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木星の雨音 第一部  作者: ぴいちゃん


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11/11

第十一章 ――帰還――

木星圏到達当日。

ヘスペリア-3中央港湾区画は、

異様な静けさに包まれていた。

人は多い。

管制員。

整備員。

保守員。

農業区画の人間。

学生。

子供たち。

食堂のおばちゃんまで来ていた。

でも。

誰も、

大声を出していない。

巨大モニタ群だけが、

静かに光っている。

《NOAH》

接近中。

推定距離、

残り三万キロ。

中央管制では、

低い声が飛び交う。

「回転差同期開始」

「接近速度安定」

「NOAH側、

docking interface応答確認」

「磁気係留系待機」

「検疫隔壁、

第一段階展開完了」

「空気系統、

依然分離状態維持」

その時。

管制卓の一角で、

青白い光が静かに灯る。

空中へ、

半透明ホログラムが展開された。

淡く発光する銀白色の長い髪。

静かな蒼い瞳。

薄いワンピース状の投影衣装。

ホログラム特有の走査線が、

身体の表面をゆっくり流れている。

差し出される細い手。

揺らぐ青白い投影光。

《YUNO LINK ACTIVE》

ユノだった。

挿絵(By みてみん)

古い投影式AI。

二百年前の木星圏dock protocolを、

完全な形で保持し続けている存在。

その姿は、

まるで幽霊みたいに淡い。

でも。

その声だけは、

不思議なくらい穏やかだった。

『旧木星圏dock protocolを起動します』

中央管制室の空気が、

少しだけ張り詰める。

二百年前。

NOAHが建造された時代。

その頃のdock interface規格を、

完全な形で知っている存在は、

もうユノしか居なかった。

ヘスペリア-3側も。

NOAH側も。

既に何度も改修されている。

だが。

根幹部分だけは、

旧木星圏共通規格が残されていた。

ユノが、

静かに目を閉じる。

すると。

巨大モニタ群へ、

古い構造図が次々と投影され始めた。

二百年前の設計図。

挿絵(By みてみん)

初期dock sequence。

回転同期パターン。

磁気誘導制御。

係留アーム接続順序。

現在の管制員たちですら、

初めて見るデータだった。

『NOAH側回転偏差、

〇・〇二七増加』

ユノが静かに告げる。

『許容範囲内』

『旧世代規格シーケンスへ移行します』

その声は、

いつも通り穏やかだった。

でも。

どこか少しだけ。

懐かしそうだった。

巨大モニタの片隅には、

二百年前の記録映像が流れている。

建造途中のNOAH。

挿絵(By みてみん)

明るい地球圏ドック。

まだ新品だった巨大船体。

作業員たち。

歓声。

出航式典。

その時。

ユノの声が、

再び静かに響く。

『dock alignment phase final』

『磁気誘導開始』

『NOAH側へ接続シーケンス送信』

遠く。

巨大なNOAH船体が、

ゆっくり姿勢を変える。

三キロ級の船が。

まるで。

二百年前に決められていた手順を、

今も覚えていたみたいに。

ハル主任は、

腕を組んだまま巨大モニタを見上げていた。

その顔は、

いつも通り不機嫌そうだった。

でも。

誰より早く来て。

誰より遅くまで残っていた。

挿絵(By みてみん)

