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木星の雨音  作者: ぴいちゃん


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38/62

第38章ーーエウロパ食堂ーー

https://x.com/pochidayo

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慰霊広場を後にした頃には、ちょうど夕食の時間になっていた。


「まだ少し時間あるな。」


ハルが時計を見る。


「エウロパの飯はうまいぞ。」


「食っていこう。」


ミオが少し驚く。


「そうなんですか?」


「そうなんだよ。」


ハルは頷いた。


「ここで働く連中の唯一の楽しみだからな。」


「それに。」


「エウロパは火が使える。」


ミオは首をかしげた。


「火……ですか?アーカイブで見たことあります。」


「ヘスペリア3も、NOAHも、火気厳禁だろ?」


「溶接くらいだね。」


「酸素を必要以上に使えないからな。」


「もし火災が起きたら、閉鎖空間じゃ逃げ場がない。」


「だから調理は全部、電気かマイクロ波だ。」


ミオは静かに頷く。


NOAHでも同じだった。


食材を直接炙ることも。


フライパンを直火にかけることも。


炎を眺めることさえなかった。


「でもエウロパは違う。」


ハルが続ける。


「ここは氷が山ほどある。」


「核融合炉もある。」


「水を電気分解すれば、酸素はいくらでも作れる。」


「もちろん無駄遣いはしないが、宇宙船みたいに酸素を一リットル単位で惜しむ必要もない。」


「だから炎が使えるんだ。」


「エウロパ基地はな。」


「太陽系で。」


「地球以外で。」


「唯一炎が使える場所なんだ。」


「炒め物も焼き物も、酸素コンロで炎で作れる。」


「エウロパの氷は、水だけじゃない。」


「酸素はもちろんだが。メタンやアンモニア、有機物なんかも一緒に採れる。」


「それを少しだけ酸素に混ぜると、料理にちょうどいい炎になる。」


「発生した二酸化炭素や水蒸気まで全部回収して循環させる。」


「だから酸素コンロなんてものが使えるんだ。」


「パンもな。」


「火で高温で一気に焼き上げるから美味い」


ハルは少し笑った。


「たかが火だと思うだろ?」


「でもな。」


「人類は火を使うことで進歩した。」


「でも地球以外は酸素の問題で使えない。」


「宇宙開発初期は原子炉」


「そして今も使われる核融合炉。」


「熱は確保出来た。」


「でも、炎はいまだに使えない。」


ハルがニヤリとする。


「炎で作った飯は、本当にうまいんだ。」


「香りまで焼いてくれる。」


さぎりとミオは少しだけ目を丸くした。


炎で料理をする。


それは地球では当たり前だったはずの光景。


けれど宇宙で生まれ育った彼女達には、一度も経験したことのない料理だった。


「それって見ることができますか。」


「問題ないと思うが 後で確認する。」


直径1キロの基地中央区画。


ここも1Gを生み出すために回っている。


ミオが見上げる。


「さっきのフライホイールも、ここも。」


「やっぱり輪っかの世界なんだ・・」

ハルは少し笑いながら言う。


「輪。も【りん】って読むだろ?」


「英語だとリングだ。」


「ちょっと面白いよな。」


ミオの肩の上のユノが少し微笑んだ。


現在アーカイブユノがリンを設計してることは内緒だ。


食堂はとても大きかったが。


厨房の近くだけに長テーブルが十脚ほど。


椅子が百脚ほど。


それだけだった。


ちょうど何人かの作業員が集まっている。


作業服姿。


日に焼けることのない木星圏の人々。


みな顔見知りらしく、気軽に挨拶を交わしていた。


「こんばんは、主任。」


「おう。」


「珍しいですね。」


「客を連れてきた。」


「NOAHの子じゃないですか!かわいい!」


「さぎりも相変わらず美人だし。」


「両手に花ですねー。」


ミオの肩にいたユノが言う。


「ここにもう一輪あります!。」


エウロパ勤務員はあわてて。


「これがユノですか!ものすごく可愛いですね!」


「知ってます。」


笑いが起きた。


「今日。」


一人の若い整備員の男性が言う。


「俺、本当は3人のガイドをする予定だったんですよ。」

挿絵(By みてみん)

