第17 章 ――地球の記憶――
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アーカイブ保管区画
巨大な扉の向こうには。
無数の記録媒体が並んでいた。
壁一面。
天井近くまで。
静かに光る保存装置。
何百年もの記録。
何百年もの記憶。
地球文化アーカイブ。
ヘスペリア-3最大の文化資産だった。
ミオはゆっくりと周囲を見回す。
「全部?」
「はい。」
ユノが答える。
「地球から送信された文化資料。」
「映像記録。」
「音声記録。」
「文学。」
「芸術。」
「歴史。」
「娯楽。」
「生活資料。」
「その他多数です。」
ミオは思わず吹き出した。
「その他多数って。」
「多数です。」
ユノは真面目だった。
さぎりも笑う。
「ユノは昔からこうなの。」
「そうでしたか。」
本人は分かっていなかった。
保管区画の中央。
そこだけが広く空いている。
円形の空間。
何もない。
だが。
ミオは気付いた。
床面に細かい発光ラインが刻まれている。
「これ何?」
ユノが答える。
「閲覧設備です。」
「まず何から見たい?」
ミオは少し考える。
見たいものはたくさんあった。
十一年間。
何度も話を聞いた。
何度も映像を見た。
けれど。
実際にこの場所へ来るのは初めてだった。
「雨。」
ミオは即答した。
さぎりが笑う。
「やっぱり。」
「だって一番聞いたから。」
ユノが頷く。
「了解しました。」
その瞬間。
円形の床が淡く光り始めた。
細い光の線が走る。
円を描く。
さらに円を描く。
そして。
床の中心から光が立ち上がった。
一本。
二本。
三本。
無数の光の筋。
それらは天井へ向かって伸びていく。
やがて。
巨大な半透明の球体を形作った。
ミオが息を呑む。
「わあ……」
直径十メートルほどの光のドーム。
まるで巨大なシャボン玉の中にいるようだった。
ユノが説明する。
「没入型地球文化閲覧システム。」
「映像。」
「音響。」
「空間情報。」
「環境記録。」
「可能な範囲で再現します。」
保管区画の壁が消えた。
天井も消えた。
床も消えた。
三人は。
光の球体の中心に立っていた。
「すごい……」
ミオが呟く。
ユノが言う。
「地球の記録を再生します。」
次の瞬間。
世界が切り替わった。
灰色の空。
遠くまで続く森。
そして。
無数の雨粒。
ザーッ。
という音が響いた。
ミオは思わず立ち止まった。
映像だ。
本物ではない。
分かっている。
それでも。
雨は雨だった。
空から水が降ってくる。
ただそれだけの現象。
だが。
NOAHには存在しないものだった。
雨粒が道路を叩く。
屋根を叩く。
水たまりを作る。
足元を流れていく。
音がする。
匂いまで感じる気がした。
「これが雨……」
ミオが呟く。
しばらく見つめる。
降り続く雨を。
「綺麗。」
静かな声だった。
さぎりは何も言わなかった。
その言葉だけで十分だった。
映像が切り替わる。
今度は青い世界。
水平線。
どこまでも続く水。
波。
白い泡。
海風の音。
三百六十度。
全方向が海になった。
ミオは思わず一歩後ろへ下がる。
「広い……」
ユノが説明する。
「海です。」
「地球表面の約七割を覆っている液体水です。」
「七割!?」
ミオは驚いた。
「そんなに?」
「はい。」
「木星圏住民の一般的な反応です。」
ユノが真面目に答える。
さぎりが吹き出した。
ミオも笑った。
だが。
すぐに海へ視線を戻す。
海は続く。
どこまでも。
どこまでも。
終わりが見えない。
「……すごい。」
それしか言葉が出てこなかった。
映像は再び変わる。
今度は青空だった。
白い雲。
青い空。
風に流れる雲。
ただそれだけ。
だが。
ミオは見上げ続けた。
「空って。」
「本当にあるんだね。」
誰に向けた言葉でもなかった。
ユノが静かに答える。
「ありました。」
「今もあります。」
ミオはしばらく見上げていた。
本当に空の下へ立っているようだった。
その時だった。
何かが頭上を横切る。
小さな影。
二つ。
三つ。
羽ばたいている。
ミオが指を差した。
「いた!」
「鳥!」
映像の中で。
鳥たちは自由に飛んでいた。
羽を広げ。
風に乗り。
空を舞う。
ミオは目を輝かせる。
「飛んでる。」
「当たり前だけど飛んでる。」
「飛べますので。」
ユノが真面目に答える。
さぎりがまた吹き出した。
「ユノ。」
「はい。」
「そういうことじゃないと思う。」
「そうでしたか。」
ユノは少し首を傾げた。
ミオは笑った。
その光景がおかしくて。
そして少し羨ましかった。
自由に空を飛ぶ鳥。
どこへでも行ける翼。
地球の映像にはそんな生き物がいた。
やがて。
空が薄れていく。
海が消える。
雨が消える。
光のドームもゆっくりと消えていく。
いつの間にか二人は手を繋いでいた。
保管区画が戻ってきた。
静寂。
しばらく誰も喋らなかった。
ミオはゆっくり息を吐く。
「地球って。」
「思ったよりすごかった。」
さぎりが笑う。
「まだ全然入口だよ。」
ユノも頷く。
「現在表示したデータ量は全体の0.0000003%です。」
「えっ。」
「えっ。」
さぎりとミオが同時に声を上げた。
ユノは少しだけ得意そうだった。
その時。
館内放送が流れる。
『本日の夕食提供を開始します。』
『本日は金曜日です。』
『カレーを提供します。』
ミオが固まった。
数秒後。
ゆっくりとさぎりを見る。
さぎりもミオを見る。
二人とも同じことを考えていた。
「行こう。」
「うん。」
その返事は驚くほど速かった。
ユノは二人を見送りながら言った。
「楽しんできてください。」
「報告もお願いします。」
「任せて!」
ミオは笑顔で答えた。
そして。
十一年間楽しみにしていた夕食へ向かって走り出した。
つづく




