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迷宮主心得

 どうにも炬燵に入ったまま、寝落ちしてしまっていたらしい。


 テレビは点けっぱなしのまま、蜜柑の皮があちこちに散乱している。


「……いかんな。少々腑抜けておる」


 リセルテア・ヴェルダークは主の間(ダンジョン・コア)の最奥に厳重に封じている魔法台帳(マジカル・レジストリ)にそっと触れた。


 迷宮の所有権移転を記録した魔法台帳は明確にリセを現迷宮主と証明していた。


 これに触れると、迷宮主としての心得が染み込んでくる。


「しっかりするのじゃ、リセルテア・ヴェルダーク。わらわは迷宮主(ダンジョン・マスター)であるぞ。もう父はおらぬ。窮地に陥っても誰も助けてくれぬのじゃ」


 父ヴァルゼムは空間構築や転移系の魔術に長けており、とにかく争いを好まない性格だった。


 迷宮に誰彼構わず受け入れたのも、初代迷宮主である父の意向だ。


 階層ごとの特色を打ち出したのも、魔力看板(マジカルサイネージ)の管理も、迷宮払い(メイペイ)を導入したのも、すべて父ヴァルゼムが遺してくれた仕組みだった。


 リセは父が作り上げた仕組みをそっくりそのまま引き継いだだけだった。


 そこらの人間よりかは年齢を重ねてはいるが、人間換算にするとリセはまだ十代半ばにしか過ぎない若輩だった。誰からも舐められないよう、深淵の迷宮主(ラスボス)に相応しい威厳を備えたいとは思っているが、いかんせん誰も訪ねて来ない平穏な毎日にすっかり気が抜け切っていた。


「……とは言っても、誰も深淵(ここ)には来ぬからのう」


 リセは適当にテレビをザッピングし、お歳暮のおせんべいを齧った。

 すでに湿気ており、パリパリ感がなくなっていた。


「うむ。これは駄目じゃ」


 リセはきょろきょろと辺りを見回し、何食わぬ顔でせんべいの袋を投げ捨てた。父が存命であったら、「ポイ捨てしては駄目だと言っただろう、リセ」と優しく諭されただろう。


 迷宮の深淵に孤独に住まうリセのことを気にかけてくれる者はもう誰もいない。


 一応は迷宮主であるため、多少は働いている素振りは見せる必要がある。そろそろ魔力看板の文言でも見直そうかと思ったが、億劫だったので、また明日にすることにした。


「今日は気が乗らんな。まあ、いつでもよいか」


 差し当たって、深淵まで訪ねてくる筆頭は迷宮徴税官だろう。

 いけ好かない糸目の迷宮徴税官は予告するようにこう言った。


「本日はこれにて失礼させていただきます。後日、改めてご挨拶に伺わせていただきます」


 予告するだけ予告しておいて、一向に挨拶に来る気配はない。


「一生来なくてよいぞ。迷宮徴税官になぞ用はない」


 リセは切り捨てるように言った。


 万が一、迷宮徴税官が訊ねてきた時の予行演習はしてある。対策はばっちりだ。

 迷宮主としての威厳を保ち、いかにも偉そうにこう言い放つのだ。


「たわけが。1迷幣(メイペイ)たりとも払えぬわ。ふはは」


 来たるべき日の予行演習には余念がなかったが、どうにも台詞が決まらない。


「貴様らにくれてやる迷幣などないわ。失せるがいい……の方がよいか。いや、そもそもあの糸目、一人で来るのかのう。そうしたら貴様か。貴様らでは複数形じゃからのう」


 独りでぶつぶつ呟いていると、父の不在がどうしたって浮き彫りになってしまう。

 つい虚しくなって、リセはごろりと横になった。


「迷宮徴税官以外、だーれも訪ねてくる者がおらんのか。さびしいものじゃな」


 でこぼこした天井を見つめながらリセは自嘲気味に言った。


「そういえば父上が言っておったな。いつか迷宮の継承権を主張する親族が現れるかもしれない、と」


 父のヴァルゼムは異種族間の婚姻にも寛容だったが、自身の婚姻はうまくいかず、高貴な(ハイ)エルフの妻とは長らく別居していた。現代日本への転移を拒否し、離れて暮らす母の顔をリセはほとんど覚えていない。母側にどれだけの親族がいるかもよく知らない。


 なぜ自分には父しかいないのか、いつだったか聞いたことがある。


「性格の不一致というわけではないんだ。お互いに好む住環境が真逆だった。それだけのことだよ」

「どういうことですか、父上」


「いいかい、リセ。エルフは大きく分けると三種類ある。ハイエルフ、エルフ、ダークエルフ。外見的な肌の色や地位の高さで分類することもあるが、実際のところはもっと単純だ。高いところに住みたがるのがハイエルフ、平地の集落に暮らすのがエルフ、暗くて狭いところが好きなのがダークエルフだ」


