第16章 ――もう一人の友達――
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第二部 第十六章
――もう一人の友達――
検疫区画を出る。
その先は。
ヘスペリア-3中央軸港湾区画だった。
ミオは思わず立ち止まった。
広い。
それが最初の感想だった。
NOAHにも広い区画はある。
農業区画もあるし。
中央集会区画もある。
だが違う。
何かが違う。
頭上が高い。
遥か遠くまで続いている。
貨物コンテナ。
整備プラットフォーム。
係留アーム。
作業灯。
無数の構造物。
そして。
遠くには巨大なリングが見えていた。
ゆっくりと回転している。
ヘスペリア-3。
そのものだった。
「あれが居住リング?」
ミオが聞く。
「うん。」
さぎりが頷いた。
「私の家もあっち。」
ミオはしばらく見上げていた。
大きい。
想像していたよりずっと大きい。
その時。
静かな走行音が近付いてきた。
細長い車両。
中央軸トラム。
無重力区画専用の交通機関だった。
ドアが開く。
「乗ろう。」
二人は乗り込む。
車内には整備員。
貨物担当者。
保守員。
作業服姿の人々が乗っていた。
誰もが自然に無重力を使いこなしている。
発車。
窓の外を港湾設備が流れていく。
巨大貨物船。
整備ドック。
資材搬送ライン。
そして。
NOAH。
二百年以上漂流した船体が見えた。
「本当にくっついてる。」
ミオが呟く。
「うん。」
「もうヘスペリアの一部みたい。」
さぎりが笑った。
数分後。
ぬ重力区間のトラムが減速する。
ホームへ滑り込む。
駅の中央には巨大なエレベーターが並んでいた。
ミオは見上げる。
「これで行くの?」
「うん。」
「リングまで。」
二人は乗り込む。
扉が閉まる。
下降開始。
最初は何も変わらない。
だが。
徐々に身体が重くなる。
無重力。
微小重力。
そして。
人工重力。
「わ。」
ミオが思わず声を漏らした。
足に重さが戻る。
窓の外では。
巨大な構造体が流れていく。
やがて。
工業リング到着。
扉が開く。
機械音。
整備音。
資材運搬車。
配管。
作業員たち。
NOAHに少し似ていた。
「ここなら落ち着く。」
ミオが言う。
「でしょ?」
さぎりが笑った。
三両編成。
車内は先ほどより人が多かった。
学生。
工業区画なので整備員が多い。
様々な人が乗っている。
発車。
静かな加速。
ミオは窓の外を見ながら言った。
「意外と静か。」
「そう?」
「うん。」
「音があんまりしない。」
さぎりは少し笑った。
「このトラムね。」
「ちょっと変わった仕組みで動いてるの。」
「変わった?」
「うん。」
ミオは興味深そうに顔を向けた。
「ヘスペリアって。」
「電気を貯めるより。」
「回転を貯める方が好きなの。」
「なにそれ。」
ミオが吹き出す。
さぎりも笑った。
「本当だよ。」
「エウロパから来る氷採掘船あるでしょ?」
「うん。」
「十隻くらいがいつも往復してる。」
「うん。」
「そして見て。」
「あっちの居住リングは逆に回ってるでしょ?」
「うん」
「工業リングのドックに氷連絡が回転より少し早い速度で接岸して。」
4つのリングにエネルギーを与えている」
ミオは少し考える。
「発電所みたい。」
「似てるけど少し違うかな。」
さぎりは笑った。
「今度しっかり説明するね」
「トラム用のホイールは中心軸。」
「つまり回ってない部分」
「その回転を単純にギアでかなーーり遅くして」
「トラム用のホイールを回している。」
「何で遅くするの?」
「だって。」
「ヘスペリア3の外周速度は1070キロ」
「反対方向に回るリングからそのまま回転を受け取っちゃうと」
「1070キロになっちゃう」
「ああ」
「だから速くても時速100キロ程度でトラムを走らせるため」
「減速してるの。」
かぎりは続ける。
「トラムが発車する時は。」
「地下のホイールにトラムの発電機を強く掛けるの。」
「車両内にもフライホイールがある」
「すると?」
「ヘスペリア3の回転がほんの少し遅くなる代わりに。」
「発電機の抵抗が大きくなる」
「くらいホイールにも抵抗がある」
「抵抗で加速する」
「へえ。」
ミオは窓の外を見る。
トラムは静かに速度を上げていた。
「巡航速度になると。」
「今度は発電機を絞る。」
「だいたい、フライホイールのエネルギーだけで走る」
「だから必要な分だけ使って走る。」
「止まる時は?」
「逆。」
「列車の発電したエネルギーと。フライホイールにカウンターギアをかけて」
「トラムからエネリギーをホイールへ返す。」