窓の向こう。

木星の光の中で。

巨大な影が、

ゆっくり現れ始めていた。

最初は、

ただの暗い塊だった。

だが。

距離が縮まるにつれ、

その姿が見えてくる。

継ぎ接ぎだらけの外装。

無数の補修跡。

増設された装甲。

露出した配管。

巨大中央ブロック。

対向回転リング。

三キロ級船体。

《NOAH》。

二百年以上漂流した船。

宇宙船というより。

もはや、

“生き残った文明”そのものだった。

港湾区画の誰かが、

小さく呟く。

「……でけえ」

別の誰かが笑う。

「ほんとに来やがった……」

その声には。

呆れと。

安堵と。

少しの感動が混ざっていた。

《NOAH》は、

ゆっくり接近してくる。

推進光は弱い。

減速は、

もう最終段階だった。

巨大船体側面では、

姿勢制御スラスターが細かく瞬いている。

回転リング速度、

徐々に低下。

ヘスペリア-3側も、

同期回転調整を開始する。

巨大ドッキングベイが、

静かに展開していく。

長大な係留アーム。

磁気誘導灯。

接続ガイド光。

さらに。

港湾区画全体へ、

透明な検疫隔壁が次々と降下していく。

重い遮断音。

隔離ランプ。

警告表示。

《BIOLOGICAL QUARANTINE ACTIVE》

二百年以上、

独立生態系として漂流した船。

ヘスペリア-3側も、

NOAH側も。

まだ互いの空気を知らない。

まだ互いの微生物を知らない。

だから。

“帰還”には、

慎重さが必要だった。

その横では。

NOAH側整備班と、

ヘスペリア-3側整備班が、

既にdock interface周辺へ集まっていた。

『……ほんとに繋がってる』

『規格変換、

ギリギリだぞこれ……』

『固定ボルト位置、

二百年前のままだ』

NOAHは、

本来木星圏へ定住するための移民船だった。

木星圏ステーションとの接続規格も、

当然存在していた。

だが。

二百年以上の漂流の中で。

船体は無数の改修を受け。

増設され。

削られ。

継ぎ足され。

当時の設計とは、

既に別物になっている。

一方。

ヘスペリア-3側も、

通常は補給船を受け入れる程度の小規模港湾しか持っていなかった。

数十メートル級。

大型でも数百メートル。

三キロ級移民船《NOAH》を受け止めるなど、

本来想定されていない。

だからこそ。

この帰還のためだけに。

外部係留リング。

増設接続フレーム。

仮設磁気クランプ群。

巨大な補助支持アーム。

それら全てが、

数年かけて新設されていた。

二百年前の規格。

二百年間の改造。

そして。

木星圏側の急造設備。

その全部を、

ユノが無理矢理噛み合わせていた。

接続部を見上げながら、

若い整備員が呟く。

『……無茶苦茶だなこれ』

ハル主任は、

腕を組んだまま鼻を鳴らす。

挿絵(By みてみん)

「二百年前の三キロの街を停めるんだ。

当たり前だろ」

その頃。

《NOAH》内部。

中央観測区画には、

大量の人が集まっていた。

子供たち。

老人たち。

整備員。

医療班。

誰もが、

窓へ張り付いている。

その向こうには。

ヘスペリア-3。

暖色の光。

回転リング。

窓明かり。

宇宙の中に浮かぶ、

人の暮らし。

NOAHの子供たちが、

声を上げる。

『明るい……』

『いっぱい光ってる……』

『人いる……』

その後ろで。

大人たちは、

静かに泣いていた。

ミオは、

観測窓の前に立っていた。

金髪のツインテールが、

微かに揺れている。

その横で、

整備員が叫ぶ。

『接続シーケンス入るぞ!』

『interface同期確認!』

『回転差、

許容範囲内!』

『磁気クランプ待機!』

ミオは、

小さく息を吐いた。

その時。

通信回線が開く。

さぎりだった。

保存庫ではない。

中央港湾区画。

背後には、

巨大ドッキングベイが見えている。

黒いポニーテール。

少し疲れた顔。

でも。

笑っていた。

「見えてる?」

ミオも笑う。

『見えてます』

その瞬間。

《NOAH》船体前部が、

巨大ドッキングベイへ入っていく。

誰も喋らない。

静かだった。

二百年間。

止まれなかった船。

木星圏へ住むはずだった船。

通り過ぎてしまった船。

その船が今。

ようやく。

帰って来る。

『磁気誘導開始』

『接続速度、

毎秒〇・三』

『回転同期維持』

《ゴゥゥゥゥゥン……》

低い振動。

巨大磁気クランプが、

ゆっくり閉じていく。

長い。

本当に長い時間だった。

やがて。

《CONNECTION ESTABLISHED》

その表示が、

中央モニタへ浮かび上がる。

挿絵(By みてみん)

