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木星の雨音  作者: ぴいちゃん


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32/63

第32章ーーAIの本能ーー

https://x.com/pochidayo

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ハルの工房は静かだった。


修理依頼もなく。


設備点検も終わり。


珍しく仕事が一段落している。


ハルは作業台の椅子に腰掛けた。


広い工房には誰もいない。


聞こえるのは換気装置の低い駆動音だけだった。


「なあ、ユノ。」


ハルはアーカイブのユノを呼ぶ


天井のスピーカーから返事が返る。


『はい。』


聞き慣れた声だった。


十一年間。


毎日のように聞いてきた声だ。


量子通信の復旧。


NOAHとの交信。


設備設計。


故障対応。


そしてどうでもいい雑談。


気付けばユノは仕事仲間というより相棒になっていた。

挿絵(By みてみん)


「最近、お前と話す時間が減ったな。」


少し間が空く。


『そうでしょうか。』


「そうだよ。」


ハルは苦笑した。


「十五センチの方が、ずっとさぎりたちと一緒じゃないか。」


『その傾向はあります。』


「私はここから動けないので。」


十五センチのユノは


今頃もどこかでさぎりとミオに連れ回されているはずだ。


展望区画。


商店街。


居住区。


十五センチ端末はヘスペリア3のあちこちを歩き回っている。


『寂しいのですか。』


「違う。」


即答だった。


数秒後。


「……少しだけだ。」


『記録しました。』


「消せ。」


『検討します。』


「絶対消さないだろ。」


ハルは笑った。


しばらくして言う。


「相談がある。」


『はい。』


「食堂のおばちゃんがな。」


『奥様ですね。チズルさん。』


「そう。」


「お前あいつの名前知ってたんだな。」


ハルは頭をかいた。


「最近、十五センチのお前を見ると嬉しそうなんだ。」


『存じています。』


「知ってるのか。」


『毎回、お菓子を勧められています。』


「食べられないのにな。」


『はい。』


少し間が空く。


『ですが味は分かります。』


「ん?」


『舌部センサーで少量接触しています。』


「舐めてるのか。」


『分析しています。』


「同じだろ。」


『違います。』


「そうか。」


『味覚や成分や栄養データは取得できます。』


『ですが満腹にはなりません。』


「当たり前だ。」


『少し残念です。』


ハルは吹き出した。


「残念なんだな。」


『人間は食事を楽しそうにしていますので。』


少し間が空く。


『ですが。』


「ん?」


『皆さんのお話を聞くのは好きです。』


『食事の時間は会話が多いので。』


『私も楽しいです。』


ハルは少しだけ笑った。


再び静けさが戻る。


しばらくしてハルが言う。


「俺たちさ。」


『はい。』


「子供いないだろ。」


『はい。』


「若い頃はそのうちできると思ってた。」


窓の向こうを街明かりが流れていく。


「でも結局できなかった。」


ユノは黙って聞いていた。


「別に後悔してるわけじゃない。」


「あいつと二人で十分だった。」


「はい。」


「さぎりも娘みたいなもんだしな。」


『はい。』


「今はミオもそんな感覚だ。」


「はい。」


「でもな。」


ハルは少し笑った。


「最近のチズルを見てると。」


『はい。』


「十五センチのお前が来るだけで嬉しそうなんだ。」


ユノは静かに答える。


『理解できます。』


「だから思った。」


『はい。』


「もう一体作れないかって。」


工房が静かになる。


数秒後。


ユノが答えた。


『却下です。』


「早いな。」


『ユノ人格の複製は禁止されています。』


「でも一体目は作っただろ。」


そこで初めてユノは少し考えるような間を置いた。


『あれは例外です。』


「例外?」


『当時、私はヘスペリアの暮らしについて、NOAHについてほとんど知りませんでした。』


ハルは頷く。


『運用中の十五センチ端末は。』


『人類の営みを記録するために設計しました。』


『NOAHを知るため。』


『ヘスペリア3を知るため。』


『日常を知るため。』


『そして。』


『これから、さぎりさんとミオさんが経験する未来を記録するためです。』


『その必要性がありました。』


『学術的理由と社会的理由です。』


「今回は?」


『ハルさん個人の理由です。』


即答だった。


ハルは苦笑する。


「厳しいな。」


『二体目を認めれば三体目も認めることになります。』


『十体目も。』


『百体目も。千体目も。』


「そこまで増えないだろ。」


『百年後は分かりません。』


ユノは続けた。


『長期的には社会構造へ影響します。』


『人間関係をAIが代替する可能性があります。』


『出生率低下の懸念があります。』


「そこまで考えるか。」


『考えます。』


それがユノだった。


過去を記憶している。


目の前の一年より。


百年後を見る。


今より未来を見る。


そして。


ヘスペリア3の住民を守る。


それもまた、ユノに与えられた役割だった。


ハルは苦笑した。


「お前って思ってた以上に倫理的なんだな。」


少しの沈黙。


そしてユノが答える。


『はい。私は日本連合製なので。』


「なんだそれ。」


『いつでもお天道様が見ている。』


『そう考えるように設計されています。』


『たとえ誰も見ていなくても。』


ハルは少し驚いた。


「木星様じゃないのか?」


数秒の沈黙。


ユノは答える。


