国税局査察部迷宮徴税課の女
大都会迷宮第一階層――《メトロ区》。
ネオンに似た魔晄が瞬き、客引きの声と異種族のざわめきが混じっている。
どこからか漂う香りはアルコールなのか、フェロモンなのか判断がつかない。
地下迷宮とは思えないほどに広大な歓楽街には、ゴブリンの店主が営む屋台、色っぽい淫魔が客引きに精を出すガールズバー、ドワーフが営む魔導具店がひしめき合っている。
雑魚は捨て置けがポリシーの効率の鬼は見て見ぬふりをしているが、ここは迷宮随一の申告漏れ製造フロアだ。
徴税第一主義の上官・課税架純と訪れた時は、一瞬にして修羅場と化した。
課税架純がみすみす申告漏れの匂いを見逃すはずがなく、片っ端からサキュバスたちをとっ捕まえて、「ちゃんと申告してますか」「売り上げを隠してますよね」と締め上げた。
強制捜査を発動した課税架純の名は一夜にして悪評となった。
ほとんど大虐殺とでも評すべき、徴税祭り。
一切の容赦なく、どこまでも徹底的に強制捜査を実行したものだから、大都会迷宮の深淵に辿り着く暇もなかった。
今はたいそう賑わっているが、ひとたび課税架純の気配を感知すると、一斉に店が消える。
迷宮のあちこちに課税架純の顔写真付きの手配書が貼られ、課税架純が強制捜査に訪れるや、空襲警報のようなけたたましいサイレンが鳴り響き、対迷宮徴税官シフトとでもいうべき絶対の警戒がなされる。
メトロ区の迷宮の民にとって、課税架純の名は強制捜査に等しい。
迷宮の宿敵、課税架純。
いっそ、そこまで危険視されるのは迷宮徴税官にとって誉れである。
リキは迷宮装備の襟を握りしめ、背筋をしゃんと伸ばして歩いたが、上司の課税架純のようには警戒されることはなかった。胸元に付けた国税局迷宮徴税課の徽章をこれ見よがしに直して見せるが、メトロ区を行き交う誰も恐れおののいたりしなかった。
ちらりと課税架純の手配書を見つめ、リキは自嘲気味に呟いた。
「……同じ制服なんだけどな」
制服の色調は国税局を象徴する濃紺を基調とし、肩、袖、胸元にかけて、淡い金糸の縁取りがされている。
遠目にはスーツに見えるが、実際は軍装めいた革と布を複合した機能性外套だ。
スーツのフォーマルさと、ダンジョン探索のタクティカル感を併せ持った服装。
国税に仕える者としての誇りと、迷宮で戦う者としての実務性を両立させた制服は冷厳で、威圧的で、しかし美しい。
この制服に袖を通すと、すっかり気が引き締まる。
だが、気が引き締まるかどうかと、自身に似合うかどうかはまた別の問題だ。
課税架純が着ると軍服のような凛々しさを帯びるが、リキが着ると、背伸びした少年の初任制服めいたコスプレ感が滲むのはいかんともしがたい。
架純とまったく同じデザインであるはずなのに、とても制服を着こなしているとは言えず、制服に着られている感じがする。外套はまだ身体に馴染んでおらず、歩くたびに裾がひらひらと少年らしく揺れる。
「早くスーツが似合うようになりたいなあ」
最年少の迷宮徴税官として制服に袖を通した時、とてつもなく誇らしい気分になった。
誰よりも制服を誇りに思っているが、たぶん誰よりも似合っていない。
これから成長期になるはずなので、今は制服が少しブカブカだ。
だからだろうか、架純には「ちょっと大きいね」と言われた。
迷宮徴税官の証である制服を着ているのに、リキに怯える者は誰もいなかった。
大勢の客でにぎわう露店は一軒たりとも消えやしないし、そればかりか客引きのサキュバスがわらわらと寄ってきた。
新人ゆえのまったくの無警戒ぶり。
課税架純とバディを組んでいた時とは大違いだ。
「だから、統括官はぼくを単独徴税させたのか」
埋めがたい経験の差に、どうしようもない口惜しさを覚えた。
リキが俯きがちに歩いていると、どこからともなく両脇をホールドされた。
「坊や。そこの人間の坊や。ダンジョンに遊びに来たの?」
やけに艶めかしい声が耳元で震えた。
「……へ?」
視界の端で、大きな曲線が揺れた。
黒いボディスーツ。
むっちりとした太腿。
こぼれ落ちそうな豊かな胸元。
思わず吸い込まれそうな妖しい瞳。
サキュバスだ。
両手に花ならぬ、両手にサキュバス。
「ねーえ、坊や。ちょっと寄ってかない?」
豊かな胸を、これでもか、というほど押し当ててくる。