静寂。

次の瞬間。

港湾区画全体から、

歓声が上がった。

誰かが泣いていた。

誰かが笑っていた。

抱き合う整備員。

拍手。

怒鳴り声。

ハル主任は、

腕を組んだまま小さく呟く。

「……帰って来やがったな」

その声だけが。

妙に静かだった。

数時間後。

《NOAH》側ハッチが、

ゆっくり開き始める。

白い蒸気。

気圧調整音。

暗かった船内から。

最初に現れたのは、

NOAH代表団だった。

古い制服。

補修された徽章。

緊張した顔。

疲れた目。

だが。

その前には、

透明な検疫隔壁が降りている。

まだ空気は混ざらない。

まだ直接触れることは出来ない。

ヘスペリア-3側からは、

港湾管理責任者、

中央管制主任、

居住区代表たちが前へ出る。

形式的な挨拶。

識別確認。

滞在区画説明。

気圧同期。

重力差注意。

水供給説明。

係員たちが、

次々と案内を始める。

そして。

少し遅れて。

一般乗員たちの列が、

ゆっくり動き始める。

子供たち。

老人。

整備員。

家族。

皆、

恐る恐るヘスペリア-3へ降り立っていく。

暖色照明。

人の声。

広い通路。

窓の向こうの木星。

NOAHの人々は、

ただ黙って周囲を見ていた。

その流れの奥で。

ミオが、

ゆっくりハッチから姿を現した。

白い作業服。

工具ベルト。

金髪のツインテール。

でも。

ハッチの先には、

透明な検疫隔壁が設置されていた。

空気系統は、

まだ接続されていない。

ヘスペリア-3側とNOAH側は、

完全に分離されたままだ。

ミオは、

隔壁の向こうを見る。

暖色照明。

木星光。

広い通路。

人の気配。

NOAHより、

ずっと光が多い。

その眩しさに、

ミオは思わず目を細めた。

『……っ』

明るかった。

ヘスペリア-3は、

明るかった。

そして。

人混みの向こうに。

細いシルエットが見えた。

黒髪。

ポニーテール。

港湾灯の逆光。

最初は、

輪郭しか見えない。

でも。

少しずつ、

目が慣れていく。

その姿が、

はっきりしていく。

ミオの呼吸が、

止まる。

『……あ』

ポニーテールの女性が、

少し笑う。

ミオは、

小さく呟いた。

『……さぎりさん』

さぎりが、

ゆっくり隔壁の前まで歩いて来る。

ミオも、

吸い寄せられるように近付いていく。

透明な壁。

あと20センチ。

でも。

まだ、

触れられない。

二百年以上漂流した船。

十一年の通信。

毎日の会話。

互いの声も。

笑い方も。

泣き方も知っている。

でも。

本当に同じ場所へ立つのは、

初めてだった。

ミオが、

そっと隔壁へ手を当てる。

さぎりも、

静かに手を重ねた。

透明な壁越し。

触れられない。

でも。

そこに居る。

通信じゃない。

映像じゃない。

幻でもない。

同じ木星の光の下で。

挿絵(By みてみん)

今、

同じ場所に立っている。

1800億キロ。

十一年。

二百年漂流した船は、

ようやく木星圏へ辿り着いた。

止まれなかった船。

通り過ぎてしまった船。

それでも。

人類がかつて目指した場所へ、

今ようやく帰って来た。

ヘスペリア-3の暖色照明。

木星の反射光。

人の暮らしの音。

その全部が、

もう目の前にある。

でも。

ミオとさぎりの間には、

まだ透明な検疫隔壁が残っていた。

たった二十センチ。

手を伸ばせば届く距離。

1800億キロを時速 約187万km/hで越えて来たのに。

最後の二十センチを越えるには、

まだ一か月以上かかる。

この隔壁を超えるには0.000000278 km/h

6兆7000億倍 の時間がかかる。

その事実が。

少しだけ可笑しくて。

少しだけ切なかった。

ミオの肩が、

少し震えていた。

泣いているのか、

笑っているのか、

もう分からなかった。

さぎりも、

声が出ない。

ただ。

隔壁越しに、

その手を重ねていた。

周囲では、

NOAHの人々が、

静かにその光景を見守っていた。

ハル主任が、

腕を組みながら小さく呟く。

「……やっと会えたな」

誰かが、

静かに頷く。

ミオは、

涙を滲ませながら、

小さく呟いた。

『……明るい』

窓の向こうでは、

木星が静かに輝いていた。

2361年。

木星圏を目指した人々は、

200年遅れて、

ようやく目的地へ辿り着いた。


つづく


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