ミオは少し黙った。
そして。
真顔で言った。
「じゃあ。」
「このトラム。」
「氷で走ってる?」
さぎりは吹き出した。
「だいたい合ってる。」
その時。
トラムがゆっくりと減速を始めた。
ミオは窓の外を見る。
何も見えない。
だが。
線路の地下では。
巨大な金属円盤が回っているらしい。
「変な街。」
「変な街だよ。」
さぎりは少し誇らしそうだった。
窓の外の景色が変わる。
港湾ドック。
氷の荷下ろし。
大きな機械。
人々の姿も増えていく。
ミオは窓に顔を近付けた。
「人が多い。」
「今日は普通くらい。」
「普通でこれ?」
「うん。」
さぎりは笑う。
『次は整備区画A6です。』
放送が流れた。
二人はホームへ降りる。
駅前には人が多かった。
仕事帰りの人々。
整備員。
笑い声。
話し声。
ミオは少し戸惑った。
ヘスペリア-3では。
これが普通なのだ。
「大丈夫?」
隣を歩くさぎりが言った。
「う、うん。」
ミオは慌てて頷いた。
「なんか……思ってたより明るい。」
「そうかもね。」
さぎりは笑った。
「ここは木星圏で一番古いけど、一番賑やかなステーションだから。」
二人はゆっくり歩く。
途中で何人もの住民が声をかけてきた。
「おかえり!」
「NOAHの子だろ?」
「歓迎するよ!」
誰もが笑顔だった。
ミオは少し照れながら。
その度に頭を下げた。
そして。
ハルが大きな声で言った。
「カレー食ったか?」
ミオの目が少し輝いた。
「まだです!」
「でも楽しみです!」
ハルは豪快に笑った。
「おっ、話は聞いてるんだな!」
「はい!」
ミオは大きく頷いた。
「十一年間ずっと聞いてました。」
「雨と。」
「カレーと。」
「猫の話。」
さぎりが思わず吹き出した。
「なんでその三つなの。」
「よく出てきたから。」
ミオは真顔で答える。
ハルは腹を抱えて笑った。
「間違っちゃいねえ!」
「じゃあ今日は当たりだな!」
ミオが首を傾げる。
「当たり?」
「今日は金曜日だからだよ。」
ハルは胸を張った。
「ヘスペリアじゃ金曜はカレーの日なんだ。」
ミオの目がさらに輝いた。
「本当ですか!?」
「本当だとも。」
「だから今日は腹を空かせときな!」
「はい!」
ミオは嬉しそうに返事をした。
ハルは満足そうに頷き。
手を振りながら去っていった。
二人が再び歩き始める。
「カレーの日なんてあるんだ。」
ミオが呟く。
「日本連合の昔の文化らしいよ。」
「らしい?」
「うん。」
さぎりは少し笑った。
「実はみんな理由はよく知らない。」
「でも昔の資料にそう書いてあったから続いてる。」
「変なの。」
「変だよね。」
二人は顔を見合わせて笑った。
しばらく歩くと。
周囲の雰囲気が少し変わった。
通路は静かになり。
古い区画へ入っていく。
壁の色も変わる。
配管が増える。
どこか落ち着いた空気。
長い時間が積み重なった場所。
やがて一枚の扉の前で。
さぎりは立ち止まった。
「ここ。」
ミオは見上げた。
地球文化アーカイブ。
その文字を見た瞬間。
胸が少し高鳴った。
十一年間。
何度も聞いた名前。
何度も通信で話した場所。
そして。
もう一人の友達がいる場所。
さぎりが認証パネルに触れる。
静かな電子音。
ゆっくりと扉が開いた。
広い空間だった。
静かで。
少し薄暗くて。
どこか懐かしい。
壁一面に並ぶ記録装置。
古い地球の映像。
保存された文化資料。
そして。
空間の中央で。
青白い光が集まり始める。
粒子のような光が舞い上がり。
やがて一人の少女の姿を形作った。
ミオは思わず息を呑んだ。
映像で見たことはある。
通信でも話したことがある。
何千回も声を聞いている。
だが。
実際に目の前で見るのは初めてだった。
少女は少しだけ頭を下げた。
「ようこそ。」
高く澄んだ声が響く。
「ヘスペリア-3地球文化アーカイブへ。」
ミオは思わず笑った。
「ユノ。」
少女も微笑む。
「はい。」
「初めまして。」
ミオは首を横に振った。
「初めましてじゃないよ。」
一瞬だけ。
ユノの表情が柔らかくなる。
「そうですね。」
「確かに。」
横で見ていたさぎりも笑った。
十一年間。
二週間遅れの通信から始まった会話。
やがて量子通信になり。
それでも続いた会話。
三人はずっと知り合いだった。
けれど。
こうして同じ場所に揃うのは。
今日が初めてだった。
ユノはミオを見つめる。
そして静かに言った。
「お帰りなさい。」
ミオは少しだけ目を潤ませながら。
笑顔で答えた。
「ただいま。」
地球文化アーカイブの静かな空間に。
三人の笑顔が並んだ。




