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木星の雨音  作者: ぴいちゃん


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41/62

第41章――おかえり――

https://x.com/pochidayo

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数時間後。


さぎりたちを乗せた氷輸送船は、荷物を満載したままヘスペリア3へ帰還した。


姿勢制御スラスターが短く噴き、船体をわずかに修正する。


工業リングが左に見える。


船は減速することなく、工業区画リングの外周に沿って設けられた円筒状のドッキングベイへ進入していく。


「横向きに入るんだ。」


「あれ?」


「ちょっと斜めじゃない?」


「5度斜めに入る」


「接岸します。」


ユノが静かに告げた。


ガコン。


柔らかな衝撃とともに、電磁クランプが船体を捕らえる。


「接岸完了。」


船は工業区画リングと平行な姿勢のまま固定された。


しかし、わずかに工業リングに対して斜めである。


電磁クランプに支えられた船体が、ゆっくりと九十度回転を始める。


窓の外で、工業区画がゆっくりと持ち上がっていく。


「……えっ?」


ミオが目を丸くした。


「なんで回すの?」


ハルは穏やかに答える。


「このまま止めると。」


「停止する頃には、積んできた氷が宇宙へ放り出される。」


ミオは思わず荷室へ目を向けた。


巨大な氷塊が、しっかりと固定されたまま並んでいる。


「あ……。」


「だから先に、氷が下になる向きへ回しておくんだ。」


「その回転を得るために少しだけ斜めに突入する」


「角運動量変換を利用した受動的姿勢制御と言うんだが。」


「わからんよな。」

挿絵(By みてみん)


さぎりとミオは口を揃え。


「ぜんっぜんわかんない。」


ハルは両手を持ち上げ、それぞれの人差し指を伸ばした。

挿絵(By みてみん)


