公的扶助
迷宮の深淵に毎日のように通ううち、いつしか半同棲のようになっていた。
国税局の官舎からアヴィスシュートを通じて深淵に通っていたが、このところは深淵で一夜を過ごし、毎朝迷宮徴税課に顔を出して、また深淵に戻ってくるのが日常となった。
「なんじゃ、出勤か。早う戻ってこい、たわけめ」
「うん。行ってきます」
肩のずり落ちたパジャマ姿のリセが寝惚けたまま見送ってくれた。
リキの前では厚手のローブやマントを纏うこともなくなっていた。
黒化粧もしないで、色白の素肌を晒している。
リセがここまで無防備になるのに、それなりの時間を要した。
指が触れ合うだけで恥ずかしがっていたが、ある日、リセがごにょごにょと言った。
「裸の付き合いという言葉があるじゃろ。自慢の温泉じゃ。浸かっていけ」
「ああ。……はい」
断り切れずリセの父ヴァルゼムが引いたという自慢の温泉に浸かっていると、湯煙に隠れてリセがおずおずと隣に近付いてきた。触れられるほど近くに裸のリセがいる。
こつん、と肩に顔を乗せてきたが、リキは彫像のように凍りついて身動ぎできなかった。
もうもうと立ち込める湯煙に隠されて、リセの表情は窺い知れない。
「のう。なにか言ったらどうなのじゃ」
「え、と……」
リキはぶくぶくと口から泡を吐きながら、のぼせるまで熱い湯に浸かっていた。
これは果たして、迷宮徴税官と納税者の正しい距離感であるのだろうか。
自制心の箍が外れ、徴税という本来の職務をついつい忘れそうになるが、これも信頼の醸成の一環だと言い聞かせた。山のように積まれたお歳暮とお中元を一緒に食べ、ぴったりと寄り添って眠るうち、お互いに家族のような間柄となっていた。
半同棲の楽しさに溺れつつも、リキは彼女の納税意識を高めることに余念がなかった。
「青色申告? なんじゃ、それは」
「正確な記帳と申告を行うことで、税金面での様々な優遇を受けられる確定申告の制度です」
「ふうむ。面倒そうじゃのう」
リセが「正しい申告」「正しい納税」を行えるよう、青色申告教室を開いてあげた。
納税意識がほぼ皆無であったリセにも次第に納税意識が芽生えていた。
もうそろそろ口にしてもいい頃合いだろうか。
徴収力はまるで愛の告白かのように言った。
「税務署に税金を払いに来てくださいね」
リセは一瞬、キョトンとした。
「相続税ならたんまり払ったぞ」
「そうですね。税金にはたくさんの種類があって、相続税だけじゃないんです」
「たとえば、どんな種類があるのじゃ」
「そもそも税金には国税と地方税というものがあってですね」
「すまぬ。その話、長くなるか?」
「一覧だけお見せしましょうか」
「そうしてくれ」
リセは頭痛がしたのか、おもむろにこめかみを押さえた。
税金には課税主体が国である「国税」と、地方公共団体である「地方税」がある。
国税には所得税、法人税、相続税、贈与税、消費税、酒税、たばこ税、自動車重量税などがあり、地方税には住民税、事業税、固定資産税、地方消費税、自動車税などがある。
税金の一覧をちらりと眺め、リセがげんなりとした表情を浮かべた。
「こんなにあるのか。気が滅入るな」
「ひとつ、ひとつ勉強していきましょう」
「今日はもうこの辺にしてくれ。やはりおぬしは生粋の変態じゃな。徴税変態め」
「いえ、それほどでも」
「褒めておらぬわ。たわけめ」
あれほど税金アレルギーのあったリセとくすくす笑い合えているのが長足の進歩だった。
胸の前で指をもじもじさせながら、恥ずかしそうにリセが言った。
「税務署まで、おぬしに会いに行きたいのじゃがな」
リセは徴収力に会いに行くのはやぶさかではないが、迷宮暮らしの弊害を口にした。
「でも、いちど外出したら帰って来れないかもしれんじゃろ。まさか迷宮主が迷子になるなどお笑い草じゃ。迷宮主として沽券に関わる」
「そっか。じゃあ一緒に出掛けて、一緒に帰ってくる?」
リキが提案したが、即座に却下された。
「それはならぬ。迷宮徴税官と仲良うしていると迷宮の民に知れたら、いい気はせんじゃろ」
「そうかな」
「そうじゃ。わらわとおぬしは天敵なのじゃ。あくまでも表面上はな」
「そうだね。うーん、それじゃどうしようか。あっ、そうだ」
急に名案を閃いた。
「――《公的扶助》」
リキは徴税魔法を唱え、税務署と迷宮の間に一時的なワープゲートを開通させた。
「このワープゲートを通れば、いつでも直接税務署に来れるよ」
「……おぬし、なかなかの悪じゃな」
リセが共犯者めいた笑みを浮かべた。
「アヴィスシュートを降りてくるのはいつも冷や冷やするから」
公私混同と言われれば、確かにそうかもしれない。
職務という建前で、デートする構造だと後ろ指を指されても仕方がない。
付き合いが深まるうち、リセが暮らす「主の間」の構造もばっちり把握した。
魔力炉、記憶庫、時空制御装置などが集まる迷宮の心臓部にも立ち入ることができた。
迷宮の所有権移転を記録した「魔法台帳」はリセを現迷宮主だと保証していた。
気になるあの子――リセルテア・ヴェルダークのことを深く知るうち、リキはついつい気が緩んでいた。ふと、取り返しのつかない一言を漏らしてしまった。
「そろそろ固定資産税を払えるかな。毎年二兆迷幣ぐらいなんだけど」
リキはすっかり迷宮貯金の残高まで把握していた。
「すでに払ったじゃろ。たわけたことを抜かすな」
「リセさんが支払ったのは相続税。あれは迷宮を受け継ぐときにかかる税金で、固定資産税は迷宮を所有している所有者が毎年払う税金です」
「……毎年払うじゃと?」
みるみるうちにリセの表情が曇っていく。
「そう。迷宮貯金も十分貯まっているから、そろそろ支払えると……」
言い終わらぬうち、最後通牒のような平手打ちが頬を襲った。
「――《会計年度殺し》」
リセは徴収力と築き上げた時間をすべて無に帰すような時間操作魔術を唱えた。
「……ま、待って。ごめんなさい。謝るから。記憶だけは消さないで」
リキが懇願するが、迷宮内の季節が狂い、同じ廊下がループし出した。
空間が捻じ曲がっていき、リセとの思い出の欠片が音を立てて壊れていく。
開通させたばかりのワープゲートに尻から蹴り込まれ、強制的に転送させられた。
驚きとともに振り返ったが、フードを深く被ったリセが別れ際にどんな表情をしているか分からなかった。
「誑かされんぞ。しょせん、税を取り立てるのが目的であったか。失せよ、痴れ者め。二度と顔を見せるでない」




