第36章――エウロパへ――
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「下りた。」
朝食の途中だった。
さぎりはタブレットを見ながら言った。
ミオが顔を上げる。
「何?」
「エウロパ上陸許可。」
タブレットを差し出す。
ミオが画面を見る。
確かにそう書かれていた。
エウロパ地表施設上陸許可
承認
「本当だ。」
「やっとね。」
さぎりは少し笑った。
そして静かな声で続ける。
「行こう。」
「エウロパ。」
「私のお父さんとお母さんに会いに。」
ミオは黙って頷いた。
「何か急用で呼び出されちゃ大変だから。」
「一応ハル主任にメッセージしておこう。」
さぎりは端末を操作する。
「来週金曜日にエウロパに行ってきます。」
数日が経ち。
エウロパに行く前日。木曜日の夜。
「明日はエウロパかぁ。」
「何年ぶりだっけ。」
「あの時に行ったのが最初で。」
「学生の時に研修で行ったのが最後か。」
「15年も会えてなかったんだ。」
「お父さん。お母さん。明日行くね。」
翌朝
ヘスペリア-3工業区画外周。
氷輸送船係留バース。
リングの外壁に沿って数隻の氷輸送船が並んでいた。
その一隻へ向かいながら、ミオが振り返る。
「ハル主任は来ないんですか?」
「来ないでしょ。忙しい人だから。」
その時。
後ろから声がした。
「誰が行かないって言った。」
工具箱を肩に掛けたハルが歩いてくる。
「え?」
「俺も行く。」
当然のような口調だった。
「聞いてないわよ。」
「今言った。」
「そういう問題じゃないでしょう。」
「有給が余ってた。」
「嘘ね。」
「たぶん嘘だね。」
ミオが吹き出した。
「今、丁度時間があるんだ。」
「上陸申請は出したんですか?」
「知らなかったか?俺はフリーパスなんだ。」
「なにそれずるい。」
「エウロパに何かあった時には、駆けつけなけりゃいけないからな。」
「あ。」
「なんかごめんなさい。」
「それに。」
ハルの顔が少し真面目になる。
「エウロパについて。」
「お前たちに教えなければならない事がある。」
「ガイドもしてやるぞ。」
「設備の解説もだ。」
ミオの型に乗った十五センチのユノが言う。
『私も行きます。』
「知ってる。」
『確認です。』
「何の。」
『同行することの確認です。』
「ゆけろぼになってるじゃない。」
『ゆけろぼと確認は別です。』
ハルが笑った。
「いつも通りだな。」
四人は空の氷輸送船へ乗り込んだ。
ハッチが閉じる。
船内はトラム1両分くらいの広さだった。
窓の向こうにはヘスペリア-3のリング。
居住区画の光が流れていく。
「今のヘスペリア3の外周速度は時速千七十キロ。」
ハルが言った。
直径十八キロ。
外周58キロ
2キロの幅の4つのリング。
一Gの人工重力を生み出すための速度。
氷輸送船もその速度でリングと一緒に回転している。
「射出します。」
船内アナウンスが流れる。
僅かな振動。
コトン。
係留クランプ解除。
船がリングから切り離された。
ヘスペリア-3がゆっくり遠ざかる。
氷輸送船にはメインエンジンなど無い。
リングが持つ運動エネルギー。
時速千七十キロ。
それがそのままエウロパへの初速だった。
『出発しました。』
ユノが言う。
「見れば分かる。」
『確認です。』
「何の。」
『出発したことの確認です。』
「そう。」
『はい。』
ミオが笑った。
船内に重力は無い。
ぷしゅっ。
姿勢制御スラスター。
水を推進力にプラズマで噴射するだけ。
ぷしゅっ。
「初期姿勢制御だ。」
「出発直後にちゃんと航路に合わせれば、少しで済むからな。」
船体がわずかに向きを変える。
少しだけ身体が振られる。
窓の外で、ヘスペリア3がゆっくりと遠ざかっていく。
四つのリングが静かに反対方向に回転し、その中心軸にはNOAHが寄り添っていた。
ミオは窓に顔を近づける。
「こうやって外から見るの、初めて。」
しばらく眺めてから、小さく笑う。
「中にいたときも大きなステ-ションだと思ってたけど、外から見ると全然違うね。」
「私もヘスペリア3を、こうやって見ることはあまりないよ。」
