第23章 ――初めての身体――
ユノは実体を獲得しました!
まだたどたどしいものの徐々に慣れていきます。
「よし。」
ハル主任が端末を操作した。
「起動するぞ。」
工房が静まり返る。
ミオ。
さぎり。
整備員たち。
全員が見守っていた。
作業台の上。
そこには小さな人影があった。
身長十五センチ。
黒いショートボブ。
濃紺のジャケット。
黒いブーツ。
ヘスペリア-3地球文化アーカイブ管理AI。
ユノ。
数秒。
静寂。
そして。
ゆっくりと瞳が開いた。
「起動しました。」
聞き慣れた声。
だが。
今度は空間スピーカーではない。
目の前から聞こえる。
ミオは思わず身を乗り出した。
「ユノ!」
「はい。」
ユノが顔を上げる。
そして。
ミオを見た。
さぎりを見た。
ハル主任を見た。
しばらく沈黙。
「近いです。」
工房に笑い声が起きた。
ユノは辺りを見回した。
右。
左。
上。
下。
そして。
作業台の縁まで歩こうとした。
一歩。
ふらっ。
二歩。
ふらっ。
三歩目で。
ごろん。
転んだ。
沈黙。
「ユノ?」
ミオが声を掛ける。
「転倒しました。」
「見れば分かる。」
ハル主任が即答した。
工房にまた笑い声が広がる。
ユノは起き上がろうとする。
右手をつく。
左手をつく。
身体を起こす。
途中でバランスを崩す。
ごろん。
また転んだ。
「転倒しました。」
「それも見れば分かる。」
今度はさぎりが言った。
ユノは数秒考えた。
「二足歩行は難しいです。」
「今までやったことないもんな。」
「はい。」
ユノは真面目に頷いた。
「歩いたことがありません。」
その日の残り時間は。
歩行訓練になった。
最初は机につかまりながら。
少しずつ。
少しずつ。
前へ進む。
だが。
段差があると止まる。
机の脚があると止まる。
コードがあると止まる。
何もない場所でつまずく。
「ユノ。」
「はい。」
「何もないよね?」
「ありました。」
「何が?」
「私の足です。」
ミオが吹き出した。
翌日。
ユノはさぎりとミオと一緒に居住リングへ出た。
ならし運転。
いや。
歩行練習だった。
通路を歩く。
ユノも歩く。
だが。
小さな足では追いつけない。
一生懸命歩く。
一生懸命歩く。
そして。
少し遅れる。
「ユノ。」
ミオが振り返る。
十メートルほど後ろ。
ユノが全力で歩いていた。
「待ってください。」
「遅い!」
「脚が短いです。」
それは事実だった。
結局。
ミオがしゃがみ込む。
「乗る?」
ユノは首を傾げる。
「どこにですか?」
「肩。」
少し考える。
「ありがとうございます。」
よじ登る。
少し失敗する。
もう一回。
成功。
ミオの肩の上。
ユノは周囲を見回した。
「高いです。」
「景色違う?」
「かなり違います。」
少し嬉しそうだった。
しばらくして。
ユノがぽつりと言う。
「現在、ゆけろぼです。」
「……何それ?」
「肩の上です。」
「肩の上なのは見れば分かる。」
「この位置は、ゆけろぼと呼ばれています。」
「なんで?」
「知りません。」
「知らないの?」
「地球文化アーカイブの記録です。」
「意味は?」
「不明です。」
ミオは少し考えた。
「変なの。」
「ですが、ゆけろぼです。」
ユノは満足そうにうなずいた。
居住リング。
商店街。
食堂。
公園。
様々な場所を見て回る。
そして。
数時間ごとにユノは止まる。
ユノは立ち
「同期します。」
小さなランプが点滅する。
本体との通信。
地球文化アーカイブの中にいる本体ユノへ。
記録を送る。
視覚情報。
音声情報。
移動記録。
環境データ。
様々な情報が送られていく。
同期終了。
ミオが聞く。
「どう?」
ユノは少し考えた。
「本体が混乱しています。」
「なんで?」
「重力を理解していませんでした。」
「今さら?」
「はい。」
さらに考える。
「風も理解していませんでした。」
「匂いも理解していませんでした。」
「人にぶつかる感覚も理解していませんでした。」
さぎりが笑う。
「知ってると思ってた。」
「私もそう思っていました。」
真顔で答えるユノ。
その様子が可笑しくて。
三人とも笑った。
数日後。
ユノはかなり歩けるようになった。
まだ時々転ぶ。
まだ時々ふらつく。
だが。
確実に上達していた。
表情もそうだった。
最初はぎこちなかった。
笑顔を作る。
少し怖い。
修正する。
もっと怖い。
さらに修正する。
「ユノ。」
「はい。」
「怖い。」
「修正します。」
「やめて。」
食堂で大笑いされた。
だが。
今は違う。
自然な笑顔が少しずつ増えていた。
本人は気付いていない。
そして。
ある日の夕方。
三人は居住リングの展望窓にいた。
巨大な窓。
その向こうには。
木星。
ゆっくり流れる雲。
巨大な縞模様。
圧倒的な景色。
ユノは窓際まで歩く。
途中で少しよろける。
だが。
転ばない。
窓際へ辿り着く。
小さな身体で。
静かに外を見上げる。
長い沈黙。
ミオも。
さぎりも。
何も言わない。
やがて。
ユノが呟いた。
「綺麗です。」
さぎりが笑う。
「今さら?」
「はい。」
ユノは頷く。
そして。
もう一度木星を見る。
「今さらです。」
何十年も。
木星の映像は見ていた。
観測データも持っていた。
記録も保存していた。
だが。
それは知識だった。
今は違う。
自分で歩いて。
自分で来て。
自分の目で見ている。
それは初めてのことだった。
小さなユノは。
しばらく木星を見つめ続けた。
まるで。
生まれて初めて世界を見た子供のように。
窓の向こうで。
木星は静かに輝いていた。
次回は3人でNOAHへ




