第26章 ――生きるための食事――
NOAHでのお食事会!
ここの会話は我ながら好きです!
学校を出た後。
三人はさらにNOAHの奥へ進んでいた。
通路は相変わらず狭い。
だが。
人の気配がある。
生活の匂いがある。
さぎりは少し不思議な気持ちになっていた。
二百年以上漂流した船。
もっと暗い場所を想像していた。
だが違う。
人々は普通に暮らしている。
笑い。
働き。
生きている。
ミオが立ち止まった。
「次はここ。」
大きな隔壁扉。
扉が開く。
その瞬間。
さぎりは足を止めた。
「え。」
目の前に広がっていたのは。
農業区画だった。
だが。
ヘスペリア-3の農業リングとは全く違う。
狭い。
低い。
通路の両側に栽培棚が積み重なっている。
何段も。
何段も。
天井近くまで。
白い照明。
養液配管。
循環ポンプ。
どこまでも続く栽培設備。
「これ全部農場?」
「うん。」
ミオが頷く。
さぎりは思わず周囲を見回した。
ヘスペリア-3の農業リングは広い。
空がある。
公園のような場所すらある。
だが。
ここには余裕がない。
一平方メートルも無駄にできない。
そんな空気があった。
「すごい。」
さぎりは素直に言った。
ミオが少し笑う。
「褒めてる?」
「褒めてる。」
本気だった。
決して豊かではない。
だが。
この船は二百年以上。
この設備で人を生かしてきた。
その事実に圧倒される。
ユノが栽培棚を見上げる。
「効率優先設計です。」
「そうだろうね。」
さぎりは頷いた。
「ヘスペリアと真逆。」
「はい。」
ヘスペリアは余裕がある。
NOAHは余裕がない。
その違いが。
そのまま農業区画に現れていた。
しばらく歩く。
葉物野菜。
豆類。
藻類培養設備。
きのこ類。
どれも実用品だった。
観賞用植物は一つもない。
「花とかないんだ。」
さぎりが言う。
ミオは少し考えた。
「ない。」
そして。
少し笑う。
「食べられないから。」
その答えが。
NOAHらしかった。
やがて。
農業区画を抜ける。
今度は別の通路へ入る。
ミオが振り返った。
「お腹空いた?」
「少し。」
「じゃあ次。」
少し得意そうに笑う。
「食堂。」
数分後。
三人は食堂へ到着した。
NOAH中央食堂。
人は多い。
賑やかだ。
笑い声もある。
だが。
さぎりは最初に違和感を覚えた。
匂いだった。
食堂なのに。
匂いが少ない。
ヘスペリア-3なら。
パンの匂い。
スープの匂い。
カレーの日ならスパイスの匂い。
様々な香りが漂う。
だが。
ここにはそれがない。
「……。」
ミオが笑った。
「気付いた?」
「うん。」
列に並ぶ。
配膳を受ける。
トレーを受け取る。
席に座る。
そして。
さぎりは料理を見た。
正確には。
栄養食だった。
淡い色。
均一な形。
必要な栄養素をまとめた主食。
発酵タンパク食品。
藻類加工品。
野菜と思われるペースト。
全てが効率的だった。
全てが合理的だった。
そして。
驚くほど地味だった。
「これが普通?」
さぎりが聞く。
ミオは頷く。
「普通。」
「ずっと?」
「ずっと。」
「でも、ヘスペリア-3と接続されてからは、食料の補給もあるんでしょ?」
「あるよ。」
「じゃあ、なんで?」
さぎりは首を傾げた。
「もっと美味しいものを作らないの?」
ミオは少し考えた。
そして笑った。
「その質問、ヘスペリア-3の人はよくする。」
「だって。」
「でもね。」
ミオはフォークを持ち上げる。
「この食事の方がいいって人もいるのよ。」
「え?」
「生まれてからずっとこれを食べてるんだもの。」
さぎりは黙った。
ミオは続ける。
「私たちにとってはこれが普通。」
「普通……。」
「逆にヘスペリア-3の料理は味が濃いって言う人もいる。」
「カレーも?」
「カレーも。」
さぎりは少し驚いた。
あのカレーが。
