はい。」
リンの表情が少しだけ引き締まる。
調理員たちも全員集まり。
厨房には自然と人だかりができていた。
誰もが、小さな新しい仲間の最初の仕事を見届けようとしていた。
チズルが調理員たちへ声を掛ける。
「今日の夕食。」
「一人前ずつ持ってきて。」
「リンちゃん用に使うから。」
「はい。」
各担当が出来上がった料理を運んでくる。
保存パン。
シチュー。
サラダ。
温野菜。
果物。
飲み物。
一品ずつ。
ドックのシリンダーへ入れられていく。
リンがつぶやく。
「加工開始。」
静かな電子音が響く。
シリンダーの中で料理が自動的に十分の一サイズへ切断、加工され。
専用の小さなトレーへ、美しく盛り付けられていく。
調理員たちから、小さな歓声が漏れた。
「すごい……。」
「ちゃんと小さくなってる。」
「盛り付けまでやるのか。」
リンは出来上がった料理を見つめ、小さく頭を下げた。
「今日はユノの分も出すので2人前です。」
「ありがとうございます。」
そこでリンは、少しだけ困ったような笑顔を見せた。
「お願いがあります。」
皆がリンを見る。
「今日は初日ですので。」
「分析だけではなく。」
「皆さんと一緒のテーブルで食事をしたいと思います。」
「味だけではなく。」
「食事の時間そのものも。」
「共有したいのです。」
厨房は一瞬静まり返る。
するとチズルが、にっこり笑った。
「もちろんだよ。」
「みんなで食べよう。」
ハルもうなずく。
「ああ。」
「今日はまだ校正の日だ。」
「そしてリンの誕生日だ。」
「俺。」
「チズル。」
「さぎり。」
「ミオ。」
「ユノ。」
「リン。」
「そして調理長たち」
「皆で一緒に食べよう。」
ユノも微笑む。
「ありがとうございます。」
「そのほうが。」
「リンも。」
「より正確な基準データを取得できます。」
リンはうれしそうに笑った。
「はい。」
「よろしくお願いいたします。」
リンのテーブル。
リンとユノの椅子と食事プレート。
カトラリー類が食堂のテーブルに運ばれる。
リンは。
皆がテーブルに座わったのを確かめる。
そして、両手を合わせ。
その小さな身体から発するとは思えない大きな声で言う。
「いただきまーーーす!」
リンの明るい声に合わせて、さぎり、ミオ、ハル、食堂のおばちゃん、調理長たち五人、そして十五センチのユノが一斉に手を合わせた。
「いただきます!」
リンの初仕事が始まった。
◇
リンは小さく一礼し、皆を見回した。
「私のセンサー類は、味覚、栄養素、噛み応え、香り、喉越しなどをデータとして取得するものです。」
「しかし、それだけでは、人がどのように感じているのかまでは判断できません。」
「皆様が『おいしい』『少し硬い』『飲み込みやすい』『味が濃い』『香りが良い』など、感じたことを、ぜひ声に出してお話しください。」
「そのご感想と私のセンサーが取得したデータを照合することで、この数値が人にとってどのような感覚なのかを学習できます。」
「味覚センサーにつきましては、ユノがこれまで収集してきた味覚データを引き継いでおります。」
「主にミオさんとさぎりさんの味覚や嗜好につきましては、一定の基礎データがあります。」
「しかし、それはお二人の嗜好を基にしたデータにすぎません。」
「その評価が、多くの方にも当てはまるとは限りません。」
「ですので、本日も、そしてこれからも、皆様の感想が必要です。」
「一人でも多くのご意見をいただくことで、私はより多くの方に合った食事の評価ができるようになります。」
「なお、栄養素の評価につきましては、地球アーカイブに保存されている、人類が健康に生活するために必要な栄養データを基準としております。」
「そのため、栄養バランスの評価は、皆様のご感想とは別に、客観的な基準で行うことができます。」
「私は本日稼働を開始したばかりです。」
「そのため、あと2習慣ほどは、テーブルマナーや食事中の所作など、不慣れな部分があるかと思います。」
「ポロポロこぼしたりしたら、どうかご容赦ください。」
「それらにつきましては、ユノが私の動作を観察し、その都度、学習データの修正を行います。」
「日々改善を重ね、より自然な動作ができるよう努めます。」
十五センチのユノが笑顔で続けた。
「とはいえ、私も実際に食事ができていたわけではありません。」
「リンに教えられるのは、これまで私が観察してきたデータが中心です。」
「ですから、『ここはこうした方がいいよ』とか、『もう少しこうしてほしいな』ということがあれば、遠慮なく私でもリンでも、直接教えてあげてください。」
