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第16話:刑事・中垣内



廃工場の中に怒号と強烈なサーチライトの白い光が乱反射していた。


「動くな! 警察だ! 武器を捨てろ!!」


特殊部隊(SAT)の重装備の隊員たちが、自動小銃の銃口を一斉に黒田(紅)へと向けて包囲網を縮めていく。

右膝を俺の銃弾で撃ち抜かれ、床に膝をついた黒田(紅)は、深紅のドレスを自身の鮮血で汚しながら、光の束の中で激しく身を悶えさせていた。


「あぁぁぁっ……! 眩しい……眩しいわ! 私のドレスが、私の顔が汚れちゃうじゃないのぉぉっ!!」


甲高い悲鳴。だが、その声の奥には男特有の太い響きが不気味に混ざり込んでいる。

膝から血を流しながらも、その瞳には失われていない圧倒的な殺意と、常軌を逸した怨念の色彩が爛々と輝いていた。


俺は素早く駆け寄り、壁際に倒れ込んでいた玲奈の身体を抱き上げた。


「……あ……修司さん……」


玲奈は胸を痛みに歪ませながらも、俺の腕の中で恍惚とした表情を浮かべ、細い指先で俺のジャケットを強く掴み返してきた。


「よくやった、玲奈。」

「はい……修司さんの役に立てたなら……私……いくらでも……」


彼女の身体を安全な物陰へと引きずり下ろし、俺は再び中央の惨状へと視線を向けた。光の輪の中心で、黒田(紅)の周囲の空気がねっとりと歪み始めている。


傷口から流れ出る血が、床に溜まった泥水と混ざり合い、あの大嫌いな甘ったるい白粉の匂いが津波となって立ち込め始めていた。


警察の捜査員たちが、その不吉な匂いと異様な空気に呑まれ、次々と息を詰まらせて顔を歪める。


「全員、下がるんだ!!」


現場に踏み込んできた中垣内さんが、喉を枯らして怒鳴り散らした。いつもの温厚なおっさんの面影はどこにもない。汗と泥に塗れたその顔は、長年現場の死線を引きずってきた老練な刑事の凄みに満ちていた。


「中垣内さん……!」


俺が叫ぶと、中垣内さんは俺と玲奈を一瞥し、低く短い声で言った。


「修司、玲奈ちゃんを連れて下がっていろ。

 ……ここからは警察の仕事だ」


「待ってください!

  銃弾で完全に止められる相手じゃ——」


「分かっている!!」


中垣内さんは俺の言葉を遮り、鋭い眼差しで黒田(紅)を見つめた。


「こいつはもう……人間じゃない。怨霊の呪いと、狂気に取り憑かれた怪物だ。法で裁くことなどできん……『処分』するしかないんだよ!」


中垣内さんは腰のホルスターから拳銃ニューナンブを引き抜き、両手でしっかりと構えた。

その手は微かに震えていた。


二十年以上の付き合いがある相良修司の相棒であり、かつて裏の事件で命を落としかけながらも生き延びた男、黒田慎一。


中垣内にとっても、黒田は顔なじみの情報屋であり、幾度も酒を酌み交わした男だったはずだ。だが、今の黒田の姿に、かつての豪快で男臭い相棒の影は微塵もない。


「……黒田」

中垣内さんの声が掠れる。


「お前がどれほどの地獄を見て、どんな『快楽』に目覚めたのかは知らん。……だがな、これ以上、被害者を増やすわけにはいかんのだ。お前の男としての誇りごと、俺がここで終わらせてやる」


「ふふ……あははははっ!!」


光の中で、黒田(紅)が甲高く笑い声をあげた。

傷ついた膝を無視するように、ゆらりと立ち上がる。

大柄な身体が、ベルベットのドレスとともに怪しく揺れた。


「男としての誇り……?

