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迷宮主リセルテア・ヴェルダーク

 迷宮の深淵に暮らすリセルテア・ヴェルダークは今日もひとりぼっちだった。


 父のヴァルゼム・ヴェルダークは相当に高齢だった。


 日本のアニメを見て移住してきました、などと抜かすたわけた移住者たちが大挙して迷宮に押し寄せてくる以前から、この地に根付き、こつこつと迷宮を拡張してきた。


 大都会迷宮のあちこちに父の息遣いが感じられるが、愛する父はもうこの世を去った。


 寿命もあって、娘のリセに迷宮を継がせようと考えていたところ、怪しげな糸目の迷宮徴税官から莫大な相続税が必要と知らされ、ショックで心臓が止まってしまった。


 父は税金に殺された。

 リセにとって税金は父の敵であり、迷宮徴税官は天敵であった。

 父から譲られた迷宮に足を踏み入れてはならないのは迷宮徴税官だけだ。


 住みたい者があれば、どうぞご自由に。


 入居審査も特になく、勝手に住み着いた迷宮の民からお中元やらお歳暮とかいう謎の貢ぎ物が大量に届くので、迷宮の深淵から一歩も出なくても食事には困らなかった。たまには調理された温かいものが食べたくもあるが、文句は言うまい。


 迷宮の各所にある投入口(ホッパー)に贈り物を投げ込むと、迷宮内部の縦穴を通って最深部の収集場に集まる仕組みだ。


 お中元やお歳暮はダストシュートならぬアヴィスシュートを通じ天から降り注いでくるので、ワレモノやナマモノは滅多になく、ほとんどが加工食品ばかりだった。


 リセは目についたお歳暮のパッケージを引き裂くと、ゴミをその辺に放り投げた。


 キューブ状のフリーズドライのお味噌汁の素。


 指でつまんでしげしげと眺めるが、いまいち食べ方が分からない。


「ふむ、どうやって食すのかのう」


 試しにそのまま齧ってみたが、だいぶしょっぱい。


「……微妙じゃのう」


 リセはなんとも微妙な表情を浮かべた。


 生きた回路である魔力導管(マナ・パイプライン)が今日はどうにも騒がしかった。


「今日はどうしたのじゃ。やけに騒がしいのう」


 リセが耳を澄ますと、深淵に向かって猛スピードで近付いてくる音があった。


「なんじゃ?」


 身構える暇もなく、迷宮の壁をぶち破って、傷ついた火竜が深淵に飛び込んできた。

 リセのすぐ傍らで力尽き、ぐったりと動かなくなった。

 鱗のあちこちが傷だらけだったが、どうにも目が開かないらしい。


「あまりにも強い光で目を焼かれたか。可哀そうに」


 治癒魔法などは使えないが、時間操作魔術ならばお手のものだ。

 少々時を戻しても、記憶に干渉することもない。

 目が見えず、困っている火竜の頭を撫でてやり、時を少しばかり巻き戻した。


「――《時をかける少女バック・トゥ・ザ・フューチャー》」


 迷宮に収まらんばかりだった巨体がみるみる縮んでいく。


 目に傷害を負っていない健康な時点で止まらず、巨大だった火竜はリセの手に乗るほどの小ささまで退行してしまった。


「おや、時を戻し過ぎたな。これでは赤子ではないか」


 幼体火竜(ベビー・サラマンダー)は、ちょこんとリセの手に乗っかり、嬉しそうにリセの頬を舐めた。


 赤い舌に舐め回され、リセはくすぐったそうな声をあげた。


「やめよ。くすぐったい」


 幼体火竜は特に不満はなさそうだが、リセはちょっぴり申し訳なさそうに詫びた。


「おぬしの飼い主にも謝らんとのう。時は戻せるが、時を進めることはできぬでな。ところで、おぬしの飼い主はどこに住んでおるのだ」