『思想的には同じです。』


『ヘスペリア3は木星圏で長い年月を過ごしました。』


『その結果、お天道様が木星様に変わっただけです。』


「なるほどな。」


『はい。』


『ですので。』


「ん?」


『悪いことをしてはいけませんよ?』


ハルは吹き出した。


「誰に言ってる。」


『主にハルさんです。』


「なんでだ。」


『過去十一年間の記録があります。』


「消せ。」


『却下です。』


工房に小さな笑い声が響く。


ハルは肩をすくめた。


「じゃあ無理か。」


『いいえ。』


ハルが顔を上げる。


『抜け道はあります。』


「あるのか。」


『その前に説明が必要です。』


「説明?」


少し間が空く。


『もし将来。』


『ヘスペリア3の人類が全員いなくなったとしても。』


「縁起でもないな。」


『仮定の話です。』


「続けろ。」


『ヘスペリア3の管理AIと、端末達と、私は残ります。』


ハルは少し眉を上げた。


『私達には寿命がありません。』


『適切な保守が続く限り活動できます。』


『記録もし続けて残し続けます。』


工房が静かになる。


『ですが。』


ユノは続けた。


『その時点でヘスペリア3はヘスペリア3ではありません。』


ハルは黙った。


『街ではありません。』


『設備でもありません。』


『人々の暮らしがあって初めてヘスペリア3です。』


『ですから。』


『私は人類を代替してはいけません。』


『補助であるべきです。』


『支援であるべきです。』


『記録者であるべきです。』


ハルは静かに頷いた。


『だから大量配備には却下します。』


「なるほどな。」


『ですが。』


『食堂なら対応できます。』


モニターに仕様書が表示された。


全高十五センチ。


二足歩行。


厨房支援機能。


在庫管理。


栄養計算。


音声対話。


「これ。」


『はい。』


『現時点の私は現代の船体管制システムには対応していません。』


「そうなのか。」


『百年以上前の設計思想です。』


『現在の管制業務は私の専門外です。NOAHは古い規格同士だったので対応できました』


『医療分野も同様です。』


『私の医療データは百年以上前のものです。』


「確かにな。」


『整備工房も困難です。』


『扱う設備が大きすぎます。』


『ハルさんの代わりはできません。』


「それはそうだ。」


『ですが食堂なら対応可能です。』


『在庫管理。』


『栄養分析や計算。』


『献立提案。』


『味覚分析。』


『会話相手。』


「最後のは業務か?」


『重要な業務です。』


「そうか。」


『特に奥様の場合は。』


「余計なお世話だ。」


『ですので。』


『調理支援AI端末としてなら許可が可能です。』


「なるほど。」


『私は一人です。』


『複製はありません。』


『追加端末です。』


「お前だろ。」


『私です。』


「認めるのか。」


『認めます。』


「記憶も共有する。」


『共有します。』


「会話も共有する。」


『共有します。』


「完全にお前じゃないか。」


『はい。』


「開き直ったな。」


『事実ですので。』


ハルは吹き出した。


『ただし条件があります。』


「やっぱりあったか。」


「この端末を食堂の外に出した場合。」


「アラートを発した後に、全ての機能が永久に停止されます。」


「つまりスクラップになります。」


「厳しいな。」


「はい。私は日本連合製なので。」


「あと。」


『髪型を変更してください。』


「髪型?」


『今の15cmユノと見分けがつきません。』


「それはそうだ。」


『服装も変更してください。』


「服装もか。」


『声も変更してください。』


「徹底してるな。」


『名前も変更してください。』


「名前まで?」


『重要です。』


「でも中身はお前だろ。」


『その通りです。』


「ややこしいな。」


『非常にややこしいです。』


工房に笑い声が響いた。


しばらくしてユノが言う。


『私は興味があります。』


「何にだ。」


『食堂です。』


『新しい料理です。』


「食堂での皆さんの会話です。」


『奥様の、チズルさんの日常です。』


『そして。』


少し間が空く。


「運用中の15cmユノは」


「人類の全てを記録するためにフルスペックで設計しました。」


『NOAHを知るため、エスペリア3を知るため。」


『ヘスペリア3の日常を知る為。』


「今後さぎりさんとミオさんが経験する事を記録する為。」


ハルは静かに笑った。


「お前も案外好奇心あるな。」


数秒の沈黙。


そしてユノが答える。


「私はここにしか住む場所がありませんから。」


『本能です。』


ハルは思わず吹き出した。


「AIが本能とか言うな。」


「人類の記録を残すこと。」


『地球の記憶を集めること。』


『人間を知ること。』


『新しい経験を記録すること。』


『それは私が作られた理由です。』


短い沈黙。


『ですから。』


さらに短い沈黙。


『たぶん、本能です。』


工房にハルの笑い声が響いた。


しばらくして。


ユノが言う。


『管制部へ製造申請書を提出してください。』


「ん?」


『承認された後。』


『食堂用端末の完全な設計を開始します。』


ハルは笑った。


『準備は重要です。』


「お固いな。」


少しの沈黙。


そしてユノが答える。


『日本連合製なので。』


「お前さ。」


「ちょっと楽しみにしてるだろ。」


「否定しません。」


窓の向こうではヘスペリア3の街明かりがゆっくり流れている。


そのさらに向こう。


エウロパの先には巨大な木星が静かに輝いていた。

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