十五・枇杷
季節はさらに進み、十一月上旬。
視察旅行の土産をユージンに渡そうと、アイアンズ家に向かっている途中、不審者にまんまと奇襲されるというアクシデントに見舞われたのはつい先日。ユージンに身を挺して庇われ、ニエルは九死に一生を得た。負傷した彼から、一晩看病してほしいと頼まれたのだが、その礼として食事をご馳走したいと誘われた。
さすがチートキャラだ。横腹にナイフが刺さって血を流したというのに、もう執務に復帰しているらしい。恐らく、大人しくベッドで寝ていたのは、たった一日だけだろう。容易に想像できる。
ユージンに連れられたのは、予約が三年先まで埋まるほど美味しいことで有名なレストランだった。たまたま空きが出て、確保できたという。幸運すぎる。当然ながら、ニエルも行ったことのない高級店だ。
「こ……こんなにいい席なのに、たまたま予約が取れるものなのか?」
「うん。夕日が綺麗だね」
「あ、ああ」
支配人らしき初老の男に案内されたのは、二階から街中を一望できる中央の席。景観を一番楽しめるといっても過言ではない。こんなに良い席なのに、そうそう空くだろうかと疑問に思いながらも、次から次へと運ばれてくる料理を口にすると、どれも唸るほどの絶品だった。前菜の野菜を使ったポタージュはおかわりしたいくらいだし、牛肉の煮込みはホロホロしていて秒で蕩けてしまうし、好物のローストビーフはいうまでもなく。これほど美味しければ、予約は取れないだろうなと納得した。
「この前、君が言っていたものを用意したよ」
「え……枇杷か? 旬でもないのにどうしたんだ?」
支配人の男が運んできた篭を覗くと、大量の枇杷で埋め尽くされていた。篭に顔を近づけなくても、花のようないい香りが漂ってくる。
五、六月ならまだしも、現在は十一月だ。この辺りでは当然ながら売っていない。輸送コストがかかるため、暖かい地域から取り寄せでもしない限り、旬を過ぎた果物が市場に出回ることはない。
(金持ちって、怖いな……)
ユージンには申し訳ないが、食べたかった枇杷を前に若干引いてしまった。
「ニエル……食べないの?」
「あ、ああ、うん。食べるよ」
不安そうな表情で聞かれたので、大きめのものを一つ手に取り、皮を剥いて早速齧りついた。久しぶりに味わった枇杷は、さっぱりとした酸味と、ほどよい甘さが絶妙だった。求めていたのはこれだ。運んでいる途中、さらに熟され、より美味しくなったのかもしれない。
ユージンにとっては大したことない金額だとしても、一人で食べ尽くすのはさすがに気が引けた。だから、皮を剥いて種を外したものを目の前に差し出すと、ユージンは素直に口を開いた。
「うん。甘いね」
「もう一つ、いるか?」
「食べる」
ぺろりとたいらげたので、もう一つ皮を剥く。結局、二人で三つずつ食べた。残りは持ち帰ってもいいというので、ニエルは自分の家族にも振る舞うことにした。
ところが──。
ガルフィオン家に戻るなり、兄のアルノーがいたので枇杷の詰まった篭を差し出したというのに、どういうわけか手を伸ばそうとはしなかった。
ニエルは、不思議そうに首を傾げた。兄も、枇杷は好物のはずだ。それなのに、興味を示さないのだ。もしかすると、夕食を済ませたばかりで、腹が減っていないのかもしれない。
「それ、ユージンくんからもらったんじゃないの?」
開口一番に言い当てられたので驚いた。
「なんで知ってるんだ? まさか、ユージンに相談された……とか?」
「違うよ。食事会のときに、リクエストしてたでしょ。忘れたの?」
「そうだった」
「この枇杷はね、ニエルが一人で食べないとダメなんだよ」
「え、なんで?」
「重婚になっちゃうからね」
「じゅう……こん……?」
兄のアルノーは、どんなにニエルが勧めても頑なだった。それは両親も同じで、ニエルは奇妙に感じていた。
(この国では枇杷が貴重なのに、薦めても食べないのが作法なのか?)