「皆さんの一言が、リンの成長につながります。」
さぎりはミオの方へ顔を寄せ、小声でささやいた。
「ねえねえ、それって……私たちのテーブルマナーが悪かったら、全部ばれちゃうってことじゃない?」
ミオは苦笑しながら小さくうなずく。
「ええ。そういうことになりますね。好き嫌いもバレちゃう。」
「うわぁ……恥ずかしいよね。」
「うん。」
二人は顔を見合わせ、小さく笑った。
その様子を見ていたリンが、少し慌てたように声を上げる。
「あ、料理が冷めてしまいます。普通に雑談しながら、お料理をいただきましょう。」
皆は改めて食事を始めた。
しばらくすると、調理長の一人が口を開く。
「いや、こうやってみんなで飯を食うのって、久しぶりだよな。」
「ああ、そうだねぇ。」
「忙しい日は下手すりゃ立ったまま食うもんねえ。」
食堂のおばちゃんが笑いながら言う。
女性の調理長。
「私の班作ったこのシチューとサラダ、どうですか?」
「うん、よくできてると思う。」
別の調理長もうなずく。
「このシチュー何より、野菜の旨味がしっかり出てるのがいい。豆乳でタンパク質も多そうだ。」
「このサラダもおいしいな。」
「シャキシャキだ。」
「ドレッシングがいい。何を使ったんだ?」
「そんなに難しいものじゃないわよ。」
女性の調理長は指を折りながら答えた。
「大豆油に塩。お酢。それから少しのサトウキビの粉、ごま、お醤油かな。だいたいいつもこのレシピよ。」
「あと、今日は野菜が良かったみたい。」
「なるほど。ごまと醤油が効いてるのか。」
今度は温野菜へ箸が伸びる。
「この温野菜も味がよく染みてるな。どうやって煮てるんだ?」
「こいつも、いつも通りだ。塩、水、醤油、果実酒、砂糖、それから少し味噌。」
「コツは一度、冷ませてからもう一度火を入れることだ。」
「ああーお前がサボっているあの時間か!」
「はぁ?冷ましてる時間は忙しいところにヘルプに入ってるじゃねぇか。」
「今日もお前のところにも!」
「うん、おかげで味がしっかり染みててうまいぞ。」
そんな会話が続く中、一人の調理長が保存パンを口にして言った。
「今日の保存パンは格別だな。」
「ええ?」
食堂のおばちゃんが不思議そうな顔をする。
「製法なんて何も変えてないんだけど。」
「いや、本当にうまい。」
別の調理長が笑う。
「たぶん、久しぶりこうやってみんなで食べてるからだな。」
「ああ、それはあるかもしれない。」
「ちゃんと座って食べてるしな!」
食卓は大きな笑いに包まれた。
その間もリンは真剣な表情で皆の会話を聞き、一つ一つを学習データとして記録していた。
「同一のレシピであっても、食事環境によって評価は変化します。」
「新しい学習項目として登録します。」
ユノが苦笑する。
「そういうところは、リンらしいね。」
少しして、ユノがぽつりとつぶやいた。
「ですね……私も、こうやって食べられたらな。」
リンがユノの方を見る。
「そうね。随時リンにはフィードバックしてるからね、」
そのリンの口元には、小さな野菜のかけらが付いていた。
ユノはそれを指先でつまみ、リンへ見せる。
「リン。」
「はい?」
「これ。」
「あ、本当だ。」
ユノはそのままリンの口へ野菜を運ぶ。
「はい。」
リンは素直に口を開け、ぱくりと食べた。
「ありがとう。」
「じゃあ次。」
ユノがそう言うと、リンはじっとユノを見つめたまま動かない。
「……。」
「いや、自分で口元を拭いてください。」
「あ、そうか。」
リンは慌ててナプキンを取り出し、自分の口元を丁寧に拭いた。
食卓から小さな笑いが漏れる。
ユノは改めてリンの食べ方を観察した。
「ナイフとフォークの持ち方は、だいぶ自然です。」
「ですが、お箸の使い方はまだですね。」
「私も使ったことはありませんが。」
その言葉を聞くと、食卓の全員が顔を見合わせた。
「じゃあ、見せてやるか。」
全員が一斉に箸を持つ。
カチ。カチ。カチ。
リンの視線が忙しく左右へ動いた。
「同時に七名を観察しています……。」
「情報量が多すぎます。」
「処理が追いつきません。」
食卓は再び笑いに包まれた。
「一人ずつ、お願いします。」
リンは自分の箸を見つめながら、小さくうなずく。
「練習します。」
その横でユノも少し照れくさそうに笑った。
「私も経験不足で申し訳ありません。」
その日、食堂では誰もリンを完成したAIとして扱わなかった。
皆で食べ、皆で笑い、皆で教える。
それは、新しい仲間を迎えた食堂の、最初の食事だった。
リンは、ヘスペリア3の食卓で少しずつ育っていくのだった。




