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木星の雨音  作者: ぴいちゃん


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31/69

第31章――街と船――

https://x.com/pochidayo

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食堂の窓の向こうで木星が静かに輝いている。


朝。


さぎりたちはNOAHの見学を終えて帰って来た。


今はヘスペリアの金曜日の夕食を終えたところだ。


「NOAHはどうだった?」


ハル主任がコーヒーを手に二人の前に座る。


周りにヘスペリアの人々が集まりだす。


二百年以上の航海を続けた船。


実際に歩いてみたその内部は、さぎりの想像とは違っていた。


「私。」


さぎりが言った。


「NOAHって、もっとヘスペリア-3みたいな場所だと思ってた。」


「そうなの?」


ミオが笑う。


「うん。」


さぎりは頷いた。


「もっと人間臭い、人間の為の場所だと思ってた。」


「違った?」


「違った。」


少し考えて。


言葉を探す。


「狭かった。」


「うん。」


「設備が近かった。」


「うん。」


「どこを見ても。」


さぎりは窓の外を見る。


「生き延びるための船だった。」


ミオが嬉しそうに笑った。


ユノが小さく首を傾げる。


「船であることは事実です。」


「そういう意味じゃないの。」


ミオは笑った。


「説明するの難しいな。」


ハル主任がだまって見ている。


ミオは少し考える。


そして。


ゆっくりと言葉を選んだ。


「ヘスペリア-3は街なんだ。」


「街。」


ユノが繰り返す。


「うん。」


農業リング。


公園。


商店。


学校。


図書館。


休日を楽しむ人たち。


子供たちの笑い声。


ヘスペリア-3には日常がある。


暮らしがある。


未来がある。


「でもNOAHは違った。」


ミオは続ける。


「私たちは船に住んでいた。」


食堂が少し静かになる。


ユノが尋ねた。


「違いを説明できますか。」


ミオは少し笑った。


「子供の頃から言われてたの。」


『資源を無駄にするな。』


『設備を大切にしろ。』


『自分の仕事を果たせ。』


『次の世代へ引き継げ。』


「お天道様が見てる」


「それはヘスペリア-3でも同じです。ヘスペリア-3では木星様ですが。」


ユノが言う。


「うん。」


ミオは頷いた。


「でも重みが違った。」


窓の向こう。


巨大な木星が静かに浮かんでいる。


「農業区画が失敗したら食料が足りなくなる。」


「はい。」


「循環浄水設備が壊れたら水がなくなる。」


「はい。」


「修理し回復した推進機関が止まったら。」


ミオは少し笑った。


「私たちはここに来られなかった。」


食堂が静かになる。


ミオは窓の向こうを見たまま続けた。


「実際。」


「NOAHは減速システムが動かなくて止まれなかった。」


誰も口を挟まない。


「姿勢制御用のスラスターを使って減速したけど。」


「完全に止まるまで六十年かかった。」


さぎりが息を呑む。


「その間にNOAHは横向きのまま太陽系外縁部まで流されてしまった。」


ミオは静かに言う。


「そして。」


少し笑う。


「地球との通信規格まで変わっちゃった。」


ハルが小さく笑った。


「ありそうな話だ。」


「でしょ?」


ミオも笑う。


「だから私たちは人類社会と繋がれなかった。」


「旧規格のユノが見つかるまで。」


ユノが静かに答える。


「EARTH MEMORY ARCHIVE接続記録を確認。」


「通信再開は二百三十九年前の通信途絶から二百二十八年後です。」


「そう。」


ミオは頷いた。


「だからNOAHの人たちは知ってる。」


窓の向こうの木星を見る。


「設備が止まるってどういうことか。」


ハルは黙って頷く。


技術者として。


その意味がよく分かっていた。


「だから私たちは住民じゃなかった。」


ミオは言う。


「乗組員だったんだと思う。」


その時だった。


近くの席から声がした。


「なるほどねえ。」


振り向くと。


いつの間に来ていたのか。


移住支援課のお姉さんがコーヒーを片手に立っていた。


「あ。」