 住環境の好みによるエルフの三分類は明瞭だった。


「母上は高いところに住みたい性質だったのですね」

「こっちの世界では港区エルフやタワマン・エルフなんて呼ばれるかもね」


 父ヴァルゼムが優しく頭を撫でてくれた。


「迷宮は好きかい、リセ」


「もちろんです」


「嬉しいね。リセに遺せる物はこの迷宮だけだ。この迷宮を好きだと言ってくれて、この迷宮を一緒に守ってくれようとする。いつか、そんな相手が見つかるといい」


深淵(アヴィス)で暮らしていたら、出会いなどありませんよ」


「たまには外出してもいいのだぞ」


「迷宮主の娘が迷宮で迷子になどなったら沽券に関わるではないですか」


 リセの心配を父ヴァルゼムは笑い飛ばした。


「ならば、いつでも深淵に戻ってこれるよう縦穴(アヴィスシュート)を作ろう。大人数でどやどや押し掛けられても煩わしいから、リセがぎりぎり通れるサイズでな。誰も招きたくないときは魔力で縦穴を捻じ曲げるなり、封鎖するなりすればいい」


 魔法台帳のとあるページに、アヴィスシュートの構造を一括変更する仕様が残されている。


 先見の明のある父は、いつの日か縦穴を閉じたくなるような未来が来ることも予見していたのだろうか。


 滅多に他者を寄せ付けないリセと違って、博愛主義者のヴァルゼムは迷宮の民の誰からも慕われていた。


 迷宮の民のどれだけがヴァルゼムが亡くなったことを知っているのだろうか。


 父がこさえたアヴィスシュートを通じて、今も途切れることなくお中元やお歳暮が降り注ぐ。

 ありがたいことだが、迷宮の継承者であるリセに贈っているのでないことは確かだった。


 リセ宛てに届いた物はただひとつだけだった。


 相続税の督促状。


 あまりにもむしゃくしゃして、督促状は丸めて踏みつけにした。


「……たまには迷宮の民と触れ合ってみるべきかのう」


 寝ぐせを直し、いそいそと厚手のローブとマントを羽織る。


「ちょっと迷宮を散歩するだけじゃ。迷子になっても縦穴で帰ってこれよう」


 しかし、その一歩がなかなか踏み出せなかった。


 ――迷宮主が迷宮で迷子になったぞ。


 そんな後ろ指を指されるかも、と思ったら、どうにも足が竦んでしまった。

 リセは強がるように言い、ローブとマントを脱ぎ捨てて炬燵に入り直した。


「うむ、今日は気が乗らんな。散歩などいつでもよいか。また明日じゃ、明日」


 迷宮の魔力導管がざわつき、魔法台帳のページが勝手に捲れ出した。


「……なんじゃ?」


 魔法台帳に、ホログラム状の見取り図が自動的に表示された。

 迷宮の民を示す無数の点々に混じって、どうやら異質な二人組が紛れ込んだらしい。


 未登録の赤い点が二つ、迷宮の民を次々と襲撃しながら移動を続けている。


「侵入者のようじゃな」


 赤い点は深淵を目指していないのか、第二階層のあちこちに寄り道しており、無軌道だった。

 あっちへふらふら、こっちへふらふら、あまりにも無駄が多い。

 足取りからして、糸目の迷宮徴税官ではなさそうだ。

 訳の分からない挙動にリセは困惑した。


「なんじゃ、ただの迷子か?」


 ごく微量だが、ダンジョン主の魔力プールへ自動送金されるはずの迷宮魔力が消失していた。

 どうやら赤い点の二人組が迷宮魔力を吸い取って回っているらしい。


 迷宮主たるリセは現象の意味するところを即座に理解した。


「……迷宮徴税官が挨拶にきおったか」


 リセは不敵な笑みを浮かべ、迷宮主の威厳を演じる予行演習に励んだ。

 声の調子や響きを確認しながら、何度となく発声した。


「たわけが。1迷幣たりとも払えぬわ。ふはは」


 台詞はこれに決めた。

 相続税の督促状を蹴っ飛ばし、迷宮徴税官との対決姿勢を露わにした。

 予行演習はすでにばっちりだが、赤い点はいつまでも第二階層をうろついていた。


 一瞬のうちに高まった緊迫感はすっかり薄れていた。

 リセは眉をひそめ、魔法台帳に向かって毒づいた。


「こやつら、やはりただの迷子じゃろ」

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