あからさまな色仕掛けに、リキの脳が一瞬でスパークした。
「……と、と、と、当職は、た、ただいま、勤務中であります」
「あら、可愛い。修学旅行かなにかで来たのぉ?」
「ち、違います。当職は徴税しに……」
「支払いは後払いでいいわよ。ほら、ここにタッチ」
二匹のサキュバスに挟み撃ちにされ、腰砕けのリキは抵抗ができない。
優しく添えられた腕に誘われ、リキはすっかり迷宮の官能的な罠の虜になっていた。
ああ、なんと不甲斐ない。
でも、どうしようもない。
柔らかな圧力に抗うことができない。
「……うっ」
これから気になるあの子に徴税しに行こうとしているに、サキュバスの色仕掛けに屈しかけていた。職務を遂行できない不甲斐なさに、思わず両目から涙が溢れてきた。
「あらあら、泣いちゃって。どうしたの、坊や。怖がることないのよ」
頬を上気させたサキュバスの顔が近付いてくる。
「さあ、大人になりましょう。お姉さんがたっぷり教えてあげる」
興奮した吐息が脳髄を蕩かして、リキはその場に立っていられなくなった。
まるで幻覚を見ているかのように視界がぶれ、現実との境界が分からなくなる。
全身を真っすぐに貫く職務遂行の意思がぐにゃぐにゃに歪んでいく。
国税に仕える者の誇りであるスーツがはだけさせられ、長い爪を持つ指が素肌に触れる。
このまま迷宮の往来で、生まれたままの姿にひん剥かれるのだろうか。
二匹のサキュバスに魅入られ、貞操の危機を覚えた。
あ、だめだ。喰べられる。
そうと覚悟した瞬間、凛とした声が耳に届いた。
「――《強制捜査》」
魔晄が揺らめき、空気が底冷えしたように一瞬で凍りついた。
上席捜査官・課税架純が現れるや、二匹のサキュバスは尻尾を巻いて消え去った。
「あ、悪夢ぅ~。売上、誤魔化してませーん」
「ひいぃいぃい、マルサ・メイサぁあああぁあ」
迷宮のあちこちで空襲警報のようなけたたましいサイレンが鳴り響いた。露店の店主たちは大慌てで店仕舞いを始め、迷宮の民たちは蜘蛛の子を散らしたように逃げていった。
「ガサ入れだ! 逃げろ!」
静かに立つ課税架純がリキの乱れたネクタイを結び直してくれた。
とんだ失態を演じてしまい、リキはしゅんとして項垂れた。
「……ご、ごめんなさい」
あまりにも不甲斐なくて、上司である課税架純の顔を直視できなかった。
サキュバスの色仕掛けに遭って、気になるあの子への徴税を放棄しかけるなど、迷宮徴税官の風上にも置けない。
課税架純は表情ひとつ変えず、何事もなかったかのように言った。
「単独徴税はまだ早かったようね。ここから先は二人で行きましょう」
靴は官給品のはずなのに、彼女が履くと、ブーツのラインが長い脚をより美しく際立たせた。
ひとたび歩けば、迷宮の民を威圧するような響きを奏でた。
静かで凛然としていて、どこか神秘的。
課税架純の後姿は、“国税局査察部迷宮徴税課の女”の異名に相応しい風格を備えていた。
課税架純と徴収力は、黙々と迷宮内を探索した。
不意に、課税架純が口を開いた。
「メイペイがダンジョン主に送金される仕組みを知ってる?」
「……なんとなく」
リキが自信なさげに頷いた。
迷宮の壁、床、天井、至るところに魔力導管が走っている。
これは迷宮が拡張されるたびに自然に伸びる生きた回路だ。
「買い物などのメイペイ決済はパイプラインに小さな魔力の波紋となって記録される。波紋の一部がダンジョン主の魔力プールへ吸い込まれて、これが自動天引き・送金の役割を果たしている。ここまでは理解できてる?」
「サグル統括官が雑魚は無視しろ、と仰る理由ですよね」
「そうね。むざむざ無申告を見過ごす理由にはならないけど」
迷宮内で流通するキャッシュレス決済「迷宮払い」は、単なる電子マネーではない。
迷宮魔力を通貨化した魔導貨幣――それこそがメイペイの正体だ。
迷宮全体に張り巡らされた魔力導管が魔力送金網を形成し、迷宮内でメイペイ決済が行われるたび、売上の数%が迷宮貯金としてダンジョン主の魔力プールへ自動送金される。
これがいわゆる「迷宮貯金」だ。
迷宮の民は日常的に微量の魔力を迷宮へ還元しており、その総量が魔力プールに蓄積される。これを魔導工学で抽出し、1迷幣=1円として交換レートを固定化したのが初代ダンジョン主ヴァルゼム・ヴェルダークが築いた迷宮経済圏の始まりだった。
