表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
木星の雨音  作者: ぴいちゃん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/63

第20章 ――ただいまと言える場所――

https://x.com/pochidayo

更新時には更新情報流しています!

よかったらフォローいただければフォロバします。


ミオがヘスペリア-3へ住むことになった日。


居住リング。


さぎりの部屋。


正確には。


かつてさぎりが両親と暮らしていた部屋だった。


「広い……。」


ミオは思わずそう呟いた。


NOAHの居住区画も決して狭くはなかった。


だが。


ここは違う。


玄関がある。


リビングがある。


個室がある。


窓がある。


そして。


木星が見える。


「余ってるから。」


さぎりはあっさり言った。


「元々三人用だし。」


ミオはもう一度部屋を見回した。


これから。


ここが自分の家になる。


まだ少し実感がなかった。


その日の夜。


さぎりは洗面所の方を指差した。


「先に使う?」


ミオは首を傾げる。


「何を?」


「シャワー。」


数秒。


沈黙。


「……シャワー?」


さぎりは少し考えた。


そして気付いた。


「あ。」


「使ったことない?」


ミオは頷いた。


「ない。」


NOAHでは貴重な水は全て循環管理されていた。


身体を洗うために大量の水を使う文化はない。


支給される洗浄剤と洗浄布。


それで身体を拭く。


それが当たり前だった。


「どうやって使うの?」


ミオは真顔で聞いた。


さぎりは少し困った顔になる。


しばらく考えて。


「じゃあ、一緒に入る?」


そう言った。


洗面所。


シャワーブース。


ミオは興味深そうに辺りを見回している。


まるで未知の機械を観察する整備員のようだった。


「ここで服を脱ぐ。」


「うん。」


「それで中に入る。」


「うん。」


「で、これ。」


さぎりが壁のパネルを押す。


次の瞬間。


ザーッ。


勢いよく温水が流れ始めた。


「うわっ!」


ミオが飛び上がる。


さぎりは思わず吹き出した。


「そんな驚く?」


「驚く!」


ミオは本気だった。


恐る恐る手を伸ばす。


温かい水が指先に触れる。


「温かい。」


「温水だから。」


「すごい……。」


ミオはしばらく水を見つめていた。


ただ流れているだけなのに。


それが不思議だった。


さぎりは洗浄剤を手に取る。


「まず髪。」


「髪?」

挿絵(By みてみん)

「うん。」


泡立てる。


ミオは少し緊張していた。


さぎりが髪に触れる。


優しく泡を広げていく。


「目閉じて。」


「こう?」


「そうそう。」


ミオは言われるまま従う。


泡。


温かい水。


不思議な感覚だった。


しばらくして。


髪を流し終える。


「終わり。」


「終わった。」


ミオは少し驚いていた。


髪が軽い。


頭が軽い。


そんな感じだった。


「毎日やるの?」


「毎日。」


「毎日?」


「毎日。」


ミオはしばらく考えた。


そして。


「ヘスペリアすごい。」


真顔で言った。


さぎりは笑う。


「エウロパのおかげ。」


「水いっぱいあるから。」


シャワーを終えて洗面所を出る。


ミオは濡れた髪を触った。


さらさらしている。


不思議だった。


窓の向こうには木星。


その下にはエウロパ。


あの氷の世界から運ばれてくる膨大な水。


NOAHでは考えられない贅沢だった。


「どう?」


さぎりが聞く。


ミオは少し考えた。


そして。


小さく笑った。


「気持ちいい。」


それが人生で初めてのシャワーだった。


その夜。


ミオは何度も目を覚ました。


何かがおかしい気がして。


何かが足りない気がして。


そして気付いた。


静かすぎるのだ。


NOAHでは常に何かの音が聞こえていた。


空調。


循環ポンプ。


機械の振動。


誰かの足音。


誰かの話し声。


だが。


ヘスペリア-3の夜は違う。


驚くほど静かだった。


翌朝。


ミオが部屋を出る。


すると。


キッチンの方から声がした。

挿絵(By みてみん)

「おはよう。」


「おはよう。」


さぎりだった。


少し寝癖が残っている。


ミオは思わず笑った。


「寝癖。」


「うそ。」


慌てて髪を触るさぎり。


ミオは吹き出した。


そんな他愛もない朝だった。


テーブルの上には朝食が並んでいる。


保存パン。


果物。


飲み物。


発酵乳。


「作らないんだ。」


ミオが言う。


「作らないよ。」


さぎりが答える。


「朝ご飯は?」


「昨日もらったやつ。」


冷蔵庫を開く。


そこには昨夜食堂でもらった朝食セットが入っていた。


ミオは少し驚いた。


「配給?」


「ちょっと違うかな。」


さぎりは首を傾げる。


「夕食の帰りにもらうの。」


「へえ。」


「一人暮らしも多いし。」


「朝はみんな忙しいから。」


なるほど。


合理的だった。


ミオは保存パンをかじる。


窓の向こうでは。


木星が流れている。


朝から木星が見える。


それだけでもまだ不思議だった。



数日が過ぎた。


昼はそれぞれ別行動。


さぎりは仕事。


ミオは見学や研修。


夕方になると自然と食堂で合流する。


「また来たな。」

挿絵(By みてみん)

食堂のおばちゃんが笑う。


「来ました。」


ミオも笑う。


もう顔を覚えられていた。


食事を終える。


すると。


おばちゃんが袋を差し出した。


「ほら。」


「朝飯。」


ミオが受け取る。


少し重い。


「今日は当たりだぞ。」


「当たり?」


袋を覗く。


果物が入っていた。


「リンゴだ。」


「おっ。」


さぎりも覗き込む。


「本当だ。」


おばちゃんが得意そうに笑った。


「今日届いたばっかりだからな。」


ただの果物。


それだけなのに。


ミオは少し嬉しかった。


ある日。


ミオは棚の前で立ち止まった。


「これ何?」


棚には色々な物が並んでいた。


小さな模型。


古い写真。


石。


アーカイブから再現した地球の小物。


どれも生活には必要ない。


「飾り。」


さぎりが答える。


「飾り?」


「うん。」


ミオは不思議そうな顔をした。


「必要なの?」


さぎりは少し考える。


そして。


「必要じゃない。」


そう答えた。


「でも好きだから置いてある。」


ミオはしばらく棚を見ていた。


必要じゃない。


でも置いてある。


その感覚はまだよく分からなかった。


だが。


少しだけ分かる気もした。


夜。


窓際のソファ。


二人は並んで座っていた。


木星が見える。


巨大な雲の模様が流れていく。


静かな時間だった。


「変な感じ。」


ミオが言った。


「何が?」


「家。」


さぎりは少し考える。


「家?」


「うん。」


ミオは木星を見つめたまま続けた。


「帰る場所がある。」


その言葉に。


さぎりは何も言わなかった。


ただ。


少しだけ笑った。


そして。


静かに頷いた。


しばらく沈黙が続く。


それは気まずい沈黙ではなかった。


居心地のいい沈黙だった。


やがて。


時刻表示が夜を示す。


そろそろ寝る時間だった。


ミオは立ち上がる。


そして。


何気なく言った。


「おやすみ。」


さぎりも答える。


「おやすみ。」


当たり前の言葉。


だが。


ミオにとっては少し特別だった。


明日もまた。


同じ部屋で目を覚ます。


同じ家へ帰る。


そのことが。


少しだけ嬉しかった。


窓の向こうで。


木星は静かに輝いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