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木星の雨音  作者: ぴいちゃん


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12/71

第十二章 ――隔壁の向こう側――

https://x.com/pochidayo

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透明アルミニウム製の検疫隔壁を挟んで。

NOAH側代表団と、

ヘスペリア-3側代表団が向かい合っていた。

分厚い透明アルミニウム素材。

内部を流れる青白い滅菌光。

空気は、

まだ完全に分離されたままだ。

隔壁のこちら側には、

ヘスペリア-3中央管制主任。

港湾管理責任者。

医療局責任者。

木星圏居住管理官。

その少し後ろには、

腕を組んだハル主任。

さらに。

壁際には、

静かに佇むユノのホログラム。

淡い銀白色の髪が、

投影ノイズの中で揺れている。

向こう側には、

NOAH代表団。

古い制服。

何度も補修された作業外套。

二百年漂流した船の空気が、

そのまま染み付いているみたいだった。

誰も、

すぐには喋らなかった。

透明な壁の向こう。

互いに。

“本当に人が居る”

ただその事実を、

少しずつ受け止めているようだった。

やがて。

ヘスペリア-3側代表が、

静かに口を開く。

「木星圏ステーション《ヘスペリア-3》は、

移民船《NOAH》の到着を確認しました」

少し間を置く。

「……ようこそ、木星圏へ」

NOAH側代表の年配男性が、

ゆっくり目を閉じる。

その後ろでは、

若い乗員が小さく俯いていた。

泣いているのかもしれなかった。

NOAH代表は、

少し掠れた声で答える。

『第一世代木星圏移民船《NOAH》……

予定より二百年遅れて到着しました』

その場の空気が、

少し静かになる。

二百年。

言葉にすると短い。

でも。

その数字の重さを、

そこに居る全員が理解していた。

中央モニタには、

地球側通信映像が表示されている。

数時間前に届いた、

地球圏からの通信。

地球圏移民局。

木星圏運営局。

地球医療統合機構。

そのどれもが。

“歴史上の存在だった船”を、

今どう扱うべきか慎重に検討していた。

映像の中で、

地球側担当官が静かに言う。

『NOAH乗員を、

正式木星圏居住者として受け入れる方向で調整を開始します』

『ただし、

生態系検疫及び長期免疫観察期間を必要とします』

二時間前に送られた通常通信。

木星と地球の間には、

まだ大きな距離が存在していた。

しかしそれはNOAHとの初期の2週間のラグに比べれば

大したことではなかった。

この会談の内容も、

今まさに地球側へ送信され続けている。

沈黙のあと。

ヘスペリア-3医療局責任者が、

静かに資料を開く。

「現在、NOAH側へは」

「電力供給」

「純水供給」

「無菌食料供給」

「通信回線」

「空気循環補助」

「医療支援」

「以上を段階的に接続しています」

透明隔壁の向こうで、

NOAH側代表たちが静かに頷く。

医療局責任者は続ける。

「検疫解除には、

最低一か月を要します」

「希望者は、

検疫通路を経由してヘスペリア-3側隔離区画へ移動可能です」

「ただし」

「複数段階検査」

「ワクチン適応」

「重力順応」

「腸内細菌検査」

「長期免疫観察」

「それら全てが必要になります」

隔壁の向こうで、

NOAH側乗員たちが少しざわつく。

当然だった。

未知の空気。

未知の菌。

未知の世界。

二百年閉じた船に居た人間にとって、

それは“異世界”に近い。

ヘスペリア-3医療局責任者が、

静かに資料を閉じる。

代わって。

木星圏居住管理官が、

前へ出た。

その背後の大型モニタへ、

大量の数値と貨物一覧が投影される。

水貯蔵量。

凍結保存庫。

藻類加工備蓄。

蛋白生成設備。

農業リング収穫予測。

そして。

現在接続中の、

NOAH向け供給ライン。

管理官は、

落ち着いた声で言った。

「我々ヘスペリア-3は」

「量子通信網復旧後の数年間、

NOAH帰還に備え」

「氷資源備蓄」

「電力貯蔵」

「農業区画増設」

「保存食料加工」

「長期凍結備蓄」

「それらを継続してきました」

透明隔壁の向こうで、

NOAH側代表たちの表情が少し変わる。

管理官は続ける。

「現在、供給可能な総量は――」

モニタ上へ、

膨大な数値が表示される。

NOAH側整備員の一人が、

思わず息を呑んだ。

別の乗員が、

小さく呟く。

『……うそだろ』

その量は。

今までNOAHが消費してきた、

十数年分の食料総量に匹敵していた。

暖色照明の向こう。

ヘスペリア-3は、

ただの宇宙ステーションではなかった。

エウロパからの膨大な資源とエネルギー。



長い年月をかけて築かれた農業リング。



僅かであるが地球圏からの補給。


そこは既に。一つの“文明圏”だった。

管理官は、

静かに言葉を続ける。

「NOAH乗員全員を、

長期的に受け入れる能力があります」

「我々は、

皆さんを見捨てません」

その時。

後方で腕を組んでいたハル主任が、

小さく鼻を鳴らす。

「……まあ」

不機嫌そうな声。

でも。

どこか照れ臭そうでもあった。

「客が来るかもしれなかったからな」

数人の整備員が、

思わず笑う。

ハル主任は、

さらに続けた。

「だから増やしとけって言ったんだ」

「氷も」

「農業リングも」

「保存庫もな」

その言葉で。

NOAH側代表たちは、

少しだけ言葉を失う。

つまり。

この巨大な備蓄は。

帰って来るかどうかも分からない船のために。

数年かけて。

少しずつ積み上げられてきたものだった。

二百年前に途絶えた移民船。

木星圏へ辿り着けなかった人々。

それでも。

ヘスペリア-3では。

“いつか来るかもしれない”

そう信じて準備していた人間が居た。

透明隔壁の向こうで。

NOAH代表の年配男性が、

静かに頭を下げる。

その後ろでは。

若い乗員の一人が、お辞儀をしつつ

堪えきれず涙を拭っていた。

その時。

静かだったミオが、

一歩前へ出る。

金髪のツインテールが、

隔壁灯の光を反射する。

『……私が行きます』

周囲が静まる。

NOAH代表が、

ゆっくりミオを見る。

医療局責任者が確認する。

「第一検疫志願者として登録しますか?」

ミオは、

迷わなかった。

『はい!』

少し沈黙。

その後。

ミオは隔壁の向こうを見る。

その視線の先には。

少し離れた場所で、

静かにこちらを見守っているさぎりが居た。

黒いポニーテール。

明るい照明。

透明アルミニウムの隔壁。

あと二十センチ。

でも。

まだ触れられない。

ミオは、

小さく笑う。

『……さぎりさんが待ってるから』

その瞬間。

ヘスペリア-3側の空気が、

少しだけ柔らかくなった。

ハル主任が、

小さく鼻を鳴らす。

「……ったく」

でも。

その顔は少しだけ、

笑っていた。

遠く。

検疫区画の向こうでは。

木星が、

静かに輝いていた。




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