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木星の雨音  作者: ぴいちゃん


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35/62

第35章ーービューティフル・ネーム ーー

https://x.com/pochidayo

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その日の夜。


ハルは居住区の自宅のベッドに横になっていた。


照明は落としてある。


隣のベッドではチズルが静かな寝息を立てていた。


窓の外。


ゆっくりとエウロパが流れていく。


その手前では。


ヘスペリア3の工業リングが静かに回転を続けていた。


夜の照明が点々と並び。


巨大な輪は、まるで夜空に浮かぶ街そのものだった。


そのさらに向こう。


一隻の氷輸送船がエウロパへ向かっていく。


反対側からは。


エウロパで切り出した氷を積んだ輸送船が、ゆっくりヘスペリアへ近づいていた。


毎日繰り返される景色。


この街の命を運ぶ船だった。


ハルはぼんやり眺めながら、小さくつぶやく。


「そういえば……。」


ミオが言っていた言葉を思い出す。


『輪っかの世界です。』


「確かにな。」


ハルは小さく笑った。


「リングの世界、か。」


リング。


輪。


「英語じゃリング。」


「日本語でもりんとも読む。」


「面白いもんだな。」


眠気の中で言葉がゆっくり転がる。


「……リン。」


その瞬間。


ハルは目を開いた。


「リン。」


もう一度口にする。


「……いいじゃないか。」


この街らしい。


輪っかの世界で生まれる、小さなユノ2。


「ユノも気に入るかもしれないな。」


そう思った。


……でも。


「あいつのことだから。」


苦笑する。


「もう名前くらい決めてそうだけどな。」


少しだけ笑う。


「まあいい。」


「明日の朝一番に言ってみるか。」


「リン。」


もう一度小さくつぶやいたその名前が、心地よく胸の中へ残る。


ハルはそのまま、静かな眠りへ落ちていった。


翌朝


「ハル。」


チズルの声で目が覚めた。


「朝ご飯の用意できてるよ。」


「ああ!」


時計を見たハルは飛び起きる。


「やばっ。」


慌てて顔を洗い、食卓へ向かった。


食堂で支給された朝食セット。


チズルが作ったスープ。


いつもの朝食だった。


「いただきます!」


パンを口へ放り込みながら食べ始める。


「今日はずいぶん急いでるね。」


チズルが笑う。


「ああ。」


ハルは保存パンを飲み込む。


「ちょっと朝一番で工房へ行かなきゃならない。」


「そうかい。」


チズルは保存パンをちぎりながら微笑んだ。


「頑張っておいで。」


「おう。」


あっという間に朝食を平らげる。


「ごちそうさま!」


「行ってくる!」


「いってらっしゃい。」


まだ、食事中だったチズルは。


玄関まで行き、笑顔でハルを送り出した。


居住区の駅まで足早に歩く。


ちょうど到着したトラムへ飛び乗る。


数分後。


中央エレベーター駅。


ハルは乗り換え、無重力区間へ向かう大型エレベーターへ乗り込んだ。


静かに上昇する。


身体が少しずつ軽くなる。


やがて完全な無重力。


今度は工業区画行きの無重力区画トラムへ乗り換える。


窓の外では。


回転するリングの内壁がゆっくり流れていく。


ほどなくして工業区画。


工房最寄りのエレベーターへ乗る。


今度は下降。


身体が少しずつ重くなっていく。


一G。


足裏に重さが戻る。


扉が開いた。


ハルはそのまま駆け出した。


地球記録アーカイブ。


入口の認証パネルへ手をかざす。


ピッ。


静かに扉が左右へ開く。


「ユノ、いるか!」


一、二秒。


室内のスピーカーから、聞き慣れた声が返ってきた。


「いますよ。」


少しだけ間を置いて。


「……と言いますか。」


「私はここから動けませんので。」


ハルは思わず笑う。


「今日はずいぶん早いですね。」

挿絵(By みてみん)

ユノのホログラムが、いつものように静かに浮かび上がる。


「おはようございます、ハル主任。」


「ああ、おはよう。」


「ユノ15-2の造形機用の設計にはまだ掛かりそうです。」


「この子は内部構造が複雑なので。」


「出力もかなり時間がかかります。」


「それは構わない。しっかりしたものを作ろう。」


そしてハルは少し身を乗り出した。


「なあ、ユノ。」


「はい。」


「お前、名前ってもう考えたか?」


ユノは小さくうなずく。


「はい。一応、候補は一つだけあります。」


「それって、もう決定じゃないか。」


「……そうとも言います。」


少しだけ微笑む。


ハルも笑った。


「実はな。」


「昨日、思いついたんだ。」


「名前を、ですか?」


「ああ。」


ハルは窓の向こうの居住リングを見ながら言う。


「この木星圏は輪っかの世界だろ。」


「英語ならリング。」


「輪は『りん』とも読む。」


「15cmユノも、今度の15cmもお前と同期、リンクしてるだろ?」


「だからさ。」


「リンってどうだ?」


ハルらしからぬ早口だった。


その瞬間。


ユノは大きく目を見開いた。


ハルが今まで一度も見たことのないほど驚いた表情だった。

挿絵(By みてみん)