「ほら。こっちがリング。こっちが氷輸送船だ」


二本の指を、まっすぐ一直線に並べる。


「このまま入って、ここで捕まったらどうなる?」


右手の人差し指を、左手の人差し指へまっすぐ押しつけながら滑らせる。


「力は、そのまままっすぐかかる。船は減速するだけだ」


今度は右手の人差し指を、ほんの少し斜めにした。


「でも、こうして少しだけ角度をつけて入る」


斜めになった指先を、もう一方の指へ重ねる。


「捕まったあとは、まっすぐ減速しようとする力がかかる。でも船は斜めだ。だから、その力を全部まっすぐには受けられない」


ハルは、そのまま右手の人差し指を滑らせながら、くるりと横へ倒した。


「この角度のぶんだけ、船体はこっちへ逃げる」


もう一度、指を動かす。


斜めに入る。

引っかかる。

そして、回る。


「分かるか? 最初から九十度回す力を加えるんじゃない。ほんの少し、斜めに入れてやるんだ。そうすれば、速度差を消すための減速そのものが、船を回す力にもなる」


ハルは、横を向いた人差し指を見せた。


「二百二十キロの速度差を殺しながら、その力で九十度、向きを変える」


少し間を置いて、付け加えた。


「まっすぐ入れば、まっすぐ止まる。斜めに入れば、止まりながら回る。そういうことだ」


「わかりやすい!」


重力が戻る


時速220キロの宇宙空間ではとるに足らない速度差。


しかし300mの船。30万トンの氷。そして4人。


そこからヘスペリア3が得られるエネルギーは膨大である。


その少しは、4つのリングの回転維持。少しはフライホイールへの物理エネルギー蓄積。


残りのほとんどはこのドックから電磁的に発電され、配電設備に貯蔵される。


ハルは言う。


「この設備はヘスペリア3の命なんだ。」


「今のこのこのベイが✕3✕3✕3の27機ある。」


船体は九十度回転ーーエスペリア3を上に見る形で、ドッキングベイの円筒の内側を1キロかけてゆっくりと減速していく。


全長五十八キロに及ぶ円筒状のベイは、リングの外周に沿ってどこまでも続いていた。


やがて搬送アームの前で静かに停止する。


「着いた。」


ハルが立ち上がる。


ハッチが開く。


ミオは一歩外へ出ると、思わず足を止めた。


「あれ……?」


見慣れた工業区画なのに。


何かがおかしい。


視線を上げる。


道路も。


搬送レールも。


氷処理施設も。


工業区画の風景が、そのまま頭の上に広がっていた。


「天井を歩いてるみたい……。」


思わず漏れた声に、さぎりがくすりと笑う。


「ドッキングベイはリングの外側だから。」


「最初はみんな、そう感じるんだよ。」


ミオはもう一度頭上を見上げ、小さく笑った。


「不思議……。」


三人は連絡路を歩き、工業区画へ続くエレベーターへ向かう。


足元の重力は、いつもの一G。


歩く感覚は変わらない。


それでも頭上には、工業リングが静かに広がっている。


ミオは何度も見上げながら歩いた。


見慣れたはずのヘスペリア3が、まるで別の場所のように見えていた。


氷輸送船がヘスペリア-3へ接岸した頃には、外周区画はいつも通りの忙しさを取り戻していた。


エウロパから運ばれた数十万トンの氷。


中央シャフトから伸びている回収装置。


ミオが首をかしげながら、ハルに聞く。


「あの回収の設備ってあんなに華奢で大丈夫なの?」


「ああ。そうか。」


「氷を回収するときには、ドッキングベイ側の装置でポンと投げる。」


「そうするとどうなる?」


「氷が船から離れるで合ってる?」


「ああ。その離れた氷は?。」


「!!!無重力状態になる!」


「あとは、あの回収設備で中央…無重力地帯まで引きずって。」


「そこで水精製プラントに入り。」


「水となって各リングやNOAHに供給される。」


「余った氷は中央外壁に保管される。」


「今度、見学に連れてっていやる。」


巨大なヘスペリア-3は、今日も休むことなく動き続けている。


ハッチが開く。


さぎりたちは船を降りた。


「どうする?」


ハルが言う。


「食堂行くか?」


ミオが少し笑う。


「さっきエウロパでカレー食べたじゃないですか。」


「そうだな。」


ハルも頷く。


少し考える。


そして。


「あいつが報告楽しみにしてる。」


「おばちゃん?」


「おばちゃん。」


さぎりが笑った。


「たぶんみんなそうよ。」


「だろうな。」


結局。


四人は食堂へ向かった。


いつもの通路。


いつもの照明。


いつもの人々。


エウロパから戻ってきたばかりなのに、不思議と落ち着く。


「帰ってきたな。」


ハルがぽつりと言った。


ミオも頷く。


ほんのわずかの間しか離れていない。


それでも。


ヘスペリア-3へ近付いた時に感じた安心感は本物だった。


食堂の扉が開く。


途端に香りが流れ込んできた。


香辛料。


保存パン。


そして。


どこか懐かしい匂い。


誰かがこちらに気付く。


「あ。」


「帰ってきた。」


声が広がる。


「おかえり。」


「エウロパどうだった?」


「無事だったか?」


あちこちから声が飛んでくる。


「ただいま。」


さぎりが答えた。


ミオも頭を下げる。


「ただいまです。」


その時。


カウンターの向こうから声が飛んだ。


「帰ってきたかい。」


おばちゃんだった。


大鍋をかき混ぜながらこちらを見る。


「ちゃんと飯食べてきたのかい?」


「食べてきた。」


ハルが答える。


「エウロパでな。」


「カレーも食った。」


「そうかい。」


おばちゃんは少しだけ残念そうな顔をした。