「15年ぶりくらいかな。」
さぎりが窓の外へ目を向ける。
「そうなんだ。」
ミオはもう一度ヘスペリア3を見つめた。
「二万人くらい暮らしてるんだっけ?」
さぎりは少し笑う。
「でも今は、NOAHが来たから二万八千人だね。」
「たくさんの人。」
ミオは感心したようにつぶやく。
「私は二十九年間、あそこで暮らしてきた。」
「二十九年かぁ。」
ミオはゆっくりとうなずいた。
「私は十九年間、ずっとNOAHだったから。」
二人はしばらく言葉もなく窓の外を眺めていた。
ヘスペリア3は少しずつ小さくなっていく。
その向こうには、黒い宇宙がどこまでも広がり、その反対側では木星がゆっくりと大きさを増していた。
氷輸送船は、静かにエウロパへ向かって飛び続けていた。
数時間後。
船内に電子音が流れた。
接近通知。
ぷしゅっ。
ぷしゅっ。
「最終姿勢制御だ。」
最終進入。
数時間の飛行で生じたわずかな誤差を修正していく。
窓の向こう。
白い世界が広がっていた。
エウロパ。
氷の大地。
黒い空。
そして空の半分を埋める木星。
「見えてきた。」
さぎりが言った。
ミオは窓へ顔を近づける。
そして息を呑んだ。
氷原の上に巨大な構造物が並んでいた。
一本。
二本。
三本。
全部で十二本。
地平線へ向かって真っ直ぐ伸びている。
「何あれ……。」
「受入・射出システム。」
ハルが答える。
「一本五千メートル。」
ミオは思わず黙った。
長い。
とにかく長い。
NOAHよりも長い
十二本の巨大施設が氷原の上を貫いている。
その周囲には採掘設備。
精製施設。
3つの核融合発電所。
そして巨大な円盤がいくつも見えた。
ゆっくり回転しているように見える。
だが近づくにつれて分かった。
巨大すぎるだけだった。
実際には猛烈な速度で回転している。
「フライホイールだ。」
ハルが言う。
「エネルギー貯蔵装置。」
ミオは窓から目を離せなかった。
氷輸送船は時速千七十キロのまま受入、射出施設へ進入する。
ごん。
接続。
その瞬間。
シートベルトが食い込む
ぶうううううん―――
低い振動が船体を包んだ。
ミオは窓を見る。
巨大フライホイール群。
その回転速度が上がっていく。
身体は前に引っ張られたままだ。
「始まった。」
ハルが言った。
「エネルギー回収だ。」
時速千七十キロの。
船が持つ運動エネルギー。
そのエネルギーが受入施設へ流れ込んでいく。
窓の外ではフライホイールが加速する。
そして見えない施設内部では。
帰りの射出に使うための四千メートル級巨大バネが圧縮されていた。
「この船が持ってきたエネルギーで。」
ハルが言う。
「この船が飛ぶ。」
氷輸送船は五千メートルの施設を進みながら減速していく。
減速Gは約0.3G
千七十キロ。
八百キロ。
さぎりが慌てる。
「あああーユノ!!」
急な前方へのGに対応できなかったユノはミオの肩から
ゆっくりと放り出されてた。
空中で足をパタパタさせながら。
前方の壁にくっついたユノは。
起き上がりその壁に立つ。
「大丈夫です。」
「ちゃんと掴んでいないとダメですね。」
ユノはそこからジャンプした。
目測を誤ったのか。
何度か空中で回ったあと。
「ぶ。」
ハルの額に背中からくっついた。
「ふぇどいん。」
「なんだそれは。」
聞きながらハルはユノを回収し。
ひとまず手のひらに納めた。
「額にに背中からくっつくことを。」
「ふぇどいんと呼称します。」
「レアです。」
「ユノがまたわけのわからない事言ってるね。」
「まったくだ。」
六百キロ。
三百キロ。
振動は続く。
フライホイールは回転数を増し続ける。
百キロ。
五十キロ。
十キロ。
そして。
零。
振動が止まった。
ごとん。
固定クランプ作動。
氷輸送船は静かに停止した。
そして約0.134G …無重力の船内より少し重いが
ほぼ無重力の状態になる。
窓の向こう。
巨大フライホイール群はなおも回り続けている。
次にヘスペリア-3へ向かう船を送り出すために。
「ようこそ。」
ハルが言った。
「エウロパへ。」
エアロックのハッチがゆっくりと開き始めた。