さぎりが声を上げる。


NOAH到着後の住居案内で世話になった職員だった。


「聞こえちゃいました?」


「食堂だもの。」


お姉さんは笑った。


「聞こえるわよ。」


そして空いていた椅子へ腰掛ける。


「でも確かにそうかもね。」


「そうですか?」


「うん。」


お姉さんは頷いた。


「私、住居案内の担当だから。」


ミオが苦笑する。


「ああ。」


思い出した。


最初に案内された時。


八千人も移住してくるのに住む場所は足りるのかと聞いた。


その答えは。


あまりにもあっさりしていた。


『住むところは余ってますよ。』


あの一言だった。


「本当に驚いたんだよ。」


ミオが言う。


「NOAHじゃ考えられなかった。」


「そうなの?」


「うん。」


ミオは頷いた。


「部屋が余ってるなんて。」


「私たちには当たり前だったんだけどね。」


お姉さんは笑う。


「たぶん。」


ミオも笑った。


「そこが違うんだと思う。」


さらに別の声がした。


「違うだろうねえ。」

挿絵(By みてみん)

食堂のおばちゃんだった。


仕事が一段落したらしく。


エプロン姿のまま近くの席へ腰を下ろす。


「あ、おばちゃん。ごちそうさまでした。」


「聞いてたよ。」


「聞いてたんですか。」


「食堂だもの。」


お姉さんと全く同じ答えだった。


さぎりが吹き出した。


その笑い声につられるように。


近くの席にいた整備士が振り向く。


農業リングの職員も耳を傾ける。


学生らしい若者たちもいつの間にか話に加わっていた。


気付けば。


小さな輪が大きくなってきていた。


「でも。」


さぎりが言う。


「ヘスペリア-3も少し不思議。」


「どういう意味?」


ミオが尋ねる。


「私、自分たちの社会について考えたことがなかったもの。」


ユノが答える。


「興味深いテーマです。」


「空気も水も供給されている。」


「はい。」


「医療もある。」


「はい。」


「でも私物もあるし、お店もある。」


「確かに。」


ミオが頷く。


「全部がみんなのものって感じでもないよね。」


ハルはその言葉を噛み締めてから。


「そうだな。」


「でも全部を多数決で決めるわけでもない。」


「例えば酸素供給設備を止めるかどうか。」


「住民投票では決めない。」


食堂に小さな笑いが広がった。


「それは嫌ですね。」


整備士が言う。


「一票入れたら酸欠とか。」


「困るわねえ。」


お姉さんも笑う。


「技術のことは技術者が決める。」


ハルは言う。


「医療は医者が決める。」


「農業は農業担当。」


農業リングの職員が胸を張った。


「そこは任せてください。」


再び笑いが起きる。


ミオはその様子を眺めながら思った。


NOAHでは見たことのない光景だった。


仕事も違う。


立場も違う。


年齢も違う。


けれど。


みんなが同じ食堂で笑っている。


それは街の風景だった。


ヘスペリア-3は暮らすための場所だ。


人が学び。


働き。


笑い。


恋をし。


そして歳を重ねていく。


街だった。


一方で。


NOAHは目的地へ辿り着くための場所だった。


人類の種を保存するための船だった。


どちらも宇宙。


けれど役割は違う。


そして。


その役割が人々の生き方を変えていた。


やがて。


ハルが空になったカップを置く。


「まあ。」


みんなが顔を向ける。


「結局のところ。」


ハルは窓の向こうを見た。


「どっちも大したもんだよ。」


「どっちも?」


ミオが聞き返す。


「二百年以上旅した人たちも。」


そして。


リングの灯りが流れるヘスペリア-3を見る。


「十一年間待ち続けた人たちも。」


誰も何も言わなかった。


その言葉は。


あまりにも簡単で。


けれど本質だった。


二百年以上旅を続けた人々。


十一年間待ち続けた人々。


長さは違う。


立場も違う。


それでも。


どちらも諦めなかった。


だから今。


同じ食堂で。


同じ窓から木星を見上げている。


誰も何も言わなかった。


言葉はもう必要なかった。


窓の向こうでは。


木星が静かに輝いていた。


その光は。


旅を続けた船も。


待ち続けた街も。


変わらず見つめていた。

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