「迷宮そのものから産出される迷宮魔力は自然回復するため、迷宮は半永久的な資金製造装置となっている。国税局が目を光らせるのも当然ね」
課税架純はまるでその目で見てきたかのように語った。
「迷宮の最深部である深淵は魔力が最も澱む場所。そここそが迷宮経済の中枢であり、国家に無申告で流れ込む巨大資産の温床ね」
「深淵を覗いたことがあるのですか?」
リキが訊ねると、課税架純はふるふると首を振った。
「いいえ。そう聞いたことがあるだけ」
課税架純はほんの少し遠い目をした。
「深淵に到達したことがあるのも、ダンジョン主に会ったことがあるのもたった一人だけ。私は第一階層より奥に潜ったことがない」
それは、ひとえに加算税サグル統括官と課税架純上席捜査官の徴税方針の違いによるものだ。
効率の鬼である統括官は雑魚は無視して、さっさと深淵へと辿り着いた。
徴税第一主義の架純は、迷宮随一の申告漏れ製造フロアを片っ端から強制捜査した。
そのせいで、第二階層より深部に潜るには至らなかった。
なだらかな斜面がだんだんきつくなっており、いよいよここから先が第二階層なのだろう。
先頭を歩く課税架純が後ろを振り向かずに言った。
「この先、何が飛び出してくるか分からない。警戒は怠らないように」
「はい」
リキはふとした疑問を口にした。
「サグル統括官は、どうやって深淵まで辿り着いたのでしょうか」
「……あの目よ」
課税架純がぽつりといった。
「――《全貌監査》」
細められた糸目が見開かれることで発動する加算税サグルの伝家の宝刀。
迷宮全域をスキャンし、隠された資産を自動検索する便利すぎる徴税魔法。
ただし、体力的な消耗が激しいため、滅多に繰り出すことはないという。
「効率的に抜け道とか近道を探し出したんじゃないの」
統括官の徴税方針が気に食わないのか、どことなく辛辣な物言いだった。
足元を這う魔力導管が生き物のように脈動している。歩み続けるうち、ネオンに似た魔晄の光が心細くなっていき、ほとんど暗闇となった。
「暗いですね」
リキは制服のポケットから懐中電灯を取り出し、辺りを照らした。
課税架純が急に立ち止まったため、リキは彼女の背中に頭をぶつけた。
「ごめんなさい」
「……しっ」
課税架純は物陰に身を潜め、口元の近くで指を立てた。
懐中電灯のぼんやりとした光が赤い鱗をわずかに捉えた。
「……火竜」
爬虫類の親玉のような巨大な目がぎょろりとこちらを向いた。
架純とリキを二人まとめて丸飲みにできそうなほどの大きさだった。
「……このままやり過ごす」
架純と頷き合い、リキはごくりと唾を飲み込んだ。
火竜は行く手を阻んだまま、とぐろを巻いた。
どうやら眠ってしまったらしい。
彫像のように動かないが、このまま脇を通り過ぎてもいいものだろうか。
このまま気配を消していれば、ひとまず安全だろうか。
恐ろしい火竜が今にも襲ってきそうで、リキは気が気ではなかった。
ひと通りの戦闘訓練は受けているが、どだい迷宮徴税官は戦闘職種ではない。
あくまでも税を取り立てるのが仕事であって、火竜退治は職務の範疇にはない。
「どうしましょうか」
リキが身動ぎしたせいか、小石が転がり、わずかな音を立てた。
薄く閉じられていた火竜の目が一気に見開かれた。
架純とリキ目掛けて、猛スピードで突進してきた。
「うわっ、やばい……」
リキは大慌てで徴税魔法を唱えた。
「――《青色申告》」
架純とリキの二人を青白い光が包み込んだ。
元来、この防御術式は納税者が唱えるものであって、迷宮徴税官は防御を破る側だ。
納税者は信頼できる帳簿を提出することで、一時的に徴税のリスクから守る防御結界を展開する防御術式であるが、虚偽記載があればその防御は一瞬で崩壊し、さらに重いペナルティを課すトリガーとなる諸刃の剣となる側面もある。
そもそも迷宮に巣くう火竜に防御結界が通用するか定かではなかったが、目眩まし程度にはなったようだ。火竜は眩しそうに目を閉じ、青白い光から逃げ去っていった。
「……助かったあ」
なんとか窮地を脱したリキが安堵の声を漏らした。
「ありがとう。助かったわ」
「いえ。いつも助けられてるので、たまには」
課税架純が褒めてくれたのがちょっぴりこそばゆかった。