 冗談言わないでよ、おっさん!!」


黒田(紅)は舌を出し、真っ赤な口紅で塗られた唇を淫らに舐め回した。


「そんな不潔で鈍臭いもの、私はとっくに捨てたわよ! 今の私はね……最高に可憐で、冷酷で、美しい『紅』なの! 男の身体で女の悦びを知る、極上の存在なのよぉっ!!」


ドッ!! と、凄まじい衝撃波が黒田(紅)を中心に巻き起こった。周囲を取り囲んでいたSAT隊員たちが、目に見えない力で吹き飛ばされ、激しく床へと叩きつけられる。


「な……なにっ!?」

「射殺命令だ! 撃て! 撃てぇぇぇっ!!」


隊長らしき男の叫びとともに、銃声が廃工場内に狂い咲いた。


バン! バン! バン! バン!


無数の銃弾が黒田(紅)の肉体を穿つ。

ドレスが破れ、肉が弾け、血飛沫が舞い散る。

普通の人間の肉体ならば、一瞬で蜂の巣となり崩れ落ちるはずだった。


だが——



「あはっ……痛いわぁ……でもね、痛みが私をもっと美しくするのよぉっ!!」


黒田(紅)は血を流しながら、歓喜の悲鳴をあげて踊るように体をくねらせた。銃弾によって傷ついた箇所から、赤黒い霧が噴き出し、傷口が即座に塞がっていく。


怨霊の不死性と、黒田自身が手に入れた「狂気の快楽」が、肉体の限界を完全に凌駕していた。


「バケモノめ……!!」


中垣内さんは歯を喰いしばり、一歩踏み出して銃弾を黒田(紅)の胸元へと叩き込んだ。


バァン!!


重い衝撃が黒田(紅)の胸を貫く。


「くっ……あぁんっ……!」

黒田(紅)は胸を押さえ、一瞬だけ体勢を崩した。


その瞳に、一瞬だけ……本当に一瞬だけ、かつての黒田慎一の「困惑」の色彩が宿ったように見えた。


『しゅ……う……じ……?』

微かな、男の声の残響。


「黒田ーーー!!」


俺は思わず叫び、一歩前へ出た。

だが、その瞬間、黒田(紅)の顔面が再び凄絶な狂気の笑みに上書きされた。


「ダメよ、修司……! まだ邪魔が入っちゃったわね……! でも、逃がさない……私の本当の姿を、見せてあげるから……!」


黒田(紅)は血の霧を巻き散らしながら、一足飛びに高窓へと跳び上がった。ガラスを粉砕し、夜の激しい雨の中へと飛び去っていく。


「追え! 逃がすな!!」


隊員たちがパニック状態で追いかけようとするが、立ち込める白粉の匂いと妖気に毒され、次々と倒れ込んでいく。


「くそっ……逃げられたか……!」


中垣内さんは悔しそうに拳銃を握りしめ、膝をついた。

俺は雨が吹き込む高窓を見上げ、冷静に思考を巡らせていた。黒田の肉体は、すでに銃弾すら意味をなさない怪異へと変貌している。


警察の組織力では、あいつを止めることはできない。


「中垣内さん」


俺が呼びかけると、老刑事は力なく顔を上げた。


「……修司。俺は……あいつを殺そうとした。

 だが、それでも…止められなかった……」


「ええ。弾丸では死にません。

 あいつが向かう場所は、もう一つしかありません」


俺の言葉に、中垣内さんがハッと目を見開いた。


「能勢か……!」

「はい。すべての始まりであり……

 怪異の根源である、あの廃寺です」


あいつは、怨霊の生誕の地であり、自身の「新しい姿」を完成させるための祭壇として、能勢の封印の地を選んだのだ。

俺は脇で荒い息を吐く玲奈を抱き起こした。


「決着をつけに行きましょう、中垣内さん。

 俺たちの手で……アイツを終わらせるために」


雨はなおも激しく降り注ぎ、俺たちを悲劇の終着点へと誘っていた。


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