十四・緊急事態!?
家令を助けるため、書類整理にお使いに雑用係と慌ただしく過ごしているうちに、二日が経とうとしていた。忙しすぎて瞬く間だった。
その甲斐あってか、集団食中毒に苦しめられていたガルフィオン家の従業員も、順調に体調を回復させ、続々と持ち場に復帰している。もうニエルがいなくとも、この家は問題なく回るだろう。
(ここ最近はばたばたしていたし、今日はゆっくりするか)
どういうわけか、十月の最終週にある金曜日は、終日自宅にいてほしいという変わったお願いをされていた。もちろん、言い出したのはユージンだ。それゆえに予定は入れていない。
その理由は話してもらえず腑に落ちなかったが、視察とかぶらないよう調節していた。
「しまった……潮風プリンの賞味期限、今日までだ」
自己満足だろうとも、せっかく土産を買ったのだからユージンに渡したい。いつももらってばかりいるので、たまに旅行をした際は買うようにしている。公平ではないからだ。
しかし、今日は終日家にいるように頼まれている当日だ。しつこいくらいだったので、サプライズがあるのかもしれない。
ニエルが行かないのならば、従業員に頼むという手がある。でも、彼らは病み上がりでまだまだ心配だ。土産を届けたいという個人的な理由で頼むことはできない。
少ない人員で回しているため忙しくしているのだ。炊事、洗濯、広い館内の清掃と庭園の管理、家畜の世話など右往左往している。
(うーん。ちょっとくらいなら、いいか)
アイアンズ家に届けてすぐに帰るなら平気だろう。寄り道したくなる気持ちを抑え、ニエル自ら届けに行くことにした。
「坊ちゃん。おでかけですか?」
身支度をして出ようとしたところ、家令に声をかけられる。
「ああ、土産を届けにアイアンズ家に行ってくる」
「それならば、わたくしが参ります」
「いや。すぐ行って帰ってくるから大丈夫だよ」
「では、護衛をつけます」
館内を警備しているものに声をかけ、何名かつけようとしたので慌てて断った。ただ土産を届けるだけなのに、ぞろぞろ何人も引き連れて歩いていたら注目を浴びてしまう。ガルフィオン家の次男坊は、散歩にまで護衛が大勢付き添うのだと、噂話されるものならばたまったものではない。
「心配いらないって。ユージンの家は遠くないし、日中だから変な輩もいない」
「ですが……」
「それに、護身術を習っているから、いざとなったら返り討ちにしてやるさ!」
「くれぐれもお気をつけください」
一応、腰に差している短剣を見せるとようやく納得してもらえた。さっさと行ってさっさと戻ってくるつもりで家を後にした。
*
アイアンズ家までは徒歩十分の道のりだ。アイアンズ家の大豪邸は、ガルフィオン家所有の洋館よりも数倍の敷地面積を誇るため、従業員もそれなりにいる。警備兵に軽く挨拶してから立派な門扉に足を踏み入れると、しばらく小道を進む。
(もう少ししたら、ここの紅葉も見頃を迎えるだろうな)
そんなことを考えながら歩いているとき。背後から誰かが近づく気配がした。てっきりユージンだと思ったニエルが振り返ると、そこにいた人物は深くフードをかぶり、全身黒い恰好をしていた。秋口とはいえ服を着こむには早い時期だ。
(見るからに怪しいな?)