どうして口にしないのか。含み笑いをするだけで、誰も真相を教えてはくれなかった。
*
一夜明けた翌日。枇杷をもらったばかりだというのに、今度は大量に届いたという柿を手にユージンは現れた。秋ゆえに、各領地からは毎年、収穫したばかりの野菜や果物が、消費が大変なほど送られてくるのだという。だからこうして、お裾分けしてくれる。
大地主をしているアイアンズ家には到底及ばないが、ガルフィオン家にも、秋の味覚のさつまいもや栗など続々と届いている。
「おはよう、ニエル。昨日の枇杷は、ご家族も口にされたのかな?」
「それがさー、変なんだよ。美味いから勧めたのに、兄さんも母さんも父さんも、誰一人として食べようとしなかった……。なんでかわかるか?」
「……さあ。お腹いっぱいだったんじゃないかな」
「そうかなぁ……」
ユージンの表情を窺うと、どういうわけか口角をあげて微笑んでいた。どうしてそんな穏やかに笑っているのか。その理由を尋ねても、答えようとはしなかった。
「……変なの」
柿も拒絶されたらどうしよう、そう思ったが、そちらは兄も母も父も、そしてガルフィオン家の使用人も口にしていた。大きな箱に三つ分あるので、一人で消化するような緊急事態にならずに済んで安堵した。
枇杷だけ食べなかったことについては、結局、誰も教えてくれなかった。
***
それからさらに日が進み、心配事が一つ減ったので、今一度、落ち着いて我が身を振り返ることにした。
このまま、なんの対策も講じぬまま、ユージンに流されてしまう状況だけは避けたい。絶対に食い止めなければならない。
ヒロインであるイリーナ・アルハインの登場は、今現在も望めない。それならば、とある人物をユージンの相手役として差し向けるしかない。人として最低な行為だとしても、今のニエルには、それ以外の手段は浮かばなかった。
(ごめん、兄さん)
ニエルの外見が好みならば、ニエルよりも気品溢れる美形の兄、アルノーもタイプではないかと考えが至った。苦肉の策だ。
アルノーとユージンをそれぞれ呼び出し、わざと待ち合わせに遅れて、二人が顔を合わせるように仕向ける。パーティーや食事会などで軽く挨拶しても、お互い嫡男ゆえにゆっくり話す時間はないので、この機会に親しくなってもらう魂胆だ。
噴水広場には近づかず、少し離れて様子を窺っていると、ユージンとアルノーは狙い通りに親しげに会話を繰り広げていた。
(……なんでこんなにもやもやするんだ?)
自分で仕組んでおきながら、アルノーとユージンが笑顔で談笑しているだけで、胸の辺りがなぜかもやもやする。兄を取られて不快なのか。それとも、幼馴染みを兄に取られて複雑なのか。自分の感情だというのに、理解不能だった。
このまま盗み見ていても、気分が晴れることはないだろう。大人しく家に帰ろうとした、そのとき。アルノーがいきなり振り返り、ニエルの姿を捉えるなり大きく手招きした。
(あれ、気づかれた!?)
周囲を確認しても人影はない。自分のことだと悟ったニエルは、重い足取りで兄とユージンの元へ向かった。
「ニエル」
兄のアルノーから怒られると思いきや、兄の影に隠れていた女性を紹介された。
「こちら、もうすぐ結婚する恋人だよ」
「えっっっっっっ!?」
初耳だった。兄に、結婚前提で交際している恋人がいることを初めて知った。それなのに、ユージンとくっつけようとしてしまった。すぐさま頭を下げて謝った。
「ごめん、兄さん……俺、馬鹿なことを……」
「なんのこと? それより、四人でダブルデートしない?」
「え、ダブルデート!?」
生前でもこの世界でも、ダブルデートは経験したことはない。イリーナもしていなかったはずだ。
「ユージンくんはどうかな?」
「二時間なら行けます」
「よかった。じゃあ、観劇にでも行こうか」
アルノーは恋人と手を繋ぎ、その後ろをユージンと肩を並べて歩く。
「僕たちも手、繋ぐ?」
「繋がない!」
「なんだ、残念」
繋がない代わりに肩を抱き寄せられた。歩きにくいが、先ほどの件もあるので邪険にはできなかった。舞台観賞の後は夕食を四人で食べて解散した。
その帰り道。予定のあるユージンと別れ、恋人を家まで送るという兄を見送り、一人で街中を歩いているとき。頭上から、誰かの「あぶなぁぁぁぁい!」という甲高い声がしたのと同時に、茶色いなにかが落下してきた。
ガシャン──!!
血の気が引いた。あと一歩先にいれば、頭部に直撃していただろう。地面に落ちてきたのは茶色い鉢植えで、見るも無残に割れている。土と破片が四方に散っていた。
「うわあああ、すいません! 大丈夫ですかっっっっ!?」
「ああ、うん」
「怪我してないといいんだけど……」
「し、してないよ」
「それならよかった……。危うく、殺人犯になるところだったわ……」
「は、はは……気をつけて……」
イリーナも、大なり小なりこういう目に遭っていた。
(そんなところまで再現しなくてもいいのにな)
そう突っ込みながらも、イリーナの場合は財布を落としたり、水をかけられたり、食べたかったものが目の前で売り切れたり、ちょっとした不運という程度だった。ここまでではない。うっかり命を落としたくはないので、これまで以上に気を引き締めることにした。