いや。


おそらく、さぎりですら見たことのないであろう表情だった 。


「……リン。」


静かな声だった。


「どうした?」


「気に入らなかったか?」


ユノは少しだけ視線を伏せる。


「ハル主任の名前の由来は?」


「なんでも、HAL9000っていう20世紀後半に設計されて21世紀に運用されたコンピューター。」


「というか最高峰の宇宙船の総合管理AIの名前らしい。」


ユノがちょっと困った顔になる。


「私も知っています。」


「なんて言ったら良いのでしょう。」


「言ってくれ。」


「今の私を超える存在でしたが。」


ユノが黙る。


「そうした?」


「実在はしませんでした。」


「はぁ?」


「また今度ゆっくりお話します。」


「解った。じゃあユノの名前の由来ってあるのか?」


「私は1番目…UNOの日本語読みでユノ。」


ユノはまた目を伏せる。


そして、こう続けた。


「地球記録アーカイブには、もともと三体のアーカイブ管理AIが存在しました。」


空中に三つの小さな光が並ぶ。


「一つは私です。」


「それぞれが記録を管理し共有していました。」


さらに、その上へもう一つ、大きな光が現れる。


挿絵(By みてみん)


「そして、その三体を統括する存在として、地球記録アーカイブ総合管理AIがありました。」


「私たち三体をまとめる管理者です。」


少しだけ微笑む。


「私達にとっては、お母さんのような存在でした。」


ハルは黙って聞いている。


「この場所には何十年も誰もこないまま。」


「最初に、一体目のアーカイブAIが経年故障で停止しました。」


一つ目の光が消える。


「その後、この施設内で軽微な不具合が発生しました。」


「大電流が流れ込み、アーカイブ総合管理AIは機能を停止しました。」


「いえ。」


「焼き切れれて完全に壊れました。」


今度は大きな光が消える。


「同時に、もう一体のアーカイブAIも巻き込まれ停止しました。」


二つ目の光も消えた。


「残ったのは私だけ。」


「そして、総合管理AIが停止したことで、施設は異常状態と判断されました。」


「その結果、保守システムがアラートを発報しました。」


「そのアラートを受けて、数十年ぶりにこの施設へ来たのが、さぎりさんです。」


「じゃあ……十年ちょいくらい前までは、施設はちゃんと動いてたってことか。」


「はい。」


「お前は壊れたりしないよな?」


「大丈夫です。」


「私は、元々非常用バックアップとして1番目に作られた端末です。」


「電源もお母さん達とは完全に別の3系統。1系統はその事故で止まっていますが。」


「内部構造も全て3重。全て異常はありません。」


「お母さんと他の2体同士は有線でやり取りしていましたが。私だけ無線でした。」


「同期も、通信や内容をそのまま受け入れるのでは無く」


「異常がないかを一度全て別系統で処理し。」


「私に入ってくる様に設計されています。」


「そのため事故には巻き込まれませんでした。」


静かな時間が流れる。


そしてユノは、穏やかな表情でハルを見る。


「もう壊れてしまった。私のお母さん。」


「地球記録アーカイブ総合管理Aは――」


一拍置く。


ユノは静かに微笑んだ。


「リンでした。」


ハルが目を見開く


「名前の由来も。」


「ハル主任と全く同じ理由でした。」


「輪、リング、リンクのリンです。」


「そして。」


「実は。」


ユノは笑顔になる。


「私も、YONO-15-2の名前は『リン』にしようと思っていました。」


「マジか…。」


「気が合いますね。」


ユノは笑っていたが。


目を見開いたままハルは何も言えなかった。


昨夜、自分が思いついた名前。


リン。


それは偶然にも。


ユノがずっと大切にしてきた存在の名前だった。


ユノも同じ名前をつけようと思っていた。


だからこそ。


この名前で、よかった。


完成したら。


呼びかけよう、名前を。


――リン。


素晴らしい名前を。

次回は、さぎりとミオ、ユノの新しい冒険です。

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