第13話:狂気の宴
水門での決別から二日。
豊中の夜は、異様な緊張感に包まれていた。
かつて相棒だった黒田慎一は完全に死に、美しき惨劇の女王『紅』として覚醒した。
あいつが放った「大切なものを奪う」という警告は、脅しなどではない。
「修司さん……」
事務所のソファーで、玲奈が小さく体を縮めていた。
彼女の顔色は青白く、幾度も自分の首筋や腕を擦っている。
心理カウンセラーとして人の精神の深淵を知る彼女だからこそ、黒田を呑み込んだ狂気の巨大さが、肌を刺すような恐怖となって届いているのだ。
「心配いらないと言ったはずだ、玲奈」
頭を撫でながら、彼女の前に温かい紅茶を置いた。
「ですが……あの人の狙いは私です。修司さんを自分だけのものにするために、私を……」
「だからこそ、お前は俺の傍から離れるな」
俺は玲奈の顎をそっと掴み、逃げ場を奪うようにじっと見つめ返した。
「お前の心も、身体も俺のものだ。…そうだろう玲奈?あの化け物に触れさせはしない」
「……あぁ……修司さん……」
俺の言葉に、玲奈の瞳に再び恍惚とした光が宿る。
玲奈を強く抱きしめ、その綺麗な首筋を甘咬みした。
その時、デスクの上の電話がけたたましく鳴り響いた。
中垣内さんからだ。
『修司か……豊中の地下クラブで事件だ』
中垣内さんの声は、怒りを通り越して冷たく凍りついていた。
『現場は酷い状況だ。……『紅』が現れた』
玲奈に戸締まりを伝え、急いで向かう。
豊中駅近くの路地裏にある、会員制の地下クラブ。
重厚な扉を開けた瞬間、生暖かい血の匂いと、目も眩むようなあの白粉の香りが充満していた。
警察の捜査員たちが青ざめた顔で立ち尽くす店内。
フロアの中央には、三人の男たちが無惨な姿で転がっていた。
かつて能勢の事件に関わった人物たちと繋がりを持つ、裏社会の男たちだ。
彼らの身体からは水分が完全に奪われ、まるで乾いた皮のように萎びている。
そして、その顔面は……濃密な白粉と、耳まで裂けた血のような赤口紅で塗りたくられていた。
「またしても、一瞬の早業だ」
中垣内さんが現場の鑑識作業を見つめながら、低く呟いた。
「防犯カメラの映像を見た。……奴はドレスの裾を躍らせながら、まるでダンスでも踊るように男たちの首を絞め上げ、一滴残らず命を吸い上げた」
「男の骨格がもたらす圧倒的な腕力と、怨霊の怪異としての力……」
俺は冷静に遺体を観察し、写真を収めていく。
「それに加えて、黒田自身の精神が『極上の女』としての喜びに満たされている。……肉体と怨唸の調和が完璧になされている証拠です」
「全く……笑えんな」
中垣内さんは苦い顔で煙草の煙を吐き出した。
「男のタフさと怨念の妖艶さ……最悪のバケモノの完成だ。すでに被害者は十人に迫ろうとしている。本部もこれ以上の隠蔽は限界だ。……射殺許可が出るぞ、修司」
「……射殺ですか」
「警察としては当然の措置だ。……お前には辛いだろうがな」
中垣内さんの言葉に、俺はファインダーから目を離さず、冷徹に答えた。
「銃弾で撃ち抜いて倒せるなら、良いのですが…ね」
俺の頭脳は理解していた。
肉体を超越した『紅』の快楽と呪いは、ただの弾丸では止まらない。
あいつの狙いは、過去の因縁の精算と……俺だ。
ふと、殺害された男のひとりの手に目が留まった。
その干からびた指先には、血で小さな記号が残されていた。
『R』
玲奈(Rena)のイニシャルか?
黒田(紅)は、俺にメッセージを残していたのだ。
宴の夜は終わり、次はいよいよ俺たちの最愛を巡る、惨劇の罠が仕掛けられようとしていた。