「でも。」


「ハル主任が同行するからガイドは必要ないって…ゆうべ…」


男性は涙を浮かべていた。


3人はハルを見上げて言う。


「泣かしたわね。」


「泣かしたね。」


「泣かしましたね。」


「まあ、なんだ…。」


「俺達のテーブルに来い。同席させてやる。」


男性の顔が晴れやかになる。


「ありがとうございます!!」


また、笑いが起きた。


食堂に入り。


ミオは周囲を見回した。


「思ったより人が少ないですね。」


「エウロパ基地にいるのは三十人ちょっとだからな。」


ハルが答える。


「その割には設備が大きいですね。」


「もともと数百人規模の基地だからだ。」


「今は。」


「数人は常駐」


「十人が勤務中。」


「十人が交代待機。」


「十人は今頃寝てる。」


「五日働いてエスペリアに帰る。」


「これを回してる。」


「そんな感じだ。」


「この居住区画リングも回ってる。」


「ヘスペリアと同じように重力はある。」


「でも勤務区画と交代待機は、ほぼ無重力だ。」


「長期滞在はできない。」


「ただし。」


「2人の調理員。居住区メンテナンス担当整備員は常駐だ。」


「ずっと基地内にいるからな。」


「へぇ……。」


大きな基地だった。


人は少ないが誰も不満そうな顔はしていない。


むしろ居心地が良さそうだった。


「ちょっと酸素コンロのことを聞いてくる。」


ハルは厨房の 調理員と話をして戻ってきた。


「大丈夫だってさ。来いよ。」


さぎりとミオ は目を輝かせる 。


「俺が一緒で良かっただろ。」


ユノが言う


「ハル主任の頭にぱいるだーして行っていいですか 。」


「ぱいるだーってなんだ?」


「頭に乗ることです。」


「どういう意味だ?」


「そういうものです。」


「そのぱいるだーは構わんが、何でだ。」


「ちょっと思うところがあるので。」


ミオは首をかしげながら。


肩のユノをハルの頭に乗せた。


厨房にいたのは、若い調理員だった。


白い調理着の袖を肘までまくり、焼き台の前で手際よく野菜を返している。


ハルの姿に気づくと、ぱっと顔を明るくした。


「ハル主任、お久しぶりです。チズルさんも元気ですか?」


「ああ。相変わらずだ」


「よかった。今日は両手に花ですね」


ハルの左右に立つ、さぎりとミオを見て笑う。


すると。


ハルの頭の上から、ユノが不満そうに言った。


「両手と頭に花です」


「あっ! 失礼しました!」


若い調理員が慌てて頭を下げる。


その様子がおかしくて。


さぎりとミオ、それにハルまで、三人は腹を抱えて笑った。


「そんなことはいいから。こいつらに酸素コンロを見せてやってくれ」


さぎりとミオが、同時に焼き台の方を向いた。


すぐそこの金網の上で、野菜が焼かれていた。


ピーマン。


かぼちゃ。


ブロッコリー。


小ぶりの玉ねぎ。


イモ。


その下で。


炎が揺れていた。


青い根元から、橙色の舌が立ち上がる


野菜の表面で油が弾けるたび、ぱち、と小さな音がして。


焦げた皮と、甘い匂いが厨房に広がっていた。


ミオが、ゆっくりと近づいた。


「これが……本当の炎なんですね」


声が、少し小さかった。


さぎりも黙って見つめている。


ヘスペリア3に炎の映像はいくらでもある。


地球アーカイブにも。


古い映画にも。


料理番組にも。


けれど。


目の前の炎は、映像とは違った。


揺れる。


音がする。


熱が来る。


そして。


さぎりは思わず、手を伸ばした。


「ああっ!!」

挿絵(By みてみん)

