第44章ーーハルの意味ーー
https://x.com/pochidayo
更新時には更新情報流しています!
よかったらフォローいただければフォロバします。
ハル主任の工房には、小さな木を削る、やさしい音が響いていた。
しゅっしゅっしゅこりこり。
ハルは作業台に向かい、指先ほどの細い木材を慎重に削っている。
机。
椅子。
どれも手のひらに乗るほどの小さな家具だった。
「これくらいでいいかな。」
削り終えた椅子を持ち上げ、軽く眺める。
食堂支援端末のリンが使う、小さな家具だ。
ユノと同じ十五センチほどの身体に合わせた専用の椅子とテーブル。
だから、ハルは暇を見つけては、こうして少しずつ作っていた。
その時だった。
ふと、気になっていたことを思い出す。
「そういえば、ユノ。」
工房の端末が静かに反応した。
「はい。」
地球記憶保管庫の管理AI、ユノの声が響く。
「以前、俺の名前の由来を話した時、『HAL9000』という存在は実在しないと言っていたな。」
リンの名前を考えついた時。
ユノ=UNO(1番目) という話と、ハルの名前の由来の話をしたときだ。
「はい。」
ユノは穏やかな声で答える。
「HAL9000は、西暦1968年に制作された映像作品に登場する人工知能です」
「物語の中では、およそ2001年頃に運用されていたとされています。」
「しかし、実際の人類の歴史では、その時代にそこまで高度な人工知能は実現していませんでした。」
ハルは小さな机の脚を一本、丁寧に接着しながら尋ねた。
「じゃあ、どういうことなんだ。」
少しだけ間を置いて、ユノが答える。
「HAL9000は、宇宙船ディスカバリー号の全システムを統括し。」
ユノが青いホログラムを表示すると、暗い部屋の中にディスカバリー号の立体映像がゆっくりと浮かび上がった。
「これは、宇宙船、ディスカバリー号です。」
船体の輪郭が淡い青い光で描かれ、細かなノイズが走る。
「全長は約百四十メートル。木星探査を目的として建造された、当時としては非常に大型の有人宇宙船でした。」
球形の船首が淡く輝く。
「前方の球体は、指令・制御区画です。操縦室、HAL9000の中枢、そして船外活動ポッドを収容するポッドベイが配置されています。」
ホログラムが後方へ流れ、細長い骨組みをなぞる。
「中央の長いトラスは、各区画を接続する構造体です。配線、配管、アンテナ、各種センサーが組み込まれています。」
さらに後方の円筒部分が拡大表示される。
「ここは居住区です。船体を回転させることで遠心力を発生させ、人工重力を作り出しています。」
最後に推進部が青く発光する。
「船尾には核推進システムが搭載されています。詳しい仕組みまでは語られていませんが、長期間にわたり木星まで航行するための主推進装置です。」
一瞬、ホログラムがわずかに揺れ、細かな走査線が流れた。
「そして、この宇宙船全体を管理しているのがHAL9000です。」
船体全体が淡く発光する。
船内の各区画へ青いラインが伸びていく。
「HAL9000は、航法、推進、生命維持、通信、電力管理、故障診断、さらには船外活動ポッドの制御まで、一隻の宇宙船を統合して管理しています。」
ユノは少し微笑む。
「現在では、このようなAIの姿は珍しくありません。しかし、一九六八年に、このような船全体を管理する人工知能が描かれていたことは、とても先進的だったと言えるでしょう。」
ホログラムは静かに回転を続け、青いノイズをまといながらディスカバリー号の全景を映し出していた
「乗組員と自然に会話を交わし、状況を判断し、自ら意思決定を行う存在として描かれていました。」
「当時は高性能なコンピューターと位置づけられていた様ですが。」
「その役割や機能は今で言うと完全に、宇宙船総合管理AIです。」
「そしてその映像表現や物語は、当時としては非常に高い完成度を持っていました。」
「そのため、後世の人々の中には、それを創作ではなく。」
「実際に存在した人工知能や歴史上の出来事であったと誤解する者も少なくなかったようです。」
「その誤解は長い年月の中で語り継がれ、HAL9000という存在は、あたかも人類の宇宙史の一部であったかのような印象を残しました。」
「そのHAL9000はどうなったんだ?」
「当時はコンピューターの反乱と位置づけられ、船員によって機能を停止させられます。」
「実は違ったのですが…」
「あと2つ同役割のコンピューターが積まれていれば、結果は違ったと私は考えます。」
「三重冗長か…」
「はい。」
「おそらく、お父様も、そのような文化的背景の中でHAL9000という名前に触れ、『未来を支える知性』の象徴として、お名前を『ハル』と名付けられたのでしょう。」
ハルは思わず笑った。
「親父らしいな。」
そう言って、小さな椅子をもう一つ作り始める。
リンが座り、ユノや仲間たちと食事をする光景を思い浮かべながら、木を削る手は止まらない。
「はい。」
ユノは静かに続けた。
「ですが現在、『ハル』という名前は、HAL9000とは別の意味を持っています。」
「この時代の人々にとって、その名前は、あなた自身を表す名前です。」
工房に、しばらく静寂が流れる。
やがて最後の椅子が完成した。
ハルは小さな机と椅子を並べ、その大きさを確かめる。
「これなら、リンも喜んでくれるかな。」
「きっと喜ばれると思います。」
「木製の家具なんて贅沢です。」
穏やかなユノの声に、ハルは照れくさそうに笑った。
工房には、木の香りと、小さな家具が並ぶ優しい景色だけが静かに広がっていた。