味が濃い。
そんな感想になるとは思わなかった。
「慣れってすごいでしょ?」
ミオが笑う。
さぎりも苦笑した。
確かにその通りだった。
二人は手を合わせ言う。
「いただきます。」
そして。
一口食べる。
数秒。
沈黙。
ミオが聞く。
「どう?」
さぎりはさらに考える。
そして。
慎重に答えた。
「健康に良さそう。」
ミオが吹き出した。
「そういう感想になるよね。」
ユノも試料を分析する。
「栄養価は非常に優秀です。」
「うん。」
ミオが頷く。
「それは知ってる。」
「味は?」
ユノは数秒考えた。
さらに数秒考えた。
そして。
「栄養価は非常に優秀です。」
ミオが机に突っ伏した。
さぎりも吹き出した。
それが答えだった。
しばらくして。
さぎりは食堂を見回した。
相変わらず。
料理は質素だった。
匂いも少ない。
決して豊かとは言えない。
だが。
皆普通に食べている。
誰も不満そうではない。
むしろ。
楽しそうに話している人もいる。
その時だった。
隣の席から声が聞こえた。
「移住申請出した?」
ツインテールにした若い男性だった。
向かいの女性が首を振る。
「出してない。」
「なんで?」
「ここが家だから。」
当たり前のような返事だった。
男性は少し笑う。
「ヘスペリアの方が広いぞ。」
「知ってる。」
「飯も美味い。」
「知ってる。」
「風呂もある。」
「知ってる。」
女性は少し考えた。
そして。
静かに言った。
「でも。」
「ここが家だから。」
さぎりは思わず耳を傾けていた。
女性は続ける。
「私はここで生まれたし。」
「ここで育ったし。」
「父さんも母さんもここにいるし。」
少し笑う。
「今さら引っ越す気しない。」
「ヘスペリアには必要な時にお世話になれば良いと思う」
男性も笑った。
「まあな。」
「今はNOAHも。」
「安全で、水や食料に困らない。」
「何かあっても避難場所もあるしな。」
二人は何事もなかったように食事へ戻る。
ミオが小さな声で言った。
「結構いるよ。」
「え?」
「移住しない人。」
さぎりは少し驚いた。
正直。
もっと多くの人がヘスペリアへ移ると思っていた。
「だって。」
ミオは食堂を見回す。
古い壁。
使い込まれた机。
質素な食事。
狭い通路。
そして。
笑っている人たち。
「ここ故郷だもん。」
静かな声だった。
その時。
さぎりは初めて理解した。
NOAHは貧しいわけではない。
少なくとも。
ここで生まれ育った人々にとっては。
ここが世界だった。
ここが故郷だった。
ヘスペリアの方が豊かでも。
ヘスペリアの方が快適でも。
故郷は別なのだ。
ユノが言った。
「興味深いです。」
ミオが聞く。
「何が?」
ユノは食堂を見回した。
そして。
静かに答えた。
「人類は合理性だけでは移動しません。」
その言葉に。
さぎりは少し笑った。
「そうだね。」
ヘスペリアの方が合理的。
ヘスペリアの方が豊か。
それは事実だ。
だが。
故郷というものは。
どうやらそれだけではないらしかった。
ミオはスプーンを置く。
そして。
少し笑った。
「だから。」
「ヘスペリアのカレー好き。」
さぎりも笑った。
「だろうね。」
「うん。」
即答だった。
その時。
ユノが言う。
「理解しました。」
二人が振り向く。
「何を?」
ユノは真顔だった。
そして。
静かに答えた。
「ミオが毎週金曜日を楽しみにしている理由です。」
食堂に笑い声が響いた。
NOAHの人々も。
少し不思議そうにこちらを見ていた。
その夜。
さぎりは改めて思った。
NOAHは不自由な船ではない。
豊かな船でもない。
生き延びるために。
二百年かけて磨き上げられた文明だった。
そして。
その中で生まれ育ったミオは。
想像していたより。
ずっと強かった。
次回、NOAHとヘスペリアの意外な共通点とは