調理員が叫んだ。


「それ! ものすごく熱いからダメです!!」


「えっ」


さぎりは慌てて手を引っ込めた。


「……そんなに?」


「そんなにです!」


調理員は本気で青ざめていた。


ユノが言う


「さぎりさん。炎に触ろうとしました?」


「いや……触るつもりじゃ……」


「手、出してましたよ」


「ちょっとだけ」


「ちょっとでも駄目です!」


調理員が真剣な顔で言う。


ハルの頭の上に座ったユノが、炎をじっと見つめていた。


「熱放射を確認しました」


「ユノ?」


「映像資料とは違います」


小さなユノは、しばらく黙っていた。


炎が揺れるたび。


その小さな瞳の中で、橙色の光も揺れた。


さぎりとミオとユノ。


三人にとって。


それは初めて見る、本物の炎だった。


「はい。焼けましたよ」


調理員がトングを取る。


金網の上で焦げ目のついた野菜をひとつずつ持ち上げ、葉野菜の盛られたトレーへ載せていく。


じゅ、と音がした。


最後に、焼きたての玉ねぎを三人分に分ける。


「熱いので気をつけてくださいね」


「……私を見て言いました?」


さぎりが聞く。


「はい」


即答だった。


また、笑い声が厨房に広がった。


「どうぞ。」


「でも すぐに全部食べちゃダメですよ。」


「メインがまだなので 。」


「サラダ以外は残しておいてくださいね。」


トレーを受け取る。


ミオは思わず目を丸くした。


「えっ。」


トレーの上には鮮やかな緑色があった。


レタス。


トマト。


きゅうり。


新鮮なサラダ。


そして酸素コンロの直火で焼いた。


かぼちゃ。


芋。


にんじん。


ブロッコリー


ナス


玉ねぎ。


さらに果物まで添えられている。


「野菜……。」


「果物もある……。」


ハルが笑った。


「ヘスペリア3から。」


「毎便必要分だけ届くからな。」


「新鮮なうちに食わないともったいない。」


「それに。」


「今日は当たりだ。あいつは腕がいい。」


「いただきます。」


4人は手を合わせて言ってから。


ミオは箸を手に取る。


しゃくり。


レタスが音を立てた。


口に入れる。


思わず目を見開く。


「おいしい。」


「だろ。」


さぎりも頷いた。


「こんな新鮮なの久しぶり。収穫祭の時みたい。」


ヘスペリア-3で野菜は作られている。


だが人口二万人以上を支えるため、どうしても保存性、調理工程が優先される。


エウロパは違う。


人数が少ない。


三十人程度なら手間をかけ、贅沢ができた。


テーブルの中央には焼きたてのパンも並んでいた。


ミオがそちらを見る。


「これ……保存パンじゃない。」


「違うぞ。」


ハルが笑う。


「基地の酸素釜で焼いてる。」


パンをちぎる。


柔らかい。


ほんのり湯気が立っている。


「柔らかい……。」


「パンって柔らかいんですね。」


「香ばしい。」


「だって。」


ミオは少し困った顔をする。


「NOAHは保存ペースト食ばかりでしたし。」


「ヘスペリアも保存パンですし。」


それは確かだった。


ユノが小さく手を挙げる。


『パンは本来柔らかいものです。』


「知識としては知ってる。」


『実体験が不足しています。』


「そう。」


『はい。』


食堂に笑いが広がった。


その時。


厨房の方から良い匂いが漂ってくる。


「遅くなって申し訳ありませーん!!」


基地のみんなが並び、自分でトレーによそおっていく。


ミオの鼻が反応した。


「この匂い……。」


ハルが笑う。


「今日は金曜日だからな。」


「カレーの日だ。」


ミオとさぎりが顔を見合わせる。


「ここも?」


「ここもだ。」


「カレーがでた次の日は10人が交代だ。」


並びの後ろの方で順番待ちをしていると。


気がついた調理員が大鍋からカレーを注ぎ、渡してきた。


ちょっと特別扱いである。


そのカレーはエスペリアのカレーよりもサラサラしている。


どちらかというとスープの様だ。


ちょうど、さっきの整備員の男性が急いで近づいてきた。


「本当に良いんですか?」


「ああ。」


「本来はお前の役目だ。座れよ。」


「失礼します。」


ハルの隣に座る。


「あリがとうございます!」


男性は涙を浮かべる。


「また泣かせた。」


「泣かせたね。」


「泣かせましたね。」


ハルが否定する。


「いやこれは違うだろ!」


改めて。


「いただきます。」


これを、さっき目の前で焼かれた野菜と一緒に食べる。


香辛料の香り。


野菜の甘く香ばしい匂い。


そして焼きたてのパン。


男性が言う。


「今日のカレーは格別です!いろんな意味で!」


ユノが一通り味見をして小さく呟いた。


『文化は伝播するものです。』


「急にそれっぽいこと言ったな。」


ハルが言う。


『事実です。』


ユノは胸を張った。


『このカレー文化の起源は私です。』


「そこだけは絶対に忘れないのね。」


「当然です。」


笑いながらさぎりが言う。


「広めたのは私でーす。」


食堂に笑い声が広がる。


窓の向こうでは巨大な木星が静かに輝いていた。


その下で。


わずか三十人ほどの基地が夕食を囲んでいる。


3百年以上前の地球から続く料理を食べながら。


初めて、火が作る味を知りながら。


そろそろヘスペリア3への氷輸送船が出発する頃合いだ。


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