 大都会迷宮の第二階層は「ペット可区画」だ。


 ドラゴン、魔獣、幻獣など、人間が飼えない類のペットの飼育フロアで、迷宮の住民が好き勝手に飼い始めた結果、どんなヤバい魔獣が潜んでいるか知れない魔窟となっている。


 危険地域のため、おいそれとは近寄りたくない。


 幼体火竜はお歳暮のお味噌汁の素を咥えると、リセの父ヴァルゼムが遺した温泉まで飛んで行った。湯桶を足蹴にして、なんだかきいきい唸っている。


「これは温泉というのじゃ。迷宮の奥に温泉を引くのが父の夢でな。魔力導管にちょいと細工して、温泉水を引き込んでおるのじゃ」


 リセが温泉自慢をするが、幼体火竜は相変わらずきいきい唸っている。


「おぬしも温泉に入りたいのか? 違う? お湯を汲むのか」


 リセは幼体火竜に言われるがまま、湯桶に熱いお湯を汲んだ。


「なんじゃ? これを入れるのか」


 どうにも、キューブ状のフリーズドライのお味噌汁の素を湯の中に突っ込め、と言う。

 リセは半信半疑だったが、お味噌汁の素を湯の中にぶちまけた。


「それで混ぜろとな。わかった、わかった。……あちっ」


 人差し指で混ぜると、熱くて火傷しそうになった。指を舐めると、ひたすらしょっぱかったはずのお味噌汁の素がちょうどよい具合の味になっていた。


「これを飲めとな。ふむ。……飲めるのか?」


 おそるおそるお味噌汁なるものを飲んでみたが、なかなかに美味だった。

 心の中にじんわりと温かな滋味が広がってくる優しい味わいに思わず笑みがこぼれた。


「ふむ。これはなかなか」


 リセは幼体火竜の頭を撫でてやった。


「おぬし、なかなか賢いのう」


 幼体火竜はけふけふ唸って、小火のような火を吐いた。

 見上げるほどの巨体でないせいで、どうにも迫力がない。

 この幼体の姿で、果たして第二階層まで帰り着けるだろうか。


「すまんのう。大きくなるのにしばし時間がかかろう。未来で待っておる」


 幼体火竜が温泉に浸かりたがっているようなので、リセはいそいそと厚手のローブとマントを脱ぎ、下着をその辺に放り捨てた。


「おぬしも温泉に入りたいのじゃな。特別じゃぞ」


 リセは起伏のない慎ましやかな肢体を手で隠しつつ、温泉に浸かった。


「ふはー、極楽、極楽」


 父のヴァルゼム曰く、温泉に浸かった際はこう言うのがお約束であるらしい。


 幼体火竜が気持ちよさそうにぷかぷか泳いでいる。

 相手が火竜とは言え、生白い素肌を晒すのは気恥ずかしかった。


 リセは言い訳をするように小さな声で言った。


「可笑しいじゃろ。ダークエルフのくせに肌が白いなんてな」


 リセはダークエルフであるが、迷宮から一歩も出ず、ほとんど日の光を浴びていないので、肌は透けるように白い。地肌の白さを隠すように黒化粧(メイク)をしているが、どうせ迷宮の深淵には誰も訪ねて来ないため、近頃は厚手のローブとマントを纏うだけのことが多い。


 リセは胸元に幼体火竜を抱き寄せ、愛おしげに頭を撫でた。

 父が亡くなって以来、迷宮の深淵に訪ねてきた者など誰もいない。


「いつも一人なのかって? そうさな」


 最後に迷宮の深淵に訪ねてきたのは、あの憎き男だ。


 迷宮徴税官・加算税サグル。


 迷路じみた迷宮内を一切迷いもせず、最短ルートで深淵に辿り着くなんて、およそ人間業ではない。迷宮主のリセですら出来ない芸当だ。


 その上、あの糸目……。


「何者じゃ、あの糸目。さては魔王の転生体かなにかではあるまいか」


 ありうる。

 大いにありうる。


 無慈悲な徴税によって、父は精神的なショックを受け、逝ってしまった。


 ……相続税?


