第三十七話 慣れる
◆レイナ
ユートリアに加入してから、一年が経った。
街は静かだった。
怒号もない。
悲鳴もない。
武器を持つ者もいない。
人々は穏やかに歩く。
決められた時間に食事を受け取る。
決められた部屋へ戻っていく。
最初は。
その光景が気持ち悪かった。
でも。
今は少しだけ。
慣れてしまっている自分がいた。
それが、一番怖かった。
「北部区画の統制完了です」
ルークが報告書を置く。
バルゼイン王国が。
セレニア連合国やノクシア王国との戦争に明け暮れている隙に。
ユートリアは北上した。
バルゼインの領地を。
ほんの少しずつ。
削るように奪った。
でも。
ルークは必要以上に攻めない。
敵国が本気で反撃する直前。
そこで止まる。
踏み込みすぎない。
逃げ道を塞ぎすぎない。
相手が耐えられる範囲だけを削り取る。
「……本当に、よく見えてるのね」
レイナは小さく呟き、窓の外を見る。
ユートリアの街。
人々が配給所に並んでいる。
乱れはない。
争いもない。
以前は。
娯楽を求める人間もいた。
歌う者、踊る者。
恋人と寄り添う者。
酒を欲しがる者。
遊びを求める子供。
だが。
一年の間に。
それは少しずつ薄れていった。
今は。
食べて、眠る。
それだけの人間が増えていた。
誰も苦しんでいない。
誰も飢えていない。
誰も争っていない。
だけど。
生きているようには見えなかった。
「……これが」
レイナは呟く。
「あなたの言う、進化?」
ルークは窓の外を見た。
穏やかな街。
静かな人々。
「まだ途中です」
淡々と。
迷いなく。
「ですが、確実に近づいています」
レイナは何も言えなかった。
否定したい。
でも。
外の世界を知っている。
戦争。
死体。
搾取。
人体実験。
毒。
子供兵。
それを見てきた自分には。
この静けさを。
完全には否定できなかった。
ただ。
胸の奥に。
小さな違和感だけが残っていた。
◆グレン
リグナ王国。
会議室。
机の上には、大陸地図が広げられていた。
赤い駒。
黒い線。
崩れた国境。
グレンは腕を組み、地図を睨む。
「……今どこが戦争やってんだ?」
セラが資料をめくりながら答える。
「今、主な戦争は二つ」
指が地図を叩く。
「一つ目」
「バルゼイン王国対セレニア連合国」
セレニア連合国。
バルゼインに対抗するために作られた連合国家。
だが、内情は最悪だった。
降伏派。
過激派。
慎重派。
三つの派閥が、国内で争っている。
「敵と戦う前に、内側で割れてる」
セラが言う。
「しかも相手はバルゼイン」
グレンは顔をしかめる。
「待ってくれるような国じゃねぇな」
「ええ」
セラは資料を一枚置いた。
そこには一人の名が書かれている。
ヴィクトール。
バルゼイン王国最強兵士。
通称。
“バルゼインの放電現象”。
「こいつが前線に出てる」
セラの声が少し重くなる。
「セレニアは危ないわね」
グレンは舌打ちした。
「連合国が丸ごと潰れるのか」
「可能性は高い」
セラは次の駒を動かす。
「二つ目」
「バルゼイン王国・ヴァルディア帝国対ノクシア王国」
ノクシア。
かつてルークを失い。
ユートリアとの同盟も失った国。
本来なら、とっくに崩壊していてもおかしくなかった。
だが。
まだ粘っている。
理由は一つ。
ヴァルディア帝国の内部崩壊。
「ヴァルディアでデモが激化してる」
セラが言う。
「帝の政策に不満が爆発してるみたいね」
「戦争に人を回す余裕がない」
「そのせいでノクシアを攻め切れていない」
政策か……
子供を兵士にして、親を裕福にする。
子供を大切に思う親ほど、不満を抱く。
グレンは天井を見た。
「どこも終わってんな」
「ええ」
セラは淡々と頷く。
「でも、終わらない」
その言葉が妙に重かった。
戦争は一生終わらない。
そんな気がした。
国が潰れても。
王が死んでも。
兵士が消えても。
新しい理由が生まれる。
新しい敵が生まれる。
新しい旗が立つ。
「……で、リグナは?」
セラの目が細くなる。
そのとき。
会議室の扉が開いた。
白衣の男が入ってくる。
表情は薄い。
だが、その目だけが妙に興奮していた。
「報告があります」
空気が変わる。
男は資料を机へ置いた。
「ついに、実験の成果が出ました」
グレンが眉をひそめる。
「実験?」
白衣の男は、静かに言った。
「能力移植です」
沈黙。
会議室の空気が止まった。
セラが資料へ視線を落とす。
グレンは、嫌な予感がした。
男は続ける。
「死んだ能力者の細胞を、子供へ移植する」
「定着率は低い」
「ですが」
「成功例が出ました」
グレンの背筋に冷たいものが走る。
「……子供?」
男は当然のように頷いた。
「はい」
「子供は扱いやすい」
「思想も固定されていない」
「反乱の可能性も低い」
「何より」
男は淡々と言った。
「子供の能力者は、運用実績があります」
「シオンです」
グレンの拳が強く握られる。
セラは黙っていた。
会議室の誰も。
それを止めようとはしなかった。
ただ。
新しい戦力として。
新しい資源として。
そして、新しい希望として。
資料を見ていた。
グレンは小さく呟く。
「……ふざけんな」
誰にも聞こえないほど、小さく。
「子供を使うなよ」