自ら不審者だと告げているような格好に、ニエルは思わず感心してしまった。乙女ゲームの世界だから、これほどまでにわかりやすいのだろうか。
一挙手一投足を見守るつもりで窺っていると、ニエルよりも小柄な不審者は、また一歩前進した。その距離、約十メートル。
「ニエル・ガルフィオンだな?」
「ん?」
いきなり名前を呼ばれ、ニエルは呆気にとられた。背は小さいが、男のしゃがれた声だ。その声に聞き覚えはなく、攻略対象キャラではないことは間違いないだろう。ニエルと同じモブだろうか。
「……誰だ?」
警戒心を強めたニエルの問いかけに、男はフードの奥から憎悪に満ちた目を光らせた。
「ユージン様というものがありながら、二股、三股している恥知らずめ!!」
男はそう叫びながら、隠し持っていた刃物を勢いよく取り出した。刃渡り十五センチほどの小型ナイフだ。太陽光が反射したせいで、目がくらみそうになる。そこをなんとか堪え、刃物で襲われた場合の対処法を思い浮かべた。咄嗟に真横に逃げようとした、次の瞬間。
「ニエル──!!」
焦燥を含んだ叫び声が、邸宅の方角から響き渡った。振り返ると、ユージンが度肝を抜くような速さで走ってくる姿が見えた。とんでもない早さだ。彼は迷うことなく、ニエルの目の前へ飛び込んだ。
──グサッ。
小型の動物の腹に、刃物を突きさしたような鈍い音がした。
「ち、ち、ちがう……俺が刺したかったのは、ユージン様じゃない! ちがう!」
取り乱した男は、ぶつぶつとつぶやきながらその場にうずくまった。
ニエルは、一体なにが起こっているのか、なかなか理解できなかった。非現実的すぎて思考がまるで追いつかない。頭の中は真っ白だ。
先ほどまでは、ニエルの目の前に、黒い恰好をした不審者がいた。けれど今は、不審者ではなくユージンの生身の体がある。ニエルの傍らでは、信じられない光景が繰り広げられていた。男の握っていたナイフが、ユージンの横腹に刺さっているのだ。
「ニエル……大丈夫?」
「ユージン……!」
想像を絶する展開に、ニエルの心臓は一瞬のうちに凍りついた。
(あり得ないだろ。あり得ない! チートキャラのはずのユージンが、なんでこんな目に遭ってるんだ? なんでユージンが身を挺して庇ったんだ!?)
ユージンの表情は、見る見るうちに苦痛に歪み、顔面蒼白になっていた。ナイフが腹に刺さっているのだから無理もない。痛くないはずがない。
ようやくニエルは、ユージンの体が大きく震えていることに気がついた。恐る恐る視線を落とすと、ユージンの白いシャツがみるみるうちに赤く染まっていくのが見えた。脇腹からは、血が大量に流れていた。鮮血が地面に滴り落ち、あたりには鉄錆びのような匂いが立ち込める。
「ユージン……なんで……!?」
掠れた声で問いかけた。
ユージンの額には、脂汗が滲んでいるというのに、彼はニエルを安心させようとするかのように、優しく微笑んだ。
「ニエル、無事……? よかった……」
「どうして……」
自分の身の安全よりも、ニエルの安否を気遣うユージンに、なぜか胸がきゅっと締めつけられたような気がした。モブを優先するヒーローキャラだなんて聞いたことがない。イリーナではないのに、怪我を負わせてしまった罪悪感に襲われた。
「ユージン様!」
少し遅れて、見回りをしていたらしき護衛騎士のフランクが駆けつけた。
「早く……そいつを捕まえろ!」
「ハッ!」
護衛騎士フランクと警備兵たちは、男を取り押さえるために一斉に動き出した。力なく地面にうずくまっていた男は、抵抗することなく大人しく捕まった。しかし、男の目は、ニエルの姿を捉えるなりまた増悪に満ちはじめ、鋭く睨みつけた。
「覚えていろ! ニエル・ガルフィオン! お前のような尻軽男に、ユージン様は相応しくない!」
そう叫びながら、男は警備兵に連行されていった。
果たして。ニエルの知る原作ゲームに、不審者に襲われるようなこんな展開はあっただろうか。首を傾げて見ても浮かばなかった。どういうわけか記憶にはなかった。
ほっとしたのも束の間。ニエルはすぐさまユージンを叱責した。
「ユージン! 俺よりも自分の心配をしろよ!」
「平気だよ、こんなの。ああ、君が無事でよかった……」
どうして痛い思いをして、自分が腹を刺されているのに心底安心したような表情をしているのか。穏やかに微笑んでいるユージンが、一体なにを考えているのかニエルには理解できない。
刺さったままのナイフを取り除きたいところだが、処置をせずに抜いてしまうと大量出血することになる。
「ユージン様、すぐに治療致します」
「いい。傷の手当てはニエルにお願いする。それより、不届き者をきちんと捕らえておくように」