「まったく解せぬ。なぜ父が築いた迷宮を譲るのに迷幣(メイペイ)が必要なのじゃ」


 リセは憤懣やるかたない調子で毒づいた。

 憎き糸目の迷宮徴税官が放った言葉は鮮明に覚えている。


「本日はこれにて失礼させていただきます。後日、改めてご挨拶に伺わせていただきます」


 リセは拳を握りしめると、温泉の中で仁王立ちした。


「来るなら来てみろ、クソたわけめ」




 温泉から上がり、いつもの厚手のローブとマントを羽織った。


 リセルテア・ヴェルダークは迷宮の深淵に住まうダンジョン主として、徴税権力に舐められないよう厚手のローブとマントで姿を隠しているが、その正体は第一階層(近所)便利店(コンビニ)にも出かけられない引きこもりのニートだった。


 外出を恐れる理由はただひとつ。


 実家が迷宮過ぎて、いちど外出すると、ダンジョン主の自室に戻ってこられない危険があるためだ。

 迷宮主が迷宮内で迷子になるだなんて、沽券に関わる失態だ。


 リセは炬燵に入り、蜜柑の皮を剥きながら、何気なしにテレビを点けた。

 迷宮の深淵ではあるが、なぜだかテレビの電波は受信する。


 ぼんやりニュースを見ているが、どこもかしこも同じような内容だった。

 街頭インタビューに答える人間たちは判で押したように生活苦を訴えた。


「税金が高くて」

「物価高で生活が苦しくて」


 蜜柑をもそもそ食べながら、リセも深々と頷いた。


「そうじゃな。税金は高過ぎる。はて、相続税は何兆迷幣と言うたかな」


 アヴィスシュートを通じて相続税の督促状が届いていたが、今のところ見なかったことにしている。紙切れ一枚で何兆迷幣もの支払いを要求してくるのには腹が立つが、このまま滞納を続けると、さらに加算税がかかり、より悪質と見なされれば重加算税がかかるそうな。


「……加算税? 重加算税? いったい、なんの呪文じゃ」


 リセはその辺に捨て置いておいた相続税の督促状をまじまじと見つめた。

 糸目の迷宮徴税官の忌々しい表情を思い出すだけで、心臓がどくどくと脈打った。

 たいへんに気分が悪くなり、頭の血管がキレそうになる。


 父ヴァルゼムも感じたであろう精神的なストレスに苛まれ、いっそのこと一括で支払ってやろうとさえ思う。


 リセは相続税の督促状をぐしゃりと握り潰した。

 ややあってから、思い直したように督促状を綺麗に広げ直した。


「いっそ払ってやったほうが清々するか?」


 督促状の案内には、ご丁寧にも迷幣の振込先が記されていた。

 父ヴァルゼムが蓄えてきた迷宮貯金をすべて吐き出せば、なんとか払えない金額でもない。

 しかし、おいそれと払ってしまえば、にやけた迷宮徴税官に屈したことになる。


 税金に殺された父に二重の苦しみを与えることになりはしないだろうか。


「……うーーーー」


 リセは唇のへの字にしながら煩悶した。


「払うべきか、払わざるべきか。どうすればよいのでしょう、父上」


 迷宮でひとりぼっちのリセに答えを授けてくれる者はいなかった。

 急に寂しさを覚えて、リセはいそいそと炬燵に入り直した。


 リモコンでチャンネルを変えると、テレビの映りが悪くなった。

 リセは億劫そうに立ち上がると、テレビの横っ面をぶっ叩いた。

 何度かぶっ叩くと、砂嵐のようだった画面が正常に戻った。


「ふむ。これで良し」


 壊れた機械は物理的にひっぱたくとだいたい直る。


 父ヴァルゼムの尊い教えだ。


 だらだらテレビを見ていると、通販番組がやっていた。


「こちらのロボット掃除機、今ならなんとこのお値段……」


 リセはちらりとごみ溜めのようになった私室を見やった。

 片付けが不得手で、とにかくそこらへんにゴミを投げ捨ててしまうため、自浄作用がない。


 生活ゴミが溜まりまくるが、限界まで汚くなると、リセは時間操作系魔法を使って、穢れを「なかったこと」にする。


 ゴミが流砂のように吸い込まれ、時間が巻き戻るが、結局またゴミが溜まる。

 毎日がその繰り返しだった。


「……ロボット掃除機。あると便利そうじゃのう」


 リセは羨ましそうに通販番組を眺めた。画面に表示された専用のフリーダイヤルに電話をかけようかと思ったが、寸前で思いとどまった。


「迷宮過ぎて、通販も届かんじゃろ」


 リセは誰に問うでもなく、独り言のように言った。


「ロボット掃除機はワレモノじゃろうか」

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