第18章――金曜日のカレー――
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食堂へ近付くにつれて。
ミオは妙な感覚を覚えていた。
匂いがする。
かなり遠くから。
しかも。
今まで嗅いだことのない匂いだった。
「これ……」
「うん。」
さぎりが笑う。
「カレー。」
通路を曲がる。
その瞬間。
香りが一気に強くなった。
温かい。
刺激的。
それでいてどこか甘い。
何種類もの匂いが重なっている。
ミオは思わず立ち止まった。
「すごい……」
「匂いだけでお腹空く。」
さぎりは少し得意そうに笑った。
「でしょ?」
食堂の自動扉が開く。
途端に。
賑やかな空気が押し寄せてきた。
笑い声。
食器の音。
誰かの話し声。
子供たちのはしゃぐ声。
広い食堂には長テーブルが並び。
整備員。
農業区画の職員。
学生。
保守員。
子供たち。
様々な人々が食事を楽しんでいた。
NOAHにも食堂はある。
だが。
こんな雰囲気ではなかった。
ヘスペリア-3の食堂は。
まるで祭りの会場だった。
今日は金曜日。
カレーの日。
だから余計に賑やかなのかもしれない。
「あっ!」
誰かが気付く。
「NOAHの子だ!」
その声で周囲が一斉に振り向いた。
「おお!」
「帰還組だ!」
「ようこそ!」
「席空いてるぞ!」
「カレー食え!」
あちこちから声が飛ぶ。
ミオは少し後ずさった。
その様子を見て。
さぎりが笑う。
「大丈夫。」
「歓迎されてるだけだから。」
「歓迎されすぎじゃない?」
「そんなことないよ。」
その時。
奥から聞き覚えのある声が響いた。
「おっ!」
「あの時の子じゃないか!」
食堂のおばちゃんだった。
大鍋の前で腕を組んでいる。
「来たな!」
「はい!」
ミオも思わず笑顔になる。
「楽しみにしてました!」
「そうかそうか!」
おばちゃんは満足そうに頷いた。
そして。
大きな皿を差し出した。
そこには。
湯気を立てる黄金色のカレー。
そして横には。
少し大きめの保存パン。
ミオは目を見開いた。
「これが……」
「カレー。」
十一年間。
何度も聞いた名前。
初めて見る本物だった。
皿を受け取る。
温かい。
そして。
とてもいい匂いがする。
「どうやって食べるんですか?」
ミオが尋ねる。
おばちゃんが笑った。
「パンをちぎってつけるんだよ。」
「こう。」
近くにいた整備員が実演する。
保存パンをちぎる。
カレーにつける。
口へ運ぶ。
「なるほど。」
ミオは真剣に頷いた。
「カレーってそういう食べ物なんですね。」
「そういう食べ物だ。」
整備員も頷く。
おばちゃんが鍋を軽く叩いた。
「このカレーな。」
「元々は、さぎりちゃんが見つけたんだ。」
ミオは驚いてさぎりを見る。
「えっ?」
さぎりは少し照れたように笑った。
「正確にはね。」
「地球文化アーカイブの中に残っていたレシピ。」
「それを私が見つけたの。」
おばちゃんが頷く。
「当時のアーカイブなんて、ほとんど誰も見てなかったからな。」
「ユノと一緒に調べてたら出てきたんだよ。」
「それで作ってみたら。」
近くの整備員が笑う。
「全員ハマった。」
周囲から笑い声が上がる。
「懐かしいな。」
「あの日は大騒ぎだった。」
「食堂中カレー臭くなった日か。」
「三日くらい匂い残ってたぞ。」
「でも全員おかわりした。」
さらに笑い声。
別の整備員が口を挟む。
「おかげで補給船の積み荷まで変わった。」
「毎回スパイス積んでくるからな。」
「昔は頼んでなかったのによ。」
「今じゃ切れたら暴動だ。」
食堂中が笑いに包まれた。
ミオもつられて笑う。
そして。
湯気の向こうのカレーを見つめた。
十一年前。
さぎりが地球文化アーカイブの中から見つけたレシピ。
ユノと一緒に読み解き。
試行錯誤しながら作った最初の一皿。
それが今では。
木星圏を代表する料理になっている。
毎週金曜日になると。
誰もが楽しみにする味になっている。
たった一枚の古いレシピが。
文化になっていた。
二人は席に着いた。
周囲は相変わらず賑やかだった。
誰かが笑っている。
誰かが議論している。
子供が走り回って怒られている。
食器の音。
会話。
笑い声。
活気。
ミオはその光景を見回した。
そして思う。
ここは生きている。
本当に。
生きている場所だ。
「冷めるよ。」
さぎりが言った。
「うん。」
ミオは保存パンをちぎった。
カレーにつける。
黄金色のルーが染み込む。
湯気が立つ。
香りが立つ。
十一年間。
ずっと楽しみにしていた味。
二人は手を合わせて。
「いただきます。」
「いただきます!。」
そしてゆっくりと口へ運ぶ。
数秒。
止まる。
そして。
目を丸くした。
「どう?」
さぎりが聞く。
ミオは答えない。
もう一口。
さらにもう一口。
そしてようやく。
「美味しい。」
そう呟いた。
「少し辛い。」
「でも美味しい。」
「なんで?」
「分かんないけど美味しい。」
さぎりは吹き出した。
周囲からも笑い声が上がる。
ミオは夢中だった。
保存パンをちぎる。
カレーにつける。
食べる。
またちぎる。
止まらない。
香辛料の刺激。
野菜の甘み。
煮込まれた旨味。
温かさ。
香り。
全部が初めてだった。
NOAHの食事は効率的だった。
栄養価は十分だった。
不足もない。
だが。
この料理には。
それ以外の何かがあった。
理由のない豊かさ。
必要ではない楽しさ。
人を笑顔にする何か。
それがあった。
「これが。」
ミオは呟く。
「カレー。」
地球から残されたレシピ。
ヘスペリアで育った味。
そして。
ヘスペリア-3の人たちが愛している料理。
窓の向こうでは。
木星が静かに輝いていた。
金曜日の夜。
帰ってきた人々と。
迎えた人々が。
同じテーブルを囲んでいる。
笑い声が響く。
その中でミオは。
生まれて初めてのカレーを。
最後の一欠片の保存パンまで使って。
綺麗に食べ切り満足した顔で言う
「ごちそうさまぁ」
つづく