「御意」
「バカ! 腹にナイフが刺さったままなんだぞ!? フランクさん、すぐに医師を呼んでください!」
「わ、わかりました!」
護衛騎士フランクは、医師を手配するために走り出した。どうやら演習場に待機しているらしい。
「ニエル。僕と一緒に来てくれるよね?」
「待て、手当てが先だ!」
「部屋でなら受けるよ」
「はあ……。仕方ないな」
その場に待機していた警備兵に、ユージンの私室に移動すると告げた。フランクと医師に言付けしてくれるだろう。
「ほら、行くぞ」
「うん。ありがとう。ちょっとだけ、肩を貸してくれると助かる」
放り投げてしまった紙袋を拾い上げ、ナイフには触れないように気をつけて肩を貸す。傷の手当てをするために、アイアンズ家の大豪邸へと向かった。
「ニエル。家にいてってあれほど頼んだのに、どうして出ちゃったの?」
案の定、質問されてしまった。絶対聞かれると思った。
「……土産を届けたかったんだよ」
「土産?」
「うん。甘いの好きだろ? 視察に行った先で珍しいなと思ったから、お前に買ったんだ」
「……そっか」
正直に経緯を打ち明けたところ、ユージンはそれ以上なにも言わなかった。
部屋に到着してから、そういえば今日は異様に人が少ないなと思った。
「どうしてあまり人がいないんだ?」
警備はちらほら見かけるのに、他の従業員とはすれ違わなかった。普段ならば、清掃個所が多いゆえに働いている姿を目にするのに珍しい。もしかして、うちと同じ事情だろうかと質問すると、まったく異なる理由だった。
「……リフレッシュ休暇だよ」
「え? そうなのか」
ガルフィオン家と同じく集団食中毒が起ったわけではなく、半数の従業員に特別休暇を与えているのだと知る。月に一度あるという。
「ニエルさえよければ、今日は君が看病してくれないかな。きっと熱が出ると思う」
「暇だからいいけど……」
「よし。それなら、そのお土産を食べさせてほしいな」
「はいはい。でも、先に傷の手当てをしてからだ」
「えー?」
「えー、じゃない。いうことを聞かないなら食べさせないからな」
「ごめんごめん。ちゃんと聞くよ」
ユージンを寝台に座らせたタイミングで、扉をノックする音が響いた。
「ユージン様、ニエル様。私です。医師をお連れしました」
「入れ」
「失礼します」
フランクが手配した医師の診察がはじまった。ナイフは刺さったままだが、チートキャラゆえに幸いにも、そこまで深く刺さっていなかったので医師が手当てしてくれた。筋肉のおかげで内臓は損傷しなかったようだ。
痛み止めを処方した医師と手配したフランクは、そそくさと退室した。
「これでよし……と。痛くないか?」
「大丈夫だよ。それより早く」
「わかったって。あ、紙袋を放り投げたから、中身がぐちゃぐちゃだな……。クッキーも割れてる……。悪い、また今度買ってくる」
紙袋から取り出し確認すると、容器は割れておらず無事だったが、ゆるいプリンなので混ざってしまっていた。クッキーも半分に割れている。これでは食べさせられない。
「そのくらい構わないよ」
「え? でも、見た目、よくないぞ?」
「咀嚼して腹に入れたら同じでしょ」
「元も子もないことをいうな!」
食べさせてほしいと懇願するので、仕方なく瓶の蓋を開けてスプーンですくった。形が崩壊した潮風プリンをユージンの口元に運ぶ。
「うん。美味しいね」
「そうか? それならよかった」
「ニエルが食べさせてくれたから、百倍美味しいよ」
「な、なに言ってるんだよ。ふざける余裕があるのなら、あとは自分で食べな」
そう言い放つと、ユージンはいきなり腹部を抑えて身を縮めた。
「いたたたたた、ニエルが食べさせてくれないと、腹が痛いな。痛いなー!」
「……ユージン」
「食べさせてくれるって、さっき約束したよね?」
「……ほら」
「やったー」
ユージンの粘り勝ちだった。最後の一口までニエルが食べさせた。
「プリンだけだと腹減るだろ。なにか作って来ようか?」
「え、作ってくれるの?」
「簡単なものでいいなら、な。ちょっと待ってな」
一階の調理場に行くと、誰もいなかったので食材と道具を勝手に借りてチーズリゾットを作った。家とは違うので心配したが、なんとか完成させた。ユージンは残さず完食した。
夜になると、刺された影響から高熱が出たけれど、ニエルが一晩中、看病したことが功を奏したらしく朝方にはすっかり下がっていた。続々と出勤してくる従業員にあとは任せ、ニエルは足早に帰宅した。フランクが気を遣って、ガルフィオン家に連絡を入れてくれていたので、朝帰りをしても怒られることはなかった。