「それなら今日はおしまいだね。」


「いや。」


ハルが即答する。


「足らねえよ。」


「一つくれ。」


数秒。


食堂が静かになる。


そして。


笑い声が上がった。


「なんだい。」


おばちゃんが吹き出す。


「結局食べるんじゃないか。」


「別腹だ。」


「便利な腹だね。」


そう言いながらも。


おばちゃんは嬉しそうだった。


「今日は副菜を切らせちゃって」


「カレーと保存パンだけだが良いかい?」


「ああ、頼む。」


大鍋からカレーをよそう。


湯気が立ち上る。


皿を受け取ったハルは席へ向かった。


「いただきます。」


一口。


もぐもぐ。


少しだけ黙る。


「どうだい。」


おばちゃんが聞く。


ハルはスプーンを置いた。


「うまい。」


即答だった。


おばちゃんは満足そうに頷いた。


その様子を見て。


さぎりとミオが顔を見合わせる。


「なんか。」


ミオが言う。


「おばちゃんのカレー食べたい。」


「分かる。」


さぎりも頷いた。


「食べよっか。」


「食べよう。」


結局。


列が途絶えたカウンターに行き保存パンとカレーを受け取り卓に戻る。


「いただきます。」


結局三人ともカレーを食べていた。


「うん。」


ミオが頷く。


「やっぱりこの味ね。」


「でしょ。」


さぎりが笑う。


テーブルの上ではユノが胸を張っていた。


『文化です。』


「何が。」


『カレーです。』


「雑だな。」


ハルが言う。


『事実です。』


『私が地球文化として保存していた情報が現在まで継承されています。』


「そこは譲らないのね。」


『当然です。』


食堂に笑い声が広がった。


気付けば周囲の席に人が集まっていた。


整備員。


管制員。


農業区画の担当者。


輸送船の乗員。


自然と輪ができていく。


エウロパ帰りの話を聞きたい人は多かった。


皆、エウロパ基地が珍しいのではない。


さぎりとミオ、ユノがどう感じたのかを気にしているのである。


一段落したおばちゃんもカウンターから出てくる。


エプロン姿のまま椅子に腰掛けた。


居住区管理のお姉さんもコーヒーを片手に。


「失礼するわよ。」


と向かいに座った。


「それで。」


おばちゃんが言う。


「エウロパはどうだったんだい?」


挿絵(By みてみん)


ハルが先に答えた。


「特に問題ない。」


「設備も順調。」


「いつも通りだ。」


「それなら良かった。」


おばちゃんが頷く。


今度はミオを見る。


「ミオは?」


「初めてだったろ?」


ミオは少し考えた。


どこから話そうか迷う。


そして。


正直な感想を口にした。


「全部大きかったです。」


周囲から笑いが起きる。


「だろうな。」


「分かる。」


「最初はみんなそう言う。」


ミオも笑った。


「本当にびっくりしました。」


「射出施設も。」


「フライホイールも。」


「核融合炉も。」


少し言葉を探す。


そして。


静かに続けた。


「あと。」


「さぎりのお父さんとお母さんに挨拶できました。」


食堂が少し静かになる。


誰も急かさない。


ミオは続けた。


「ちゃんと挨拶してきました。」


「見守ってくださいって。」


おばちゃんがゆっくり頷く。


「そうかい。」


優しい声だった。


ミオも頷く。


「はい。」


その隣で。


さぎりが少しだけ微笑んでいた。


「私も。」


「お父さんとお母さんにミオを紹介できた。」


周囲の何人かも静かに頷く。


さぎりの両親を知る人は少なくなかった。


二十年前の事故。


長い年月が過ぎた。


それでも忘れられてはいなかった。


しばらく穏やかな沈黙が流れる。


重い空気ではない。


懐かしい誰かの話をしているような時間だった。


その時。


ユノが手を挙げた。


『報告があります。』


全員がユノを見る。


『エウロパのカレーもおいしかったですが。』


一拍置く。


『こちらのカレーもおいしいです。』


「そうかい。」


おばちゃんが笑う。


『はい。』


『甲乙つけがたいです。』


「偉そうだな。」


ハルが言った。


『評価は重要です。』


食堂に再び笑い声が広がった。


「ハルは邪魔じゃなかったかい?」


「邪魔どころか、ハル主任のおかげてすごく勉強になりました。」


ミオが言う横でさぎりが大きく頷く。


ユノも


「私もです。」


「ただ。」


「勤務員の一人を泣かせていました。」


おばちゃんはハルを睨む。


「違うんだ。あれは俺が行くからガイドが必要なくなってだな。」


「あいつは楽しみにしていた基地のガイドができなくなったって…」


「あんたのせいじゃないか!」


再び笑い声が広がった。


窓の向こうでは木星が静かに輝いている。


さぎり達か帰ってきた便でエウロパから運ばれた氷は、


もう荷下ろしが始まっている頃だろう。


発電ホイールには新しいエネルギーが蓄えられ。


どこかでは次の輸送船の準備も始まっている。


ヘスペリア-3は今日も動いていた。


人々の仕事によって。


人々の暮らしによって。


そして。


人々の食事によって。


「おかわり。」


ハルが言った。


「まだ食うのかい。」


おばちゃんが呆れる。


「待ってな。持ってきてやるよ。」


食堂に笑い声が広がった。


その中心で。


さぎりは静かに思う。


帰ってきた。


ヘスペリア-3へ。


自分たちの家へ